勝負の行方 今晩のスタウントンズはいつも以上に騒がしい。なぜかって、それは俺たちが現れたから。スローンズ校バスケチーム。体もでかけりゃ声もでかい。ついでに俺たちは明日からシーズンオフで浮かれている。長いシーズンを今日終え、ずっと我慢していたビールも解禁。盛り上がらないほうが嘘でしょ。この店は大学からまあまあ近くて、何より広くて音楽がガンガンかかってるからちょっとくらい騒いでも平気なので、チームの打ち上げの場所は決まってここだ。隣のリョータは腹減った腹減ったと呪文のように言っている。ここの売りは食べきれないほど盛られたポテトだが、今ならいっぺんに胃の中に収められると豪語している。俺は芋よりポークだな。あ、やっぱ俺もポーク。どうでもいいことを言い合っているうちに運ばれてきたビールで早速乾杯だ。泡が飛ぶほど強くジョッキをぶつけ合い、久しぶりの酒を喉に流し込む。いっぺんにジョッキの半分くらいが空いて、酒臭い息を吐いたところで、入口のほうがひときわやかましくなった。
「なんだ?」
振り返ると体の大きな奴らがわらわらと入ってくる。それが見知った顔だったから驚いた。
「イーストミドルトン校じゃん」
イーストミドルトンとはよく練習試合をする。彼らが利用している体育館がこの近くにあるのだ。よく試合をしているので、選手たちとも結構仲良くなった。さっそく声を掛け合ってる奴らもいて、こりゃ今日はいつも以上に大騒ぎだなと思う。そこに「リョータ!」と声がかかる。隣でリョータがキョロ距離しはじめたが、俺のほうが先に大きく手を振っている日本人に気が付いた。あそこだよ、と教えてやる。声の主は人混みをかきわけ、あっという間に俺たちの前へやってくる。
「まさかここで会うとはね!」
「久しぶりだねエージ」
俺たちはハグを交わすが、リョータはちょっと顎を上げるだけの挨拶だ。日本人はあいさつでハグしねーの、とはリョータの弁。
エージはイーストミドルトンにいる日本人留学生で、俺たちのひとつ上の学年だ。リョータとは同じ日本人だから最初から気安くしゃべっているのかと思ったら、日本の高校でも対戦したことがあるらしい。「運命じゃん」と言うと、「そんなんじゃねーんだよ」と返ってきたが、日本からアメリカにバスケのために留学して、なおかつ高校時代のライバルとこの広いアメリカでもライバルになるってなかなかないことだと思わない? ともあれ、リョータとエージは仲がよくて、お互いの家もよく行き来しているらしい。昨日エージのうちに泊まってたんだけど、って話もよく聞く。でもエージのうち泊ってたんだけど、って言ったある日のリョータの首筋、Tシャツが隠れるか隠れないかくらいのところにキスマークを見つけたときは、もちろんにやりと笑って言ってやった。
「嘘つかなくていいぜ、エージのうちじゃなくて、女の子のうちだよな」
リョータ、めちゃくちゃ真っ赤になって照れてたので面白かった。頼むからそれ以上詮索はやめてくれ、と涙目で頼まれたので、その場で突っ込むのは止めたが、そういや、女の子とはどうなったんだろう?
だが、それを蒸し返す前に誰かが「バスケと俺たちの友情に乾杯!」みたいなことを言って音頭を取ったので、俺たちはまた奇声を上げてジョッキを合わせることになった。
シーズンオフだ、明日からは休みだ、今日は大暴れだ、みんながみんなそんな気分だから盛り上がらないわけがないのだ。俺たちも三人でジョッキを合わせた。
翌日からは練習なし、今日はどれだけ深酒しても許される。そんな中での酒がおいしいのはもちろんで、俺たちのジョッキは順調に空になっていった。踊っているグループもあれば、ダーツをしているグループもある。俺がトイレに立つときは、三人でスローンズ対イーストミドルトンのビリヤード対決の白熱した試合を眺めていた。だが、戻ってくると様子が変わっていた。リョータが飲み物を置いたテーブルの上を片付けている。
「なに?」
「ちょうどよかった。ヘンリーが審判だ!」
状況がわからない俺に、リョータが声高らかに宣言した。
「ヘンリー、お前、リョータに味方すんじゃねーぞ」
エージが人差し指を俺の鼻の先に向ける。
「だから、なんだよ?」
二人は答えなかったが、肩を回したリョータがよし、と気合を入れてテーブルの上に肘をついたので理解した。アームレスリングだ。こっちでもスローンズ対イーストミドルトンの戦いが始まるってわけか。審判に任命された俺は重々しくよし、と言う。
「5回勝負な、3回先勝で試合は終了。それでいい?」
二人が頷く。
「負ける気がしねー」
エージがにやりと笑い、リョータはぶすっとして日本語で言った。
「ぶっ潰す」
リョータに習ったので俺はこの日本語の意味がわかった。エージがにやりと笑って言い返す。
「受けて立つ」
やべえな、ドラゴンボールみてえ。俺はちょっと興奮しながら言った。
「ところで何賭ける?」
二人は口をそろえた。
「そりゃもう決まってる。いいからやるぞ」
気迫に負け、俺はそそくさと二人ががっつりと組んだ拳の上に手を載せた。
「オーケー、いくよ。Ready GO!」
一回目の勝負はあっさり、そう、驚くほどあっさりリョータが勝利した。
チビのリョータはどこへ行ってもアンダードッグなんだ、と言ったことがある。アメリカでだけじゃない、日本でだってこんなチビにバスケができんのかよって思われてた、と。だからアンダードッグには慣れてるし、その立場にいるのも悪くない。俺のことをばかにしてたやつらの鼻をあかすのは快感だよ。そのとおり、俺たちは練習初日でリョータのスピードに翻弄され、彼への評価を一変させたわけだけど。今だって身長も体つきも明らかに大きなエージが負けて、周囲から歓声が上がった。歓声につられて、ギャラリーが集まる。
「まあ、今の様子見だから」
といいつつ、エージの顔にはくやしいです、が滲み出ている。
「エージ、リョータは結構強いよ、ぼんやりしてるとすぐに勝負ついちゃう」
興味を持って集まったギャラリーの中で二戦目。やっぱりリョータの勝ち。リョータは小さくガッツポーズをし、俺とハイタッチをする。
「このままいけそ?」
俺はリョータの耳元で尋ね、リョータはどうかなあ、と首をかしげるが、目元が笑っている。面白がった周囲が賭けを始めようとする。もちろん俺たちのチームメイトはリョータのほうに着く。イーストミドルトンのチームメイトはエージを脅し始める。
「お前、簡単に負けんなよ!」
「わかってるよ!」
そして三戦目。最初の二回よりは時間がかかった。お互いじりじりと攻めて、攻めて、最後にエージが一気に体を回転させた。肩の力と体重を相手の腕に伝えることができれば、体重差のあるリョータはひとたまりもない。リョータの腕はあっけなくテーブルに倒される。歓声はさらに大きくなる。リョータがくそ、と吐き捨てる。
「2-1、引き続きリョータは大手をかけてる、エージは後がない。それにしてはエージの表情には余裕が見える。さて勝負の行方は?」
お祭り騒ぎが大好きなルークが実況を始めたから、周囲はまたさらに盛り上がる。
「うん、感覚つかめてきたかな」
エージは笑う。
「笑ってられるのも今だけかもよ?」
リョータは言い返す。二人とも一歩も譲らないまま、四戦目。一気に攻めようとしたエージだけど、リョータが譲らず、少し膠着したが、最後はフックを使ったエージが勝ち。エージは両手を挙げてガッツポーズ。だけど、これはちょっとリョータのほうが手を抜いたように見えなくもない。リョータは苦笑いしている。いや、さすがにここで手を抜くのはないか。ここで手を抜けるリョータの度胸ってどんなもんだ?ってなるもんな。
勝負は最終戦にもつれ込んだ。
「いよいよ最終戦です。さあ、賭けて賭けて!金はこの後、勝ったチームのビール代に消えます!」
二人を置いて、周囲は盛り上がっている。二人は首を回し、肩を回し、体をリラックスさせてから、好戦的な視線を交わす。
「いつも言ってるけど、スタミナだよ、リョータくん」
「どーかな。俺にはお前にはないここがあるから」
リョータが指先で頭をとん、と叩く。リョータ、相変わらず人を煽るのがうますぎる。
さて、泣いても笑っても最後だ。エージにはリョータに味方すんなと言われたが、俺はリョータ、頑張れよ!と声をかける。二人の拳を上から押さえる俺の手にも力が入る。――ReadyGO
腕相撲は筋肉と体幹っていうのは当然だが、勝つためのコツもある。姿勢の保ちかたとか、腕と体の距離とか、手首のスナップの利かせかた――そして最後に戦略。勝負が長くなればなるほど、戦略の重要性が浮かび上がる。
最後は今までになく長時間の対戦だった。どちらかが劣勢になってもまた盛り返す。腕は右に傾いたり左に傾いたりしながら、やっぱり最後には真ん中に戻ってくる、を繰り返している。
そろそろお互いが疲れてくる頃……リョータがふと手の握り方を変えた。相手の手を開かせ、筋肉を使いづらくする。いわゆるてこの原理だ。エージの掌が天井を向けば、勝負は決まったようなもの。
リョータがにやりと笑う。エージのこめかみに汗が光った。ロッキ―のテーマでも流せばちょうどいいかもしれない。映画だったらここからスローモーション。現実はリョータの手がゆっくりと確実にエージを追い詰め、反撃を許さない。やがてエージの腕は無残にテーブルに叩きつけられた。リョータの戦略勝ちだ。
今までにない歓声。俺たちは勝者リョータを抱き上げる。エージはみんなに頭を叩かれ顔を覆っている。
新しいビールのグラスを持って俺たちは再度乾杯した。
エージはめちゃくちゃ悔しそうで、リョータは上機嫌。エージはリョータに日本語で何か言っている。俺がわかったのは「下」って言葉だけだ。
「なにがボトムなわけ? そうだよ、お前ら一体何を賭けてたの?」
俺は肝心なことを思い出しそう尋ねる。リョータがビールを吹き出す。エージは一瞬言葉に詰まった。
「えっと……それは」
お前、いつの間に日本語うまくなってんの? リョータががははと笑いながら俺の背中を叩く。まあね、俺は胸を張る。大学で選択している第二言語は日本語だし、何より毎日リョータといると日本語を聞くチャンスも多いのだ。そのうちお前らの会話がわかるようになるかもしれない。
「それはさ……」
エージが言いにくそうにしている横で、リョータが笑いながら言葉を継ぐ。
「どっちがベッドの上使うかって話だよ。こいつんち二段ベッドだから。今日は俺が上、エージが下」
そうしてリョータは宣言する。
「いいな、エージ、今日はお前が下だ!男に二言はねえよな!」
エージがしおしおと頷き、次は負けないから、と言っている。
へえ……。ベッドの上下決めるだけなのに、すげえ勝負だったな。俺は思う。どこまでもお前らライバルだな。だけどなんとなく解せねえ……。
その日の種明しは十年以上経ってから行われることになる。そのときになって初めて俺は気付いたわけ。結局アンダードッグは俺だったのか、って。