長いフライトを終え、俺は1年振りに日本の地に降り立った。久し振りに耳にする日本語のアナウンスや目に映る日本語に、上がる口角が抑えきれない。日本語に触れると、もうすぐ深津さんに会えるんだと思って、テンションが上がってしまう。前にそんなことを話したら、「パブロフの犬ピョン」と笑われてしまったけど。
チラチラと向けられる視線を躱すように足早に歩き、到着ロビーに出る。目的の人を探すために視線を左右に走らせると、すぐに俺に向かって軽く手を振る深津さんが視界に入った。
深津一成さん。一つ上の先輩で、愛しい俺の恋人。日本一のガードと呼ばれていた深津さんだけど、バスケは学生の間だけと決めていたようで、今はスポーツリハビリトレーナーとして活躍している。正直、俺以外の人間をサポートしていることは気に食わないけど、それでも俺は、いつか深津さんと専属契約を結んでやろうと目論んでいる。
目立たないように深津さんに手を振り返すと、動きの鈍い表情筋がゆっくりと緩んでいった。その天使のような微笑みに、色んな感情が込み上げる。それを抑えるように、ギュッと唇を噛み締めながら大股で深津さんに近付くと、大きな目が俺を静かに見上げた。黒い瞳の奥に仄かな熱が込められているのを見て、思わず深津さんに手を伸ばしてしまう。が、深津さんはそんな俺の手を華麗に躱し、俺の荷物を持って無言で歩き出してしまった。
あれ? 今おかえりのハグする流れじゃなかった?
そんなことを考えて首を傾げている間も、深津さんは止まらずにズンズンと駐車場に向かって進んで行く。その背中を追いかけながら名前を呼んでも、「もしかして機嫌悪い?」と聞いても、深津さんは振り向きすらしなかった。
深津さんの家に直行する予定だったけど、こんな空気じゃイチャイチャする流れにならないかもしれない。相変わらず無言で荷物を車に積み込む背中を見つめる。どこかでご飯でも食べてから帰ろうって提案した方が良いかなぁと考えながら、いつものように助手席に座る。その瞬間だった。
「さわきた」
「ん?どうした、ンぅっ!?」
拙い発音で名前を呼ばれたかと思えば、俺は深津さんに唇を塞がれていた。
え? え?…… え??
混乱する俺を余所に、深津さんはちゅっちゅっと可愛い音を立てながら、俺の唇に何度も口付けを落とした。そして、厚い唇で俺の下唇を優しく挟み込みながら、それ以上の熱を強請るように熱っぽい視線を俺に送っていた。そこで漸く、俺はある考えに至った。
「深津さん、俺とキスしたかったの?」
「……うん、」
深津さんらしからぬ幼い物言いに、思わず顔を凝視してしまう。
そうか。早く俺と2人きりになって、早くキスがしたかったから、あんな早足で歩いてたのか。
胸の奥がキュッと締め付けられる。その苛立ちにも似たときめきを解放するように、俺は深津さんの耳を指先でそっと撫でた。
「いいよ。キスするから、口開けて」
「……っ、ん」
俺の言葉に従うように、深津さんがゆっくりと口を開けてくれる。激しく攻め立てたい気持ちを抑えながら、どこか逃げ腰な深津さんの舌と自分の舌を優しく絡ませ、目下で揺れる綺麗な髪の毛を優しく撫でた。
「ンんっ……さぁ、きた…っ、ふ、ぅっ」
甘ったるく名前を呼ばれる。それだけで俺の愚息は反応してしまい、更に強烈な熱を求めるように、舌の動きが激しくなってしまう。そんな俺の動きに反応するように、深津さんの身体がビクビクと震えるから、燻った熱が暴走しないよう、思わず深津さんから距離を取ってしまった。
「ん……沢北……?」
「あのさ……深津さん家まで、どれくらいかかるっけ?」
「俺の家……1時間半、くらい……」
「無理。そんなに待てない」
呆けた顔で俺を見つめる深津さんを、強く抱き締める。お互いの体温が上がっているのを感じながら、俺はゆっくりと深津さんの耳に唇を寄せた。
「ねぇ、近くのホテル行こ?」
お願い、と強請るように囁けば、深津さんは項を赤く染めながら、「ん」と一文字で了承してくれた。
***
あの後、近郊のホテルを調べて連絡を入れまくり、車で10分の場所のホテルに空室を見つけ、車を飛ばして10分も掛けずに到着し、傾れ込むように部屋に入った。
深津さんは、キスをしようとする俺を押し退けて、「キスしたら我慢できなくなるから駄目ピョン。準備してくるから、良い子で待ってろピョン」と言い、早々に浴室に引っ込んでいった。その顔がとろんと蕩けているのを見てから、俺の愚息は元気に上を向いている。そんな状態で、俺は深津さんが浴室から出てくるのを待たなければならない。何の拷問だろう。ちょっと泣きたくなる。
それでも不誠実なことはしたくないから、大人しくベッドに寝転んで、真っ白な天井を見つめる。そうすると、いつもより過敏になった聴覚が、シャワーの流れる音をいとも簡単に拾った。その音を聞いていると、頭にいろんな映像が浮かんでしまう。
シャワーの熱で上がった室温、湯気で見え隠れする深津さんの裸体、シャワーヘッドから流れるお湯が深津さんの髪を濡らし、項から背中を流れ、腰を撫で、更にその下へ……
「うん、大人しく待つとか、無理だわ」
開き直って起き上がり、そのまま徐に衣服を脱いでいく。深津さんからもらったTシャツだけは丁重に畳んでソファに置き、残りの服はぽいぽいと適当に放り投げた。そうして数十秒で裸になった俺は、迷うことなく浴室へと足を向けた。
水が流れる音が近くなる。ガラス一枚を隔てた向こう側で、深津さんが俺に抱かれる準備をしていると思うと、ドキドキと無駄に心臓が高鳴ってしまう。それを落ち着かせるように大きく息を吐き出すと、浴室から水流以外の音がしていることに気が付いた。
(なんだ……?)
水の音が邪魔で、よく聞こえない。それでも全神経を耳に集中させて、バレないように浴室のドアに耳を近付ける。
「ンっ、ふぅ……ぅぁっ、」
押し殺したような控えめな声が鼓膜を擽る。ぐじゅぐじゅと厭らしい音を立てているのは、ローションだろうか。
ドクンと心臓が大きく跳ねた。
そりゃ、準備をしているんだから、後ろを解すことだってするだろう。自慰とは違う。これは俺に抱かれるための準備だ。そんなこと分かっているけど、それでも自分の後孔を弄って甘ったるい声を出している深津さんに、脳が沸騰したような感覚に襲われてしまう。
ふぅ……と長く息を吐き出す。一旦冷静になろう。そう自分に言い聞かせた瞬間に、深津さんの切なげな声が鼓膜を揺らした。
「ぁっ、ぅン…さぁ、きたっ…!」
プツン、と理性が切れる音がした。
だって、これは無理だろ。俺の名前呼ぶとかさぁ、我慢できないって。俺は悪くない。迂闊に俺の名前を呼んだ深津さんが悪い。
ガラッと無遠慮に浴室の扉を開け放つ。ビクッと大袈裟に身体を揺らした深津さんは、振り向いて俺の顔を見た瞬間、目を大きく見張った。
「……っ!? さ、さわきた……!?」
「はーい、沢北でーす」
わざとらしい笑顔を貼り付けて、深津さんに軽く手を振る。深津さんは状況を飲み込めないのか、後孔に突っ込んでいた指を引き抜いて、右往左往していた。
「え、な、なにして……準備するから、待ってろって言った……!」
接尾語のついていない幼い喋り方に、加虐心が煽られる。狼狽える深津さんを強く抱き締めて、いつもより声を1トーン低くした。
「俺が『待て』苦手なの、深津さんなら知ってるでしょ?」
「……っ、でも、」
「それに、俺の名前呼んだの、深津さんじゃん」
クスクスと笑ってみせると、深津さんは頬を赤く染めて俯いてしまった。
出しっ放しのシャワーが俺と深津さんの身体を濡らしていく。俯いたままの深津さんの顎に触れ、自身の声に出来得る限りの色香を纏わせた。
「こっち向いて、深津さん」
「……っ、お断り、ぴょん」
「えぇー、断っちゃうのー?」
顎を撫でていた指を、厚い唇に移動させる。半開きだった口に人差し指と中指を突っ込むと、深津さんの鼻から甘ったるい息が漏れた。
「こっち向いてくれたら、ここ気持ち良くしてあげるのになぁ」
2本の指で口内を掻き回す。ぐちゅぐちゅと響く厭らしい音に誘われるように、深津さんの目がゆっくりと俺を捉えた。
「可愛いね、深津さん」
「……っ、」
「こっち向いたってことは、気持ち良くしてほしいんだね」
「っ!うるさ、ンんっ!」
指を引き抜いて、代わりに自分の舌を突っ込み、口内を蹂躙する。角度を変えるために口を少し離す度、酸素を求めて喘ぐ度、降り注ぐお湯が口内に入ってくる。それが酷く熱く感じるのは、元々の熱さのせいなのか、それとも俺たちの熱で温められているのか、それすらも分からなくなるほど、俺たちはキスに夢中になっていった。
肩を掴んでいた筈の俺の両手は深津さんの後頭部と腰に回され、深津さんの両腕はしがみ付くように俺の背中に回されていた。少しの隙間もない程の密着に、愚息がはち切れんばかりに膨らんでいく。
一度腕の力を緩め、深津さんの顔を覗き込む。俺を見つめる両目は、ハートが浮かび上がってくるんじゃないかというくらいに蕩けていた。
「深津さん」
「ん……?」
「ここで抱いても良い?」
俺の言葉に、深津さんが静かに頷いた。
その仕草を合図に、俺は再び深津さんの口を塞いでやった。