端役の男桐生と駄弁りながら歩いていると、聞き慣れたくもない声が俺を呼んで、思わず舌打ちをしかけた。バタバタと走ってくるそいつは、満面の笑みで俺のことを見る。
「錦山の兄貴!奇遇ですね、こんな所でお会い出来るなんて!」
「錦、誰だこいつは」
桐生が不思議そうに奴の事を見る。俺が仕方なく口を開こうとすると、いつの間にか俺の隣にまで詰め寄っていた男がそれを遮って話し出す。
「最部です、桐生…、の兄貴。最近盃を頂いたんです。…はぁ。尊敬する人は錦山の兄貴です!よろしくお願いします」
何故か俺と桐生の間に割って入るようにして、最部は言う。桐生は最部を見て、そして俺の方を見て、ふっと笑った。
「良かったな。良い弟分が出来て」
「そう言って頂けて光栄です」
「バカ、そんなんじゃねえよ」
俺は慌てて噛み付く。良い弟分な訳がない。何が理由だったのかはもう全然覚えてないんだが、新入りのこいつが兄貴共に詰められてるところをちょっと取りなしてやったら懐いちまって今に至る。とにかく俺の行く先々で現れるし、しかも若干の執着じみた所があって、つまりは面倒臭いのだ、この最部と言う男は。付き纏われてるという言葉が正しく似合いで、つまりは俺はえらい迷惑してる。大体今俺は桐生と話してる訳で、こいつはお邪魔虫な訳で。
「最部、今俺らは忙しいんだ、だから外せ―…、」
「ところで、桐生の兄貴は、…錦山の兄貴と飲み分けた兄弟なんですよね?」
最部は何故かギラギラとした目で桐生を見ていた。つうか、何で間に割って入ってくんだよ。邪魔なんだけど。
「俺、…そういうのは何も無いけど…、でも、…兄貴のことだったら俺が誰よりも考えていますから」
「そうなのか」
「自負はあります。…あなたよりも、」
「…はあ!?」
桐生の困惑した顔より何より、俺の言葉が響き渡る。何をトンチキな事を言ってくれているのだ、こいつは。大体、その宣言何なんだよ。桐生以上の奴なんかこの世にいるか。ポッと出の、まだカタギも抜けきらねえひよっこがいい気になりやがって。
「じゃあ、そういう事で!お忙しいところ失礼しました!錦山の兄貴、また今度。是非次は飲みに行きましょう、二人きりで!」
「お前とは絶対に行かねえよ!」
気色の悪い言葉を吐いて、気持ちが悪いぐらい輝く笑顔を俺に向けて、そして一瞬桐生を睨んで(何が気に入らねえのか、マジであいつ上下関係とか全然分かってないんだな)、最部は去っていった。
「…気ィ悪くさせたならすまねえな、後でシメとくよ。あいつはちょっとイカれてる」
「そうか?良い奴じゃねえか」
「今のでそう思えるのって大概お前くらいのもんだぜ、兄弟」
桐生のこういう所が何とも脱力させられる。鈍いんだか、懐が深すぎるんだか、何だか。お前って奴はよ。
「錦のことを慕ってて、誰よりも錦のことを考えてるんだろ?なら、良い奴に決まってる」
長く煙を吐いて桐生は言った。
「そうか?俺は何だか気色が悪ィけどな」
「それはちょっと可哀想なんじゃねえのか、あいつに対して」
「仲良い訳でもなんでもねえのに付き纏われて、迷惑以外の何物でもねえよ。それに、」
「それに?」
「…、俺には、お前がいるだろ」
本当は少し寂しかった。飄々とした桐生のその様が。別に慌てふためくこいつが見たかったという訳でも無いが、逆に桐生がああいう風に絡まれてる時に、俺がどんな気持ちでいるかなんてこいつは知りもしないんだろうなって、そう思っちまった。
最もなんだかこの感情は女々しすぎて、口に出してしまった事が非常に馬鹿らしい。
「…行こうぜ、まだ今日顔出さなきゃいけねえとこ残ってるだろ」
俺は煙草に火を点けて、誤魔化す。桐生は少し面食らった様に俺を見ていたが、何を言うわけでもなく、俺の後を着いてきた。
ドサ回りが終わって、ほうっとため息をつく。時刻は19時を少し回った所だ。今日は特に事務所に顔を出す必要も無く、さりとてこの後の予定も無く。
「ああ、腹減ったなあ」
「飯でも食うか」
俺のぼやきに、桐生が何気なく言う。ああ、と返そうとして、ふと昼間のことを思い出す。少し意地の悪い気持ちが込み上げてきて、俺はポケベルを取り出す。
「兄弟、俺はさっきのお前の言葉で思い直した。最部、ほら昼間会った新入りが居ただろ。奴をちょっと飲みでも連れてってやろうかと思うよ」
「それはいいな。じゃあ一緒に、」
「いや、あいつ二人きりで、とか言ってたし」
悪いが、今日は他を当たってくれるか、桐生。
そう続けると桐生はぽかんと口を開けた。申し訳無さと、胸を空くような気持ちが交差する。俺が桐生の誘いを断るなんて大抵無い話だから、驚いているに違いなかった。少しは俺の寂しさも身に沁みるだろ、そう思いながらじゃあな、と手を上げたところで肩を掴まれる。
「錦、」
「何だよ」
「お前、俺に悪いとでも思ってるのか?」
「え?」
桐生は本当に、何でもなさそうな、それが当然だという顔をして、言う。
「兄弟、俺は、お前が慕われてるのを見るのは悪くねえ気分だから、何も気にすることはねえ」
「あ、ああ」
「そして、俺は今、お前と飯を食いたい」
「おう…、」
「だから気にするな。最部“も”、呼べ」
こいつ!
俺は思わず顔をしかめた。それは、目の前の男の余りの傲慢さに、だ。つまりは桐生は、俺が自分よりも最部を優先することなんて、毛頭、頭にも無いようだった。どうりで、慌てふためくどころか酷く平静にいられる訳だ。勝手に不安になってるこっちが馬鹿みてえじゃねえか。こんなの理不尽だ。お灸を据えるって意味でも、絶対に俺は今、こいつの誘いを断らなくっちゃならない。そう思っているのに、
「…駄目か?」
桐生を眉を下げてそう言うと、もう俺は何にも言えなくなっちまう。
「あー、…やっぱり、最部はいいや。今はあんまり話したいと思えねえし」
「そうか?」
「今日はお前が付き合ってくれるんだろ、兄弟?」
「ああ」
「何か食いたいの、あるか?」
「腹にたまるもんがいいな、焼肉とか」
「…お前、今日こそ金は持ってんだろうな」
暗くなり始めた街はネオンが光り輝いて俺達を飲み込む。いつもの応酬をしながら、勝手知ったる夜の街を歩いていく。
隣で桐生が笑う。俺も笑う。
やっぱりこいつには敵わないな、なんて、そう思いながら。