彼についての述懐 俺にとってフィン・エイムズという男は、端的に言えば「どうしようもない奴」だった。
課題も試験も評価はドベの方で、箒の扱いも人並み程度。固有魔法も戦闘に向いたものではないのか、使っている場面を見たことが無い。
友達もいないらしく、アイツの周りはいつもぽっかりと穴が開いているみたいだった。教室の端でうつむきがちにペンを走らせているその姿に、俺は絶対ああはなりたくないと思っていたものだ。
転機を迎えたのは、俺たちがまだ中等部だった頃。入学してもう一年にもなっていただろうか。
座学が終わり、友人と教室を出ていこうとした時、俺は一人の生徒とぶつかって抱えていた教科書を全て落としてしまった。
「ちゃんと前見とけよ、愚図!」
ぶつかってきた奴はそう捨て台詞を吐いてさっさと逃げていき、友人たちも「何やってんだよ」と笑うばかりで誰も拾うのを手伝おうとはしない。俺たちは過去問や試験範囲を手に入れるために繋がっている関係で、互いに余計な世話を焼いたりなんかしないのだ。
アイツ、今度会ったらただじゃおかねえ。そう心の中で悪態を付きながら渋々教科書を拾い集めようとした時、後ろからオドオドした「あの」という声が聞こえた。
「ああ?」
苛立ちのまま睨み上げると、目の前のソイツは「ヒッ」と悲鳴を上げて後退りする。
大きく薄い色をした目に涙まで浮かべて、ソイツはプルプルと震えていた。
「あ、あのこれ、落ちてたから……!」
「……は?」
ずい、と差し出されたのは俺が落とした教科書だった。面食らったまま、思わず素直に受け取る。
「じゃ、じゃあ、僕はこれで」
受け取ってもらえたことに心底ホッとしたという顔で、ソイツはパタパタと走り去っていった。
それがフィン・エイムズだったことに気が付いたのは、数秒後のことだった。
それからは、やけにフィンの姿が目に付くようになった。廊下で歩いている時も、教室で授業を受けている時も、今までかけらも気に留めてこなかった金と黒の髪がふと目に飛び込んでくる。
そうして気が付いたのだが、アイツは劣等生の割に授業は真面目に受けているようだった。誰とも話さずジッと教師の話に耳を傾け、絶えずペンを走らせている。その字はやや丸っこいがそれなりに読みやすく、なんとなく書いている本人の人柄を思わせるものだった。
こんなに真面目なのに成績が悪いのは、不器用なせいなのだろう。一度魔法薬学の授業で実際に薬を調合した時、アイツは分量を散々確かめたのにも関わらずなぜか薬草の量を多く入れてしまっただとかで、真逆の効能の薬を作り上げ教師にため息を吐かれていた。あの時の泣きそうな顔が未だに目にこびりついている。
また違う日は、食堂でサラマンダーのから揚げを幸せそうに頬張っている姿を見かけた。一番人気のその料理がアイツも好きらしい。細い体に限界になるまでから揚げを詰め込んで、満足げに去っていく後ろ姿を何度見送っただろうか。
フィンと特に話すわけでもなく、でも何となく気に留めたまま高等部へ進学する日を迎えた。アイツはきっと高等部でも一人で、静かに学校生活を送るのだろう。そう思っていた。
予想と違い、アイツは編入してきたキノコ頭とすぐに親しくなったようだった。俺は、なんでそんな変な奴とフィンが友人になっているのかさっぱり理解ができなかった。ルームメイトとはいえ、いつも怯えているような凡人のフィンが、あんなに目立つ変わり者とつるむはずがないことを知っていたからだ。
アイツ、もしかして弱みでも握られているんだろうか。そう考えている間にキノコ頭を筆頭にフィンを囲む人間は増えていき、アイツの姿は隠れるようになっていってしまった。
だから風のうわさでキノコ頭——マッシュ・バーンデッドが魔法を使えないのだと知った時、俺は一番にフィンのことを思い出したのだ。フィンはなんとそんな奴にコインを分けられ、神覚者候補選抜試験に出場するのだという。
俺は間違いない、と確信した。状況的に、フィンがキノコ頭に脅されていることは明らかだった。
俺は、いざという時は助けに入ってやろうと思った。あんなに普通なフィンが、過酷な試験に耐えられるはずがない。きっとボロボロになってすぐに棄権するだろう。キノコ頭がそれでもフィンを利用しようというなら、俺の魔法でボコボコにしてやる。
俺の考えは全て外れた。
フィンは確かにボロボロになったが、あのカルパッチョ相手に最後まで水晶を渡さずに抵抗したのだ。友達を見捨てるなんて情けないことできない、そう言って。
助けに来たマッシュ・バーンデッドと彼に支えられ歩く傷だらけのフィンを見て、俺は静かに悟った。
俺は、勝手にフィンを知った気になっていた。フィンと友人になるどころか、話すこともなかったのに。アイツが真面目で不器用で、意外と食い意地が張っているなんて、そんな表面的なことしか知らなかったのに。
マッシュはフィンの強さを分かっていた。フィンも、マッシュの強さを知っていた。
俺だけだ。何も知らなかったのは。
俺はフィンの前を歩いて、時たま振り返ってアイツを気にかけてやっていると思っていた。本当は俺には何も見えていなくて、そしてフィンの視界にも俺はこれっぽっちも入っていなかったのだ。
マッシュがフィンに礼を言っているのが遠くから聞こえる。互いに支え合うその姿が眩しく見えて、俺はただ目を瞑ることしかできなかった。