朧 まだ緩い指輪を嵌めた拳が、汚い頬と顎に当たり、肉の向こうに並んだ歯を数本倒した。捻って振り上げた脚の脛に、等間隔に並んだ肋が食い込む。こういう骨同士のぶつかる衝撃が、ようやく俺に痛みと生を感じさせてくれていた。
何かを仕込んでいるらしい靴先が自分の太腿と大腿骨を蹴り上げると鋭い痛みが一瞬走って、すぐに消えた。膝が軋んでぐらりと傾きそうなのに、痛みはもやがかかったみたいに朧げで、それでいて頭の中は酷く、真冬のように冴えている。
一歩動こうとしたのにうまくいかない体が〝これ以上は無茶だ〟と叫んでいるのが聞こえるけれど、冷たい思考はそれを無視して、続けた。〝止めたくない〟という欲に基づいた判断なのに、何も熱くならないし、そして、楽しくもない。ただ、いま止めてしまうと、痛みが止まってしまうと、一向に流れてくれない時間を感じてしまう。骨を折り、折られ、一瞬得られる痛みの時だけが、時間のことを忘れさせてくれて、そしてその変化が、俺がまだ動き、生きているということを感じさせていた。
「なにボンヤリしてんだッ」
――ふと気がつくと、背中いっぱいにコンクリートの冷たさを感じていた。古びて凹凸が出たその地面は、伸びたらしい俺の体を無機質に受け止めていたみたいだ。重たいまぶたを開けようとすると、パリパリと何かが剥がれるような心地がする。呼吸をしてみれば錆びた鉄の臭いがしたから、きっと頭やらから流れた血が張り付いていたんだろう。
時間を忘れるすべは他にもあったな。寝ている間は、時間を感じずに済む。いつまでも眠り続けることはできないとわかってからは、結局普通に馴染んだ眠り方をするようになったけれど、こうやって昏倒して意識を飛ばすならもっと寝られるのかもしれない。そして、意識が飛んだまま、一生時間を感じずに済むのかもしれない。
「ルカァッ いつまでも寝てんじゃねぇ」
獣のような野太い怒声が、虚ろへ溶けようとした思考に突き刺さってきた。体同士がぶつかる音とともに必ず、耳につくその低音で発せられる勢いづけの一言が繰り返されて、ちくちくと思考を刺激する。
「オイッ、もう起きてんだろっ、て さっさと手伝え!」
鳴り止まない拳殴と脚撃の中でも、聞き慣れた声ははっきりと認識できてしまった。認識を始めると、薄広がっていこうとしていた意識がまとまり始めてしまう。そのまま広がって、遠くへ行かせてくれていれば、俺もアイツも、もっと自由になれただろうに。弟想いのお兄ちゃんは、そうさせてはくれない。
「あ〜あ」
すっかり醒めてしまった頭をぐんと跳ね起こして、終わりの見えない時間をまたゆっくりと進め始めた。