それは甘く柔らかく 恋とはどんなものかしら。
この問いに、有史以来人は様々な結論を出してきた。
曰く、「相手をもっと知りたいと強く惹かれること」。
曰く、「苦しくなるほど思いを寄せること」。
曰く——「それは私のマッシュくんに対する想いです」。
最後の一つについては、揺れる金髪とリボンが眩しい女の子の談である。あまりに個人に寄せられたそれは、いったん置いておくとして。
マッシュ・バーンデッドにとって恐らく恋に一番近しいものは、シュークリームに向ける愛と執着であった。
〇 〇 〇
「それを聞いてどうしろっていうんだ、オレに」
朴訥と語ったマッシュに、そう切り返したのはドットだった。彼は荒っぽい口調とは裏腹に丁寧なしぐさでハーブティーを注ぐと、マッシュの前に静かに置いてくれる。
マッシュとドットは今、恒例となりつつある午後のお茶会を開いているところだった。いつもなら集まる他の三人は諸事情があり遅刻するということで、先に二人でお茶を楽しむことにしたのだ。
マッシュも手土産に持ってきたお手製の山盛りシュークリームを差し出し、一つを頬張る。慣れ親しんだ甘さが口いっぱいに広がり、マッシュは僅かに目元を緩ませた。
「おいしー」
「ほんとだ、うめー」
ドットも美味しそうにシュークリームを一口齧ると、優雅にカップを傾ける。穏やかな時間が流れ始めたところで、我に返ったドットが口を開いた。
「いやそうじゃねーだろ! さっきの話はどこいったんだよ」
「え?」
マッシュはすっかりシュークリーム一色になっていた脳をフル回転させて、ああ、と頷いた。
「忘れてた。恋の話だ」
「なんでそんな一瞬で忘れられんだよ……」
肩を落としたドットは、次の瞬間ハッと顔を上げギリギリと歯を食いしばる。
「まさかお前……レモンちゃんと何か進展が⁉ ウギギ」
「いや何もないけど」
そう答えてマッシュは部屋の隅を指さした。そこには先ほどドットが図書室から持ち帰ってきたと思われる書物がいくつか重なって置かれている。
「やけに恋に関する本があるから、気になって」
「あ⁉ 見るなよ恥ずかしいだろ!」
「自分で持ってきたくせに……」
ドットは焦ったように本を奪い去ると、ゴソゴソとローブにしまい込む。ごまかす様に咳払いした彼は、半目になってマッシュを見た。
「お前、普段はこういう話にちっとも乗ってこないだろうが。どうしたんだよ」
「……うーん」
聞かれて、マッシュは眼を泳がせた。実は、自分でも何故こんな話をしたのか分からなかったからだ。
「なんとなく?」
「なんで疑問形なんだよ」
呆れた顔をしつつも、ドットは思いついたようにこう言った。
「なんかキッカケとかあるんじゃねえの? こういう話に繋がるような」
「……あー」
言われて初めて、マッシュはふと思い出す。
まだ小さな子供だった頃、養父のレグロが寝る前によく物語を聞かせてくれたのだ。今思えばそれは、町へ行けないマッシュが少しでも楽しめることがあるように、という養父の思いやりだったのだろう。
レグロは色々な話を聞かせてくれたが、中でもマッシュは英雄譚がお気に入りだった。それに影響されてよくカッコいい武器や敵組織の名前を考えたりしていた……というのは蛇足だが。
英雄譚には大体、ヒロインがつきものだった。ヒロインは主人公の強さに、そして主人公はヒロインの可憐さに心を打たれ二人は想い合う。主人公は困難を乗り越え無事悪者をやっつけて、そのあと平和になった世界で美しい恋情で結ばれた主人公とヒロインは結婚する。
マッシュは悪者と主人公の熱いバトルにしか興味がなかったが、ある日物語を話し終えたレグロが何気なくこう言ったのだ。
「恋はこんなに綺麗なものではないと思うがのう」
その言葉に、マッシュは眼をパチリと瞬かせた。
「こい?」
何も分かってないマッシュのその声に、レグロはハッとしてマッシュを見ると首を振った。
「今のは忘れておくれ、マッシュ。さぁ、もう寝なさい」
「うん。じいちゃん、おやすみ」
素直に頷くと、マッシュは布団に潜り込んで目を瞑る。
眠りに落ちていくその間際、小さくレグロが呟いた。
「もし……もしマッシュが、恋をすることがあれば。それは……この物語のように、甘くて優しいものであってほしいのう」
「……恋って、苦しくて辛いこともあるって聞いた。あまり綺麗じゃないとか、相手を想いすぎて切なくなるとか」
マッシュは、養父との記憶を思い出しながらそう言った。それで、と相槌をうちながらドットがハーブティーを飲む。
「それで、僕はフィンくんを見ているとシュークリームを食べているときみたいな嬉しさを感じることもあれば、なんだかモヤモヤすることもあって。これは恋じゃないのかなって」
そのセリフに、ドットがブーッと飲んでいたお茶を吹き出した。
「うわ、危ない」
マッシュは持ち前の反射神経で、飛沫がかかる前に山盛りのシュークリームをサッと避難させる。大丈夫、と聞くと、目の前の彼は咳き込みながら悶えていた。
「ゲホゲホッ……お前のせいだぞ今のは!」
「そうなの? ごめん」
素直に謝ると、彼は呼吸を整えてマッシュをチラリと見る。
「マッシュは……その、フィンが好きかもって言いてえのか?」
「うーん、多分そう……かな」
自信がない。
この気持ちはマッシュが常日頃からシュークリームに抱いているものと似ているようで、少し違っていた。
シュークリームに向ける想いは常に一定だ。この世で一番尊く、食べると幸福に包まれて、大好きを超えた執着がある。
対してフィンに向ける想いは、揺らぎがあるのだ。
フィンが別の人と仲がよさそうに話していると、なんだがモヤッとする。フィンが笑うと自分も笑いたくなるし、フィンが泣くとその涙にどうしようもなく目を奪われる。マッシュの話にいつも最後まで耳を傾けて、ちゃんとツッコミまでしてくれるその優しさに心から嬉しいと感じる。
そういったことをポツポツと話すと、ドットは大きくため息を吐いて頭を掻いた。
「……それ、いつからだ?」
「いつだろ」
思考を巡らせ、あ、と気づく。
「初めて会った時からかも」
今思えばそれは、出会った時の彼の瞳にあった。
それはレグロの、慈しみに溢れた優しい目でもなく。
街で出会った人達や試験官の、驚きと嫌悪に満ちた目でもなく。
レモンの、狂おしいまでの愛が渦巻いた目でもなかった。
それはただ純粋にマッシュを見ていた。
どこまでも透明な視線で、どこか戸惑ったようにこちらを真っすぐ見る彼の目が、ほんの一瞬にもかかわらずマッシュの胸に焼き付いていた。
ドットからの反応が無く、マッシュは飛ばしていた思考を戻す。すると彼は、なぜかぐったりとした顔で背もたれに寄りかかっていた。
「どしたの、ドットくん。元気ないけど」
「お前のせいだろうが……胸焼けしそうだ……」
「そんなにシュークリーム甘かった?」
ちゃっかり何個目かのシュークリームを頬張りながらそう聞くと、彼はもういいという風に首を振る。そして何回か口を開いては閉じたあと、思い切ったようにこう言った。
「お前はフィンともっと仲良くなりてぇとか、そういった感情はあんの?」
「うん」
即答する。
いやもうこれ答え出てるじゃん、とブツブツ呟きながら彼は懐に入れた本の一冊を取り出した。ページをめくり、目当てのところを見つけたのかマッシュの目の前に突き出す。
そこには大きく、「相手を褒めまくろう!」と書かれていた。
「いいかマッシュ、距離を縮めるにはまず相手の一番いいと思うところを素直に褒めるところからだ」
「ほう」
「シンプルに褒めろ。過剰すぎると却ってお世辞だと思われるかもしれねえからな。でも、最大限の誉め言葉でだ」
「うす」
頷くと、彼はガリガリと頭を掻き最後にこう言った。
「まぁ……少しは応援してやるよ。馬に蹴られたくねぇしな」
「? ……ありがとう?」
「だから何で疑問形なんだよ!」
わちゃわちゃしていると、扉がノックされる。そして、賑やかな三人の声が聞こえた。
「お待たせしてすみません!」
「ごめんね、課題が長引いちゃって……」
「今度からはもっと早く済ませるように努力しろ」
そう口々に言いながら、レモン、フィン、ランスが部屋に入ってくる。
「うう……ランスくん、いつも本当にごめん」
項垂れたフィンは、どうやらランスに課題を手伝ってもらっていたらしい。彼をじっと見ていると、顔を上げた彼と目が合う。
「? どうかした、マッシュくん」
「……いや、なんでも。シュークリームあるよ」
そう言って三人に椅子を勧めると、ドットが新しくお茶を入れて持ってきてくれた。
賑やかなお茶会が再スタートし、302号室は和やかな雰囲気に包まれていた。
〇 〇 〇
お茶会が終わった後、マッシュとフィンは部屋を片付けてのんびりしていた。まだ夕食までには時間がある。
「今日も楽しかったね、お茶会。マッシュくんのシュークリームもそうだけど、ドット君が淹れてくれるお茶も本当においしいよね」
「レモンちゃんのクッキーもありましたしな」
そう言うと、彼はぎこちなく笑う。
「あ、あはは……あれはできれば思い出したくないかも……」
もはや前衛的な芸術と言っても差支えが無い色と動きをするクッキーに、マッシュ以外の皆が声なき悲鳴を上げたのは秘密だ。
そんな会話をしている時に、ふとマッシュはドットの言葉を思い出す。
こういうのは実践あるのみだ。
そうひっそり意気込んだマッシュは軽く息を吸い、思い切ってフィンにこう言った。
「フィンくんの目って、カスタードクリームみたいだよね」
その言葉に、フィンは出逢った頃と同じままに戸惑ったような目をした。
「よくわからないけど……」
そう言う彼に、マッシュは少し落ち込む。世界で一番好きなシュークリームに例えたそれは、マッシュなりの一番の誉め言葉だったのだ。
しかし、そのあとに続いた言葉にマッシュはパッと顔を上げた。
「マッシュくんの目も、そうだと思うよ。色が」
「! ……そっか」
目元をほんのり緩ませる。それを受けて、フィンが首を傾げながらも微笑んだ。淡い琥珀色の瞳が、柔らかく光を湛える。
その瞳に、マッシュはじわじわと胸が暖かくなるのを感じた。
やっぱりカスタードクリームみたいだ。見ているだけでこんなに心が弾むような、嬉しいような——甘くて柔らかい気持ちにさせてくれる。
フィンくんの目はカスタード、と呟くようにまた言うと、彼は「わかんないよ」と声を上げて笑った。