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    shino_sino6

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    shino_sino6

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    🇺🇸プロswと🇯🇵プロfk
    喧嘩して仲直りしたはずなのに、どこか溝ができてしまった2人の話。
    ちゃんといちゃらぶハッピーエンドです。

    #沢深
    depthsOfAMountainStream

    「可愛くねぇ……」

    一際低い声で呟かれた言葉は、鼓膜を振るわせ、心臓をチクと刺激した。
    沢北が一時帰国したのは、2週間前。1ヶ月程滞在予定で、最初の1週間は雑誌やテレビの仕事をこなしながら実家で過ごし、残りの3週間を俺の家で過ごす予定だった。その予定に変更はなく、多数の仕事をこなしてきた沢北は、一週間前に俺の家にやって来た。
    そこからの1週間は、それはもう情熱的だった。会えなかった時間を埋めるように互いの熱を求め合い、1日の大半をベッドの上で過ごした。だけど、その熱は数日かけて徐々に収まっていき、俺たちの過ごす場所も寝室からリビングへと移り、日が経つにつれて外出することも増えていった。
    そのタイミングだった。沢北と派手に言い合ったのは。
    原因は些細なことだった。俺の所属するチームの後輩から連絡が来て、長電話をしてしまった。ただそれだけ。
    電話中も、「まだ?」「ちょっと長すぎない?」「そろそろ切ってよ」と横からちょっかいを掛けてきた。何度目かの「早く切って」という沢北の文句に堪忍袋の緒が切れた俺が、電話を切り、「相手が後輩だとしても、仕事関係の話をしている時に邪魔をするな」とキツイ口調で言った。それに対して、「久々に会った恋人よりも、毎日のように会える後輩を優先するなんて、どうかしてる」と沢北が言い返してきたことで、言い争いに発展した。確か、「恋人よりも優先すべきことなんて、山ほどある」と腹立ち紛れに言い放った。そこで、冒頭の台詞に戻る。
    心臓が痛みを訴えたのはほんの一瞬。すぐに元来の気の強さが顔を覗かせた。

    「じゃあ、お前は可愛い子でも探せピョン」
    「は?」
    「俺は、ありのままの俺を可愛いって言ってくれる人を探すから」

    低く言い放った言葉が、二人しかいない部屋に響いた。すぐに俺の言葉を理解したのだろう、沢北の目がキッと吊り上がり、何かを言おうと口を開いた。が、俺は沢北の言葉を聞かなかった。聞かずに、財布と鍵を持って部屋を出た。
    それが、数時間前。
    あれから、行きつけのバーに行って、常連客やマスターに対して思い存分愚痴を吐いた。俺の擁護半分、沢北の擁護半分といったところだったが、部屋を出てきたことに関しては、完全に俺が悪いと全員に咎められた。「カズくんと二人で過ごすために、最初の一週間に仕事詰め込んでくれたんじゃないの?」という常連マダムの言葉で家に帰って来たは良いが、心の奥ではまだ怒りが燻っていた。
    アイツの嫉妬深さは知っているし、独占欲の強さだって分かっている。分かっているけど、何で俺だけが我慢を強いられなきゃならない、何で俺だけが行動を制限されなきゃならない、俺だって我慢しているのに……そんな気持ちが拭いきれないでいるのだ。
    はぁ、と溜息を吐く。ご丁寧に施錠されていた扉を開き、「ただいま」と控えめに声を掛けると、リビングの方からガタッと大袈裟な音が響いた。出迎えようか悩んでウロウロしているであろう沢北の姿を想像し、頬が緩んでいく。だけど、リビングの扉を開くときには、緩んだ表情を引き締め、不機嫌さを前面に出すように眉間に僅かに力を込めた。

    「あ……お、かえり、なさい……」
    「……ただいま」

    案の定ウロウロしていた沢北は、俺の姿を見るなり、泣きそうに顔を歪ませた。その捨てられた子犬のような表情に多少の溜飲が下がるが、それも表情には出さなかった。
    暫く無言で見つめ合う。お互いに出方を窺っているのが、手に取るように分かった。さて、ここからどうすればこの空気を変えられるだろう。そんなことを考えていた時だった。情けなく下がっていた沢北の眉毛が、ギュッと吊り上ったのは。険しい表情を引っ提げて、沢北が一歩、また一歩と俺との距離を縮めてくる。何事かと眉を顰めて沢北の顔を見つめていると、沢北も同じように眉を顰めた。

    「……深津さん、リップクリーム塗った?」
    「え?」
    「なんか、唇がテカテカしてる」

    沢北の指が俺の唇に触れ、不機嫌を隠すことなく顔を歪ませた。
    そういえば、バーにいた常連マダムに「唇が切れてるから」と、未使用のリップクリームを貰って、苛立ちをぶつけるように塗りたくった。それの何が気に食わないのか、俺には理解できないが、リップを塗った経緯を説明してやろうと口を開くと、それよりも先に沢北が忌々しげに呟いた。

    「普段、リップなんか塗らないで、ガサガサのままでいるくせに。それとも、リップを塗らなきゃいけないことでもして来たの?」

    その言葉に、カッと体温が上がった気がした。
    確かに、普段から唇のケアを入念に行っている訳ではない。だけど、俺だってリップくらいは塗っている。それも、沢北とキスをする前には、必ず。機嫌が悪いのだとしても、どうしてそんな厭味ったらしいことを言われなきゃならないんだ。何が気に入らないって言うんだ。……俺が、何をしたっていうんだ。
    沸々と怒りが込み上げてくる。デマとは言え、沢北の熱愛報道の記事が出ても、俺は何も文句を言わずに耐えてきた。何度も何度も、「女が良いなら、別れよう」という言葉を飲み込んで、理解ある恋人の振りをし続けてきたのに、どうして俺は、沢北のいない所でリップを塗っただけで、あらぬ疑いを掛けられなきゃならないんだ。
    言いたい言葉を飲み込むように、奥歯を強く噛み締める。怒りたい気持ちをグッと堪え、挑発するように沢北の大きな目をジッと見つめた。

    「俺がリップを塗る時がどんな時か、沢北だって知ってるはずだピョン」
    「……は?」

     聞いたことのない怒気を含んだ低音に、一瞬たじろいでしまう。それでも、それを表に出すことはせずに、ジッと沢北を見つめていると、沢北の目が僅かに揺れた。

    「……誰かと、キスしてきた、ってこと?」

     その問いには答えず、ただ真っ直ぐに沢北を見つめ続ける。無言の睨めっこに耐えられなくなったのは、沢北の方だった。視線を逸らした沢北は、何かを押し込めるように、小さく笑った。

    「はは、さすがに嘘ですよね。それくらい分かりますよ、俺にだって」
    「……」
    「深津さんは、俺以外の奴とキスなんてしないですもん。そんな相手もいないでしょ」

    決めつけたような物言いに、カチンときてしまう。最後の言葉の後ろに「俺には沢山いるけどね」と付いているような気がして、自分の言葉を撤回する気が失せてしまった。
    はぁ、と何処か艶めかしく聞こえるように溜息を吐く。案の定ピクッと反応した沢北を挑発するように、ニヤリと笑ってみせた。

    「俺にだって、悲しいときに慰めてくれる奴くらい、ちゃんといるピョン」

    そう言って意味深に唇に触れると、沢北の顔色が一瞬だけ蒼くなった気がした。だけど、瞬きをしている間に元の顔色に戻り、やれやれ、とでも言いたげに、わざとらしく溜息を吐いた。

    「……すぐそうやって揶揄うんだから」
    「なんで揶揄ってるって言いきれるピョン?事実かもしれないピョン」
    「いいって、そういうの」

    語気が強くなる。話しを無理矢理終わらせるような言い草に、「怒らせたか」と焦ったのは一瞬で、沢北は俺の焦燥感を丸ごと包み込むように、そっと俺を抱き締めた。

    「沢北、」
    「可愛くないなんて言って、ごめんね。あんなの嘘。深津さんが世界で一番可愛いよ」
    「……それは言い過ぎピョン」
    「言い過ぎじゃない。誰がなんと言おうと、俺にとっては深津さんが世界で一番可愛い」

    甘ったるい言葉に、思わず顔を上げる。きっと今の言葉と同じくらい甘ったるい視線を向けられているだろうと思ったのに、予想に反して、沢北はどこか苦しそうな顔で、静かに俺を見つめていた。

    「沢北……?」
    「仲直り、」
    「え?」
    「これで仲直りってことで、良いよね?」

    許しを乞うような声色に、思わず頷いてしまう。それを確認して、どこか安堵したように小さく息を吐き出した沢北が、静かに顔を近付けてくる。
    あぁ、仲直りのキスか。
    そう思い、口角が上がるのを抑えながら、ゆっくりと目を閉じる。が、いつまで経っても、沢北の唇が俺の唇に触れることはなかった。待ち草臥れて、薄く目を開ける。そこで目に入ったのは、やはり苦しそうな顔で俺を見つめる沢北の姿だった。
    沢北、と声を掛けると、俺が目を開けたことに気付いた沢北が、慌てたように俺の髪をゆっくりと撫で、黒く揺蕩う髪をすくい、毛先に恭しく口付けを落とした。

    「……気障ったらしいピョン」
    「良いでしょ、別に」

    小さく笑う沢北は、やはりどこか苦しそうで、「キスする場所、そこであってるピョン?」なんて、そんな軽口叩けなかった。

    「深津さん、もう寝る?」
    「え?あぁ、うん。そろそろ寝るピョン」
    「そっか……おやすみなさい」

    ぽんぽん、と肩を叩かれ、反射的に沢北の手を掴んでしまう。指先を絡ませると、沢北の身体がビクッと大袈裟に跳ねた。

    「沢北は、まだ寝ないピョン?」
    「あぁ……さっきマネージャーから電話来て、ちょっとだけやることできちゃったんで……先に寝てて良いですよ」
    「……すぐ終わりそうなら、待ってるピョン」
    「あぁー、どうだろ……ちょっと時間かかりそうなんですよね。だから、待ってなくて大丈夫です」

    そう言って笑う沢北は、俺に向けることのない、余所行きの笑顔を張り付けていた。
    沢北が嘘をついていることは、すぐに分かった。隠し事が下手な沢北は、嘘を吐くとき必ず敬語に戻る。
    何でそんな嘘を吐く。何で作り笑顔を俺に向ける。あの苦しそうな顔は何だったんだ。
    いろんな疑問が脳裏を過るが、その答えは何も分からず、俺はその疑問に蓋をするように、静かに自室へ引っ込んだ。明日になったら、この違和感が消えていれば良いなんて、無責任なことを考えながら。

    *****

    あの日から三日が経過した。あの時部屋中を支配していた険悪な雰囲気はなくなり、俺たちは穏やかな日々を過ごしている。……表面上は。
    あの日から、俺たちの間には何もない。そう、何もないのだ。
    体温を分け合うようなキスも、愛を確かめ合うようなセックスも、何も。たまに思い出したように抱き締めてくることはあるが、隙間なく身体が密着するような抱擁ではないし、その大きな手が俺の身体のラインをなぞることもない。ただ、壊れやすいものに恐る恐る触れるような、そんな覚束ない手付きで俺に触れ、温もりを感じる間もなく離れてしまう。そして、何かを堪えるように顔を歪め、消え入りそうな声で「深津さんが大好きだよ」と呟く。まるで、なにかの呪いのようで、その苦しそうな表情の意味も、俺に触れない理由も、何も聞き出せずにいた。
    触れてこないなら、触れさせればいい。そんな考えで、シャワー後にTシャツ一枚で沢北の前をウロウロしたり、その格好のまま沢北の隣に座り、そっと手を握ったり……思いつく限りのことを試してみたけど、沢北は困ったように眉毛を下げて笑うだけだった。

    「沢北」

    規則的な寝息を立てる沢北に、小さく呼びかける。反応がないことに胸を撫で下ろしたのは、起きている間は拒否されてしまうと分かっているからだろうか。
    あの日から、沢北は俺と同じベッドで寝なくなった。『仲直り』をしたあの日だって、結局リビングのソファで眠っていたし、それ以降、このソファが沢北の寝床になってしまった。

    「沢北、」

    寝息で掻き消されそうな声量で名前を呼んでみるけど、沢北は返事をすることはなかったし、目を覚ますこともなかった。
    規則的に上下する胸元を見つめ、静かに視線を唇に移す。ここ数日、一度も触れていない沢北の唇は、赤くぷっくりと膨れていて、熟れた果実のようだった。
    人差し指で、しっとりとした唇に触れる。初めてキスをした時、「お前の唇、乾燥してるベシ」と言ってから、沢北は唇のケアを怠ったことがない。「唇がプルプルの方が、キスも気持ちいいでしょ?」とドヤ顔をかましていた沢北は、いつしかメンズ化粧品の広告塔を務めるまでになっていて、ケア用品も安いリップクリームから、よく分からない高級なクリームに進化していた。
    ぷにぷにと唇を突いても、沢北が目を覚ます気配はない。こんな寝込みを襲うような真似しなくても、素直にキスを強請れば良い。そんなこと分かっているけど、どうせ断られてしまうからと、そんな風に思う自分もいた。
    むにむに、むにむに。沢北の唇の感触を確かめるように、指先で突く。それでも起きないことを確認し、指をそっと離す。代わりに自分の唇を近づけ、沢北の唇と重ね合わせた。
    俺の厚い唇が、沢北の薄い唇と重なり合う。久し振りの沢北の温もりに、嬉しいはずなのに、何故か胸は締め付けられ、目頭が熱くなった。
    沢北、沢北、沢北……
    心の中で何度も名前を呼ぶ。それに何の意味もないことは分かっていたけど、名前を呼ばずにはいられなかった。
    しっとりとした感触を楽しむように、何度も唇を重ね合わせる。角度を変え、長さを変え、時々唇を甘噛みしながら、数日間味わえなかった沢北の唇を、思う存分楽しむ。そうしている内に、沢北の眉間に皺が寄っていき、「ん、」という寝起き特有の吐息が漏れ始めた。それでも俺は、沢北から唇を離しはしなかった。

    「んぅ……」
    「……」
    「んんー……んっ!?え、ちょ、ふかっさ、んンっ、」

    目を覚ましたらしい沢北が、間抜けな声を出した後、塞がれた唇で呻き声を上げた。恐らく、キスをされていることに気付いたのだろう。このまま流されて、いつものようにキスに応じてくれれば、俺だってここ数日で感じてきた違和感に目を瞑って、何事もなかったかのように沢北の恋人でいられただろう。そうなることを願っての行動だったのに、あろうことか沢北は、俺の身体を突き飛ばした。それは、明確な拒絶だった。

    「……」
    「あ……ご、ごめんなさい、俺……」
    「……いいピョン。気にするな。……急に悪かった」
     
    そう言って、沢北の肩をぽんぽんと叩く。それにさえビクッと身体を震わせた沢北を見て、俺は初めて終わりを意識した。
    もう、ダメなのかもしれない。
    そんな考えが脳裏を過り、じわりと目頭が熱くなっていく。それでも、沢北にそんな自分の姿を見られたくなくて、寝室へ足を向けた瞬間、沢北にグッと腕を引かれた。

    「ぅわっ……え、な、何だピョン……?」
    「深津さん、俺とのキス、嫌だって思ってない……?」
    「は……?」

    予想外の言葉に、つい沢北の方へ向き直ってしまう。情けない言葉と声色とは裏腹に、沢北の意思の強さを反映したような視線は、真っ直ぐに俺を見据えていた。そんなチグハグな沢北に、少しだけたじろいでしまう。が、やはり動揺している自分は、表面に出したりはしなかった。

    「キスが嫌だなんて、一度も言ったことないピョン」
    「じゃあ好き?」

    間髪入れずに返された言葉に、すぐには反応できなかった。それは、沢北の言葉に頷きたくなかったからではない。素直に好きだと言えない、面倒な性格のせいだ。それなのに、俺の態度を否定だと勘違いしたらしい沢北は、何かを諦めたように乾いた笑いを零した。

    「ま、いいけどね。わかってたし」
    「……わかってた?」

    オウム返しした俺の言葉に、沢北は小さく頷いた。
    分かってたとは、どういう意味だろう。だって、沢北とのキスが好きじゃないなんて、そんなの事実ではない。口にできなかっただけで、ちゃんと俺は……
    頭の中で色んな言葉がグルグルと駆け巡る。それでもその言葉が沢北に伝わることはなく、沢北は自嘲気味に息を漏らした。

    「俺は、深津さん以外考えられない。深津さんだけいれば、それでいい。それくらい深津さんが好き」

    その熱烈な言葉に心を躍らせる間もなく、沢北は「でも」と小さく零した。

    「でもさ、深津さんは違うでしょ?」
    「は……?」
    「深津さんには、俺じゃなきゃダメな理由なんて、何もないもん」

    掴まれたままだった腕が、静かに離される。沢北の熱が遠ざかり、掴まれていた場所が寂しさを訴えるように、少しずつ冷たくなっていった。

    『俺じゃなきゃダメな理由なんて、何もないもん』

    沢北の言葉が脳内で何度も再生される。その決めつけのような、諦めのような言い草に、心臓が嫌な音を立てていくのが自分でも分かった。
    反論しようと、唇を舐める。その唇がいつも以上に乾いていて、その時に自分が酷く緊張していることに気が付いた。

    「そんなこと、」
    「ないって言い切れるの?」
    「え……?」
    「告白した時、深津さん言ってたよね?『仕方ないから流されてやるピョン』って。怖くて確認できなかったけど、あの日からずっと、深津さんは流されてくれてるんだろうなって……」
    「……っ、そんなわけ……!」
    「ないって言い切れないでしょ?実際、好きって言うのも、キスをするのも、セックスの誘いも全部俺からで、深津さんから自主的にしてくれたことなんて、殆どないもん」
    「それは……」
    「それに、悲しい時に慰めてくれる人が、俺の他にいるんでしょ?」

    沢北の目が俺に向けられる。俺を見ているようで、何も見ていないような、そんな視線だった。光を宿していない瞳は、言い知れぬ絶望に苛まれているようで、心臓が酷く痛んだ。
    違う。あれは事実なんかじゃない。キスなんて、沢北以外とする訳がない。
    そう目の前の男に伝えたいのに、冷静でいられない頭では、何を言えば良いのか分からなかった。

    「沢北、あれは……」
    「いいよ、何も言わなくて。何も知りたくないし。深津さんが俺の恋人でいてくれるなら、俺はそれでいい」

    その言葉が耳に入り、脳を通り過ぎ、心臓辺りに僅かな重さを残した。それはつまり、『沢北の恋人』という肩書でいるうちは、沢北以外の人と何をしてても構わないということだ。
    独占欲が強くて、嫉妬深い沢北が発した言葉とは思えず、俺はギュッと唇を噛み締めた。

    「……それは、本心か?」
    「……」
    「俺が沢北の恋人でいるなら、他の誰かと何をしても平気ってことか?」

    接尾語を付ける余裕なんてなかった。少しだけ強くなった語尾に、沢北がハッと顔を上げた。そして苦しそうに顔を歪ませて、「平気な訳ない……」と小さく呟いた。

    「深津さんが、俺以外の人とキスしたかもしれないって知って、本当は気が狂いそうだった。すぐにでも上書きしてやりたかった。深津さんの身体に、俺以外の誰かの温もりを残したままにするなんて、そんなこと……」
    「だったら、さっさと上書きすればよかったピョン」
     
    俺の言葉に、沢北は小さく首を振った。

    「だって、怖かったんだもん……」
    「……怖かった?」

    俺の問いに、沢北が小さく頷いた。

    「俺は、深津さんしか知らない。手を繋ぐのも、誰かを抱き締めるのも、キスもセックスも、全部深津さんとしかしてないし、する予定もない。だから、」
    「……」
    「だから……キスもセックスも、深津さんに触れること全部、自分がちゃんとできてるのか、それとも間違ってるのか、何も分からなくて……」

    沢北が自分の手のひらを見つめる。少しマメのあるその手を見て、沢北の顔が苦しそうに歪んだ。

    「深津さんはいつも気持ち良さそうだし、俺が触ると幸せそうにしてくれるから、大丈夫だって思ってた」
    「……今は、思ってないピョン?」
    「自信はない、かな。他の人と比べられたら、俺の全部が大したことないって思われるかもしれないって、今はそう思ってます」

    ヘラリと、沢北が力なく笑う。全てを照らす太陽のように笑う沢北が、涙を堪えるように歪に笑っている。そうさせたのは間違いなく自分なのに、自分ではどうすることも出来ないように感じて、ドクドクと心臓が嫌な拍動を続けた。
    そんな俺の様子に全く気が付いていない沢北は、独り言のように小さく話し続けた。

    「もし他の奴とのキスの方が気持ち良いって思ったら?それで、俺とのキスを嫌がるようになったら?キスだけじゃなくて、セックスだって……俺以外で気持ち良くなれる可能性に気付いたら、俺じゃなきゃダメな理由がなくなっちゃう……そうなったら、きっと俺は、深津さんの恋人でいられなくなる……そう思ったら、深津さんに触るの、怖くなっちゃって……」

     沢北がグッと拳を握る。その強さとは相反する弱々しい声が、静かな部屋に小さく響いた。

    「情けない男でごめんね」
    「……」
    「でも、別れたくないんです。深津さんが望まないなら、キスもセックスもしなくていい。『他の人としても良い』とは言えないから、それは申し訳ないんだけど……」

    沢北が俺を視界に捉える。相変わらずどこを見ているのか分からない暗い瞳は、あまりにも大きな絶望を湛えていた。
    ここで俺は漸く自分の仕出かしたことの大きさに気が付いた。たった一言の、ちょっとした意趣返しのつもりで軽く放った言葉が、沢北の心に大きな傷を残してしまったと。
    グッと掌を握る。どこか逃げ腰な沢北が俺から逃げないように、俺は一歩踏み出して沢北との距離を詰めた。

    「比べる相手なんて、いないピョン」
    「……、でも、」
    「この前のは、全部嘘ピョン。嘘に決まってるピョン」
    「……嘘?」

    沢北の視線が真っ直ぐに俺を射抜く。訝しげに顰められた眉を指でピンと弾いてみると、更に深く皺が刻まれた。

    「何でそんな嘘吐く必要があったの」
    「うーん……仕返し?」
    「仕返し……?」
    「そう、仕返しだピョン」

    フッと小さく笑ってみせると、沢北は「納得いかない」とでも言いたげに顔を顰めた。「何に対しての仕返しなの」と不満げに零す沢北に、部屋の隅に放置された数冊の週刊誌を指差してみせた。ヒクッと頬が引き攣ったのを見て、俺は沢北の中の罪悪感を擽るように、僅かに声のトーンを下げた。

    「前回の熱愛報道の内容、覚えてるピョン?」
    「え?あ、えーっと……」
     
    言い淀む沢北に甘えるように抱き付き、胸元に頬を摺り寄せる。その状態で追い打ちをかけるように「忘れちゃったピョン?」と独り言のように呟けば、沢北は観念したように「うぅー……」と唸った。

    「覚えてます……確か、チームメイトの知り合いのモデルの子で、飲み会に参加して酔っ払ったその子をタクシーに乗せようとした時に、頬にキスされて、その時の写真を撮られました……」
    「その前は?」
    「その前は……チームスタッフの子で、家まで送ったときに抱き付かれて、その写真が載った気がします」
    「その前は?」
    「その前!?えぇーっと……」

    沢北の言葉が止まる。きっと急いで記憶を辿っていることだろう。沢北のチームのチアガール、駆け出しの女優、現地に取材に行った女子アナ、バラエティ番組で共演したアイドル……パパラッチやマスコミへのガードが緩いこの男は、沢北を狙っている女性との写真を散々撮られまくっていた。その度に、俺が傷付いているとも知らずに。
    はぁ、と小さく溜息をこぼす。それが沢北を非難しているように聞こえたのか、頭上から「あの、」「えっと……」という、焦燥感に苛まれた情けない声が聞こえた。

    「ふふ、もう思い出さなくていいピョン。仕返しは、充分したし」
    「あぁ、仕返しって、そういう……」

    理解はしたけど、納得はしてない。そんな表情で俺を見下ろす沢北に、そっと手を伸ばす。そして、白くて柔らかな頬に優しく触れた。

    「お前のここは、俺以外の感触を知ってるピョン。……俺の身体は、お前しか知らないのに」
    「……!」
     
    俺の言葉に、沢北の顔色がサァッと蒼くなっていく。言い訳をしようとしたのだろう、「あの、」と言い掛けたのを制するように、沢北の唇に人差し指を押し当てた。

    「大丈夫、分かってるピョン」
    「……」
    「だけど、少しだけ悔しかったから、俺が他の奴とキスしたって匂わせてやろうって……それで嫉妬する沢北でも見たら、少しはスッキリすると思ったんだピョン。……そんな訳ないって、考えたら分かるのに」

    安心させるように、口角を僅かに上げてみせる。だけどそれは逆効果だったようで、沢北は泣きそうに顔を歪ませた。

    「深津さん、」
    「何も言わなくていいピョン。沢北は悪くない」
    「でも……」
    「今回のは、全面的に俺が悪かったピョン。そこまで思いつめるとは思わなくて、ちょっとやり過ぎたピョン」

    ごめん。
    放たれた3文字の言葉は、自分でも驚くほど酷く震えていた。
    2人の間に沈黙が流れる。その静寂を打ち消すように、沢北が俺の手にそっと触れ、自分の頬に誘った。

    「確かに俺のここは、いろんな人がキスをしてきました。感触は忘れたけど、その事実は残ってます」
    「……」
    「でもね、深津さん」

    握られた手が、ゆっくりと沢北の頬から、柔らかな唇へと誘われる。

    「俺のここは、深津さんしか知らない」
    「……っ、さわきた、」
    「今までも、これからも、ずっと深津さんだけしか知らない。それは約束できるよ」

    柔らかい微笑みとは相反するような強い視線に、ドクッと心臓が高鳴った。
    ここで素直にならないと。そう思い、俺の手を握っていた手を握り返し、沢北の目をジッと見つめる。

    「俺だってそうだピョン」

    先程の沢北と同じように、指先を自分の唇に誘う。厚い唇の感触を楽しませるように、ふにふにと触れさせると、沢北の喉がゴキュッと大きな音を立てた。

    「ここの感触を知ってるのは、沢北だけピョン」
    「……っ、深津さん、」
    「それに、」

    俺の名前を呼ぶ沢北の声を掻き消すように、言葉を被せる。素直に俺の言葉を待つ沢北の手をキュッと握り、そのまま首筋を滑らせる。途中、喉仏を通過する瞬間、俺の鼻からは甘ったるい吐息が漏れた。

    「ここを撫でられると、勝手に声が出ることも、」

    するすると、沢北の手が俺の身体のラインを撫でるように誘いながら、鍛え上げた胸筋を撫でさせる。沢北を誘うようにピンと上向いた突起を、沢北の指が触れた瞬間、俺の身体はやや大袈裟に跳ね、鼻からは抜けるような甘い声が漏れた。

    「んぅっ……、開発されて、ここが性感帯になってることも、」

    胸元を撫でていた手は、割れた腹筋を通り、そのまま下腹部を優しく撫でた。

    「……ここの奥を擦られると気持ちよくなることも、全部、沢北しか知らないピョン」
    「……っ、アンタ、ほんと……、」

    沢北が喉の奥をグゥッと鳴らし、獣のような目で俺を見下ろした。捕食者の目をした沢北を挑発するように、上目遣いで沢北を見つめる。

    「……好きピョン」
    「え……?」
    「沢北が大好きピョン。初めて会ったときから、沢北のことしか見てない。今までちゃんと伝えられなくて、ごめん」

    ゆっくりと瞬きをしてジッと沢北を見つめると、その仕草が好きな沢北の頬が、微かに色づいた。

    「沢北以外に触られたいなんて、そんなこと思ったこともない。俺の身体も、沢北以外を知る日なんて、この先ずっと訪れないピョン」

    握ったままの手を、更に強く握り締める。自分の体温が上がっていくのを誤魔化すように、小さく長く息を吐き出して、内緒話をするように、沢北の耳に唇を寄せた。

    「だから、そろそろ沢北からキスしてほしい」
    「え、」
    「近くにいるのに触られないのは、ちょっと寂しいピョン」
    「……っ!」

    沢北の身体が僅かに強張る。一瞬動きを止めた隙を突くように、逞しい背中に腕を回し、胸元に顔を埋める。
    数秒後、ようやく我に返ったらしい沢北が、俺の耳に唇を寄せた。そして、甘く痺れるような低音を響かせた。

    「深津さん。キスしたいから、顔上げて」
    「やだピョン」
    「何で!?普通このタイミングで拒否する!?」

    まさか断られるとは思ってなかったのだろう。沢北は情けない声を出しながら、俺の顔を覗き込もうとしてくる。それを阻止するように、更に強く抱き付くと、沢北が何かに気付いたように「あ、」と零し、そして嬉しそうに笑った。

    「深津さん、首と耳、赤くなってるよ」
    「一々口に出すなピョン」
    「あはは、照れてる。珍しー」

    からかうように笑った沢北が、黒く揺蕩う髪を撫でるように、柔らかく撫でた。

    「好きだよ、深津さん」
    「……ん」
    「不安になった俺を慰めようとして、頑張って素直になってくれたんだよね?ありがとね、深津さん。大好き」

    その言葉と共に、柔らかい口付けが髪の毛に落とされる。沢北の言葉に頷かない代わりに、黙って沢北の唇を受け入れていると、懇願するような声色が降ってきた。

    「ねぇ、深津さん。俺のこと好き?」

    その言葉に、思わず顔を上げる。そう聞いてきた沢北の表情は、今までのとは打って変わって、自信に満ち溢れていた。「答えは知ってるけど、敢えて聞いてあげますよ」と言わんばかりの顔に、意地悪したくなるのをグッと堪え、沢北の言葉に肯定するように静かに頷く。ついでに「大好きピョン」と呟くと、沢北の顔が幸せそうに蕩けていった。
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    izayoi601

    DONE思いついたので一人飯するじょしょどのの話。台詞などでも西涼二直の中ではじょしょどのが一番食事好きな方かなと妄想…脳内で色々分析しながら食べてたら良いです…後半は若も。庶岱と超法前提ですがもし宜しければ。ちなみに去年の流星での超法ネップリと同じ店です。
    早朝、一人飯「これは、まずいな……」
     冷蔵庫の中身が、何も無いとは。すでに正月は過ぎたと言うのに、買い出しもしなかった自らが悪いのも解っている。空のビール缶を転がし、どうも働かない頭を抱えつつダウンを着るしかない。朝焼けの陽が差し込む中、木枯らしが吹き付け腕を押さえた。酒だけで腹は膨れないのだから、仕方無い。何か口に入れたい、開いてる店を探そう。
    「……あ」
    良かった、灯りがある。丁度食べたかったところと暖簾を潜れば、二日酔い気味の耳には活気があり過ぎる店員の声で後退りしかけても空腹には代えがたい。味噌か、塩も捨てがたいな。食券機の前で暫く迷いつつ、何とかボタンを押した。この様な時、一人だと少々困る。何時もならと考えてしまう頭を振り、カウンターへと腰掛けた。意外と人が多いな、初めての店だけれど期待出来そうかな。数分後、湯気を掻き分け置かれた丼に視線を奪われた。
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