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    saku

    太中メインで小説を書いています。

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    POIPOI 29

    saku

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    pixivの再掲

    #太中
    dazanaka

    君ヲ思フDAY.1

     一目見た時から特別だった。

     声も、仕草も、口癖も、髪型も、痩躯も、顔も、……暗い瞳も。
     全てが気に入らなくて、全てが特別だった。
     同年代の人間は周囲に沢山居た。
     皆、自身を慕い、敬い、畏怖した。
     だが、奴だけは違った。
     奴は対等だった。
     慕いもしないし、敬いもしないし、畏怖もない。
     どこまでも対等で、どこまでも同等だった。

     だから、奴に対するこの気持ちが特別なのは、奴が特別ではなかったから、なのかもしれない。

     挨拶代わりに喧嘩し、共に任務をすれば喧嘩し、何をするにも喧嘩をした。
     喧嘩など、羊に居る時にした記憶はない。

     そして、いつからだろうか。
     特別じゃないから特別だった奴の、特別になりたいと思ってしまったのは。




     
     その日、いつもと変わり映えのない喧嘩をしながら、変わり映えのない任務を片付けた。

     ありふれた通りだった。
     何処にでもありそうで、記憶にすら残らない道。
     強いて云えば道の脇に花壇があるくらいだった。

     数歩前を歩く、外套が揺れる背中を見つめていると、何を血迷ったのか。  

    「太宰」

     呼んだからといって、素直に足を止めるような性格ではないのはわかっていた。
     だから、振り向かない背中に告げた。

    「好きだ、って云ったらどうする?」

     そこで、太宰はようやく足を止めた。
     喧嘩の延長などではなかった。
     気負っていない平坦な声で、中也は淡々と声にした。
     その事が余計に、冗談などではないと伝わっただろう。

     太宰が、どんな顔で振り向いて、何を答えるのか想像が出来ない。
     今更ながらに、緊張しているのだと気付く。
     無意識に、拳を握りしめていた。

     「……中也」

     名を呼んだ声は落ち着いているのに、矢鱈大きく聞こえた。
     振り向いた太宰の表情に、中也は目を見開く。

    「君は本当に救いようの無い莫迦だね」

     笑っていた。
     暗い瞳に不気味な光を宿し、目を細めて笑っている。
     その太宰が続けて云う。

    「それに応えると思うのかい? 本当に救えない」

     容赦のない言葉に、何故か胸が痛み、喉から咽せそうな塊が込み上げる。
     瞳が熱を持ち、何かが溢れそうになる。
     それを堪える為に、握った拳は力を込めすぎて白くなっていた。

     中也の変化を気に留める事もなく、残虐にすら見える笑みを貼り付けたまま、太宰は続ける。

    「あ、そうだ! そんな救いようのない君に一つだけ猶予をあげよう」

     パンッ! と手を叩いた太宰は愉快で仕方ないと云わんばかりだった。
     
     中也は、ただじっとそれを見返していた。
     わかっていたはずなのに。
     真剣な想いを告げて、何を期待していたのだろう。

    「一週間」

     人差し指を立て、にんまりとした顔で太宰は云った。

    「私をその気にさせてみせてよ。そうしたら、今度は私から告白しようじゃないか、ね、中也」

     太宰にとっては、中也の想いなど悪ふざけの為の道具にしかならないのか。

     握った拳に爪が食い込む感覚がしても、そこから血が流れても、呼吸が止まってしまいそうな程の胸の痛みで麻痺していた。

     悔しさに頭がどうかしてしまいそうだった。
     これなら、報われないだけの方がマシだった。

     一度だけ、胸に澱む空気を吐き出し、中也は云った。

    「……後悔させてやるぜ、太宰」

     中也の言葉に、太宰はほんの少しだけ瞳を揺らす。
     その意味を、中也が正確に捉える事は不可能だった。








    *   *   *

    DAY.2

     既に中也が後悔しそうだった。

     あの後、首領に報告があるからと、一応はニ人揃って執務室を訪れた。
     常日頃から喧嘩に明け暮れている太宰と中也が、終始互いに言葉を交わさない事に森は表面に出さない程度には気に留めていた。

     いつもの喧嘩とは異質な何かが二人に起きた。
     それが、何によるものか、誰によるものか、報告をする二人を観察しながら森は表情を変えないまま推察していた。

     そして、森は報告を終えた太宰と中也に云った。

    「ご苦労様、明日からも頼んだよ」

     それがどういう意味合いであったのか、判明したのは明けた今日だった。
     


     2日目、と中也は心の中でぼんやりと思った。
     今日も太宰との任務を森は命じていた。
     
     まだ微かに違和感が残る手のひらを眺める。
     はぁ、と出た溜息に、爪痕が残る手を握り締めた。

     一週間何もしなければそれで終わる、とは思えなかった。
     相手はあの太宰だ。

     中也が必死に無かった事にしようとしても、太宰はそれを許さないだろう。
     
     また溜息を吐いて、中也は支度をする為に洗面所に向かった。

     
     足取りは重い。
     異能でも使えば少しは軽くなるかもな、と馬鹿馬鹿しい事を思いながら、終始無言の太宰の数歩後ろを歩く。
     
     任務の為に合流した太宰は、「着いて来て」と何の説明もないままに歩き出した。

     本日何度目になるか知れない溜息を吐き、窒息しそうな空気の中、黙々と足を前に進める。
     任務の内容は作戦指揮をとる太宰に真っ先に知らされる。
     その後、必要があれば太宰から何かしらの指示がある。
     無ければ待機、というだけ。

     周囲に人の気配は無く、朽ちて錆びついた印象を受ける景色だけが広がる。
     此処でポートマフィア関連の任務があるとは思えなかった。

     疑問ばかりが浮かぶが、今の太宰に何と声を掛けていいか、意を決して口を開いても声が出せなかった。

     ふいに、太宰は足を止めた。

    「中也」

     釣られて中也もその場に止まり、名を呼ばれた事に少しだけ目を見開く。
     こんな所に連れ出され、何を云われるのか、何をやらされるのか、全く予想が出来ない。
     嫌な汗が流れるのを背中に感じた。

     振り返った太宰は、にんまりとした笑みを貼り付けていた。

    「まだ伝えてなかったよね、此処まで来て何をするのか」

     明らかに首領命令の任務ではない太宰の言葉に、中也の心臓が跳ねる。
     太宰は、ただ楽しんでいる。
     中也に嫌がらせをする為なら労力を惜しまないこの鬼畜は、逃げられないこの状況下で、ただ楽しんでいる。
     
     反射的に舌打ちが出た。
     それを太宰は気に留める事もなく、此処からではまだ距離がある巨大な建物を指した。
     
    「あそこ、ぶっ壊して来て」
    「あ?」

     太宰が指差す先、中也は確認する為に顔を向ければ何階建てになるのかもわからないビルがあった。
     用途は不明、むしろ今現在使われているのかもわからない程寂れている。

     太宰は指した手を下ろすと、軽薄な笑みを中也に向けた。

    「下手したら死んでしまうかもしれないけど、中也なら平気でしょ」

     中也を映す暗い瞳には何の機微もない。
     何故あの建物を壊す必要があるのかわからないまま、何の説明も無い。
     
     本当に、ただ嫌がらせの為だけに太宰は此処まで中也を連れて来たのか。
     
     氷で刺されたかのような冷たさが心臓を襲った。
     五月蝿いくらいに鼓動は鳴っているのに、止まってしまいそうな痛みが走る。
     奥歯を噛み締め、溢れ出して壊れてしまいそうな感情を押し殺す。
     
     これが、太宰に好きだと伝えた代償だと云うのなら。
     塞がりかけていた手のひらの爪痕が、再び開く感覚がした。
     血が出る程に握りしめていないと、冷静ではいられない。
     
     感情を押し殺し、出来るだけ平坦な声で中也は返す。

    「……余裕なンだよ、此処で大人しく待ってやがれ」

     太宰のあの無機質な瞳に自身を映し続けるのは耐え難かった。

     中也は歩き出し、立ち止まったままの太宰を追い抜く。
     後は、少しでも早く離れる為に無心で歩を進めた。
     太宰から遠ざかる程、目的のビルはその大きさを増していく。

     その巨大な建造物を睨みつけ、中也は心臓付近の服を握り締めた。
     ズキズキと増すばかりの痛みに、息が詰まりそうになる。

     望みがない想いなら、せめて無かった事にすれば良かったのに。

     建物付近まで来た中也は、一度その大きさを確認する為に見上げる。
     
     本当に死ねたら、さぞや立派な墓標になる。
     皮肉のような、憐れみのような笑いが込み上げた。

     太宰に、中也の事が好きだと、そう思わせる為に何をすればいいのか。
     約束の日の終わりに太宰は何を云うのか。
     何もかもがわからなくて、中也は今だけは思考を止め、巨大な建造物の中に踏み込んだ。








     安全だと思われるだけの距離をとり、太宰はその光景を確認した。
     倒壊していく巨大な建物を眺め続け、崩壊が確実に収まってから、太宰は瓦礫が積み重なるその場所へ歩を進める。

     中也の異能ならば、どれほど巨大な建造物だろうと死ぬなんて事は絶対に有り得なかった。
     
     ちょっと揶揄ってみたらどんな反応をするかな、と思っただけ。

     細かい砂煙が舞う中、太宰は少し咽せながらも明確な目的があるかのように迷いなく進む。

     太宰がぴたりと足を止めた先。
     小さな瓦礫が積み重なり、不自然な膨らみが出来ていた。
     その瓦礫を、太宰は無造作に退かしていく。

     現れたのは、埃と砂を全身に被り気を失っている中也だった。
     見たところ外傷は無い。
     そこでようやく、太宰は息を詰めていた事に気付いて、静かに吐き出した。

     近付いて呼吸を確認すれば、安定した吐息が当たる。
     意識はまだ戻りそうにない為、助け起こすように中也の体を抱き上げる。

     密着したせいで中也の鼓動を感じた。 
     一瞬、何かに反応したように太宰の瞳が揺れる。
     だが、その事に太宰自身は気付かないままだった。

    「……お疲れ様、中也。任務完了だ」



     
     





    *   *   *

    DAY.3

     目が覚めれば医務室に居た事に驚いて中也は飛び起きた。
     太宰の嫌がらせでビルを破壊してからの記憶が無い。
     何故、此処に居るのか思い出そうと記憶を辿れば胸が締め付けられるように痛み出した。

    「ッ……」

     込み上げそうになるものに頭を抱えるように手を添えれば、手のひらに痛みが走った。
     見れば、自身の爪でつけた小さな傷がある。

     太宰に想いを告げてから散々だった。
     体の中の何処かがずっと痛い。
     痛む部分を切り取ってしまいたい程に苛んでいる。

    「……いっそ、嫌いに……」

     云いかけて、口をつぐんだ。
     そんなのは、無理だ。
     
     俯いた視線の先に細く光が差し込んでいるのが見えた。
     その光の元を辿れば、僅かに開いたカーテンから太陽光が入り込んでいる。

     その光の強さで、今が朝なのだとわかった。
     ……3日目。
     と真っ先に浮かんだ。

     昨日の出来事は振られたも同然だった。
     まだ、何もしていないのに。
     太宰には中也の気持ちに答えるつもりなど最初から無い。
     僅かでも望みがあるのなら、あんな事云うはずがない。

     中也は爪痕が残る手のひらを握りしめる。
     奥歯を噛み締め、目から溢れそうになる想いを必死に堰き止める。
     
     まだ、4日ある。と慰めのように呟いた。

    「おや? 気がついたようだね」

     森の声に、中也の目から熱が引く。
     慌てて顔を上げると、森が優しい笑みを浮かべ中也を見ていた。

    「外傷は無いから戻っても大丈夫だよ。紅葉くんが心配していたからね、顔を出すといい」
    「首領、俺……」

     何を云おうとしていたのか、混乱して整理出来ないまま中也は身だけ乗り出す。

    「ん? ああ、此処に運んで来たのは太宰くんだよ。当人には黙っているように云われたが、それでは不公平だからね」
    「不公平……?」

     森の言葉の意味がわからず、中也は訝しむ。

    「ともあれ、無事で良かった」

     森は中也の頭をポンっと撫でた。
     その予想外の行動に中也の脳内は更に混乱する。

    「中也くんが今危惧している事があるとしたら、それは当人にしか解決出来ない。決して逃げない事だよ」

     その言葉に、中也の脳内の霧が突然晴れたような衝撃が走った。
     森は、太宰との事は知らないはずだった。
     それでも、その言葉で何かが中也の中で変わった気がした。
     


     森に礼を云い、中也は医務室を辞した。
     紅葉が心配していたと聞いていた為、今日は何処に居るのかと考えながら廊下を歩いていると、

    「「げ」」

     重そうな本を抱えた太宰と出会した。
     
     確かに、今日中に太宰には会おうと思っていた。
     だが、中也の中ではまだ整理が済んでいないし、何より心の準備が出来ていない。

     二の句が告げない中也より先に、太宰が不機嫌丸出しで、

    「は? 何、げって」

     抱えていた本を床に叩きつけた。
     ビクッと一瞬中也の肩が跳ねる。

    「中也は私の事が好きなのでしょ。なら「げ」じゃなくて「やったぁ!」じゃないの?!」
    「五月蝿ぇな! 手前こそ、俺に会えて嬉しいンじゃねぇのかよ!」
    「は、ぁ?!」

     ほんの僅か、太宰の瞳が揺れる。
     何も考えなどなく突発的に出た言葉だったのだが、思いの外太宰に効いたらしい。

    「嬉しいのは君だろ?! まさか、私がその気になったとでも云うつもりかい?! 君は莫迦か?! 莫迦で自信過剰か?!」
    「手前こそどういうつもりなンだよ! 応える気がねぇンなら最初からそう云えばいい! なんで態々こんな周りくどい事してンだよ!」
    「ッ……!!」

     珍しく言葉に詰まる太宰に、中也は内心意外に感じていた。
     すぐに頭ごなしの屁理屈が飛んで来ると思ったのだが、太宰はしばし口をつぐんだ。
     俯いたせいで目元は隠れ、表情はわからない。
     それでも、噛み締めた口元は見えていた。

     その口が、何を云うのか中也は予想が出来なかった。

    「……どういうつもりかなんて」

     掠れそうに小さな声で太宰が云った。
     
    「私の方が知りたいよ」
    「あ?」

     意味がわからず、中也は太宰を見つめ続ける。
     その太宰は俯いていた顔をあげ、開き直ったかのように今度は大声で云った。

    「私が好きだって云うなら、教えてよ!」

     睨みつけるような眼光で、だが、どこか寂しさを感じるような瞳で太宰は云う。

    「人を好きになるって事を、教えてよ、中也」

     本当に、意外な言葉だった。

     これは、一週間という期限付きの逃れられない嫌がらせだと思っていた。
     太宰の、いつもの悪ふざけで、最初から答えは出ているものだと思っていた。

     だが、今、中也を見つめる太宰の瞳はそれとは異質だった。
     森の言葉を聞いた中也ならわかる気がした。
     太宰がこの賭けを云い出した理由が。

     あと4日。
     中也は口元に笑みが滲みそうになるのをこらえきれなかった。
     一歩で太宰との距離を詰めると、その痩躯を抱き締める。

    「は、ぁ?!」

     動揺に取り乱す太宰の声が耳元でした。

    「いきなり何……?!」

     中也の腕から逃れようとする太宰に、

    「……覚悟してろ」

     挑発的に云う。
     好きだと云わせる為に何をすればいいかじゃなかった。
     約束の日の終わり。
     太宰から云わせる言葉は。




     喧嘩腰のような中也の声音に、太宰の動揺も治まっていた。
     結局中也とはこんな形でしか居られない。
     約束の日の終わりの結末など、太宰は最初から決めていた。
     
     ……はずだったのに。
     抱き締められたせいで中也の鼓動を必要以上に感じてしまう。
     宙に浮いたまま、不自然に行き場を失った両手をどうしていいか分からず、太宰は中也を引き剥がした。

    「本、森さんに怒られるじゃない」

     先程床に叩きつけた本の状態などどうでも良かった。
     その言葉に、一瞬目を見開いた中也が笑い出す顔が見たいだけだった。
     







    *   *   *


    DAY.4

     昨日。
     紅葉の元に顔を出した中也はこれでもかというくらいの心配をされた挙句に事務仕事をたんまりと云い渡された。
     紅葉的には病み上がりで外を飛び跳ねるな、と云う心遣いかもしれない。

     だが、それは開けた翌日になっても終わらなかった。

     口から悲鳴なのか呻きなのかわからない音を漏らしながらパソコンと睨めっこする中也の携帯が喧しく鳴り響いた。 

     舌打ちをしながら画面を確認すると、『鯖』と表示されていた。

     鯖? と自分って設定しておいて事務仕事で疲弊した頭では一瞬何の事かわからず首を傾げた。

     傾げたまま、警戒せずに通話に応じた。

    「塩焼きにすンぞ、死ねや」
    「うわぁ、いきなりな挨拶」

     通話の声は太宰だった。
     よく眠れたのか、声は溌剌としている。
     それが余計中也の機嫌を下降させる。

    「今日は相手してる暇はねぇンだよ。自殺でもなんでもしてやがれ」
    「そう云わずに、たまには私の話しでも聞き給えよ」
    「あ?」

     瞬間的に違和感を察知した。
     太宰が中也に世間話をした事など皆無だった。
     まして通話は任務の確認や合図、それだけだった。
     
     太宰の声に耳を傾けながら、その背後の僅かな音に意識を巡らせる。
     太宰の声は小さい。
     まるで携帯と太宰の口に一定の距離があるかのような。

     つらつらと淀みなく話す太宰の話しは中身のない世間話だった。
     世間話に、聞こえる内容だった。
     背後の微かな物音でどういう状況なのかはだいたい把握出来た。
     太宰の話しで何処にいるのかも、何をするべきなのかもわかった。

     最後に太宰は、

    「そうそう、地震には気をつけてね」

     と、余計な事まで付け加えて通話を終えた。

     舌打ちをして、中也も通話を切る。
     仕事を放り出して外に出れば、紅葉に怒られるのは中也だった。

    「あの糞鯖、道連れにしてやる」

     上着を羽織ると、ポケットからバイクの鍵を取り出した。
     






     ぶつりと切られた通話に太宰は舌打ちをした。
     それが聞こえたのか、硬い物で頭部を殴られた衝撃と痛みが襲う。
     ……痛いのは厭なのに。
     じとりと睨み付ける先には銃口がある。

    「……全く、君達も芸が無いねぇ」
    「黙れよ糞餓鬼」

     威嚇の為か、一発床に撃ち込まれる。
     耳を刺すような発砲音とひび割れたコンクリが出来ただけだった。
     それに太宰は溜息が出た。
     本当につまらない連中だと思う。
     いっそ、眉間でも打ち抜いてみせれば少しは楽しめるというのに。

    「まぁ、いいや。最後に最愛の人とお話し出来て良かった、有難う」

     頭部から流れる細い血が太宰の端整な顔を汚す。
     腹の底が見えない笑みは相手に薄寒さを感じさせる。
     また、発砲音が響く。
     今度は太宰が座らされている近くの床に弾痕が生まれた。
     だが、どれだけ発砲しようと太宰には何の脅しにもならない。

    「虚勢の為の発砲ならやめた方がいい。弾の無駄だよ」

     軽口を叩きながらも、太宰の脳内では正確に時間が刻まれている。
     世間話に過ぎない意味のない言葉。
     中也じゃなければ、わからない暗号。

     布で顔を隠した相手の見当はついていた。
     太宰はあまりにも予想通りに動く相手に、欠伸が出る程の退屈さを感じていた。
     此処に到着するまではまだ時間が掛かる。

     脳内の時刻ではそうだった。

     太宰の口元が、不気味な笑みに歪む。
     だから、出会った時から特別なのだ。

     太宰は周囲の音を消す為と、注意を自身に向ける為に、態と反響する程の声で話し出す。

    「君達の目的は、私じゃないのでしょ」

     太宰から情報を聞き出したい相手は、その話しに銃口を向けながら応じる。

    「本命はビルをぶっ壊した餓鬼だ。だが、手前がそいつと連れ立ってる処を仲間が見てる」
    「へぇ、そう。なら……面白い事を教えてあげよう」

     太宰にとっては今話す事など何の価値も無い。
     精々、自身に注目すればいい。

    「指示をしたのは、私だよ」

     一瞬、息を呑む気配と場が凍り付いたような緊張が生まれる。
     周囲に居た仲間数人が同時に太宰に銃口を向けた。
     今、ぐるりと見渡せば何処を見ても銃口が見られる事だろう。
     それでも太宰の不気味な笑みは消えない。

    「……本当に面白い事を云うじゃねぇか」

     先程から発砲している人物が太宰に云う。 
     そいつが頭かもしれないが、生憎向いていない。

    「どういうつもりだ、餓鬼」
    「どういうつもり? それはこっちの台詞なのだけど」

     何処から銃弾が飛んで来るかもわからない状況下で太宰は淡々と話す。

    「私達がポートマフィアだと知って、そんな口をきくのかい?」
    「ッポート、マフィア?!」

     向けられた銃口はそのままだが、ざわりとした動揺が生じる。
     此処にいる連中は裏社会に通じている。
     そして、その世界でポートマフィアを知らない奴は居ない。
     もし居れば、モグリだ。

    「あ、漸く理解した? なら、ビルをぶっ壊された理由だってわかるでしょ」

     リーダー格の人物の指示を待つまでもなく、複数の銃声が響き渡った。
     その中心に居れば間違いなく蜂の巣にされ、太宰の本望は叶っていた。
     だが生憎、太宰に届く事はなかった。

    「手前……いい加減にしろや」
    「おぉ、流石中也、かっこいいー」
    「黙れ糞鯖、死なすぞ」

     全ての銃弾が、たった一人の人間に阻まれていた。
     火薬の勢いを失った銃弾はただの鉛玉と化し、ころころと床に転がる。

     水を打ったような静けさの一瞬後。
     太宰が口にした名で、周囲にどよめきが広がる。

    「……チュウヤ……? 重力遣いの、中原中也?!」
    「て、ことはまさか、この餓鬼は……ッ」

     威嚇の為に発砲をしていた相手が何者だったのか。
     その正体に気付き、発する声が恐怖に掠れる。

    「さっきから餓鬼餓鬼五月蝿いよ。というか、今から死ぬなら別に相手が誰でも関係ないよね?」

     太宰の言葉が合図になった。
     中也は周囲に赤い光を纏い、異能を発動した。

     瞬間、地響きのような轟音が響き渡り、激しい揺れに支えを失った床が崩壊を始める。
     動揺に統制が失われ、咄嗟の行動が遅れた集団は、何が起きているのか、理解するより早く塵屑のように下階に落ちていく。

     この建設途中の建物に中也が着いた時、丁度発砲音が聞こえた。
     そこで太宰の居る階がわかった。
     後は、通話のくだらない世間話通りに下の階の指定された柱を破壊。
     異能を発動すれば崩落する段取りを済ませた。

     落ちていく人間達を眺めながら、中也は頭を掻き、舌打ちをする。
     何もかもが思い通りで気に食わなかった。

    「手前の処だけは壊してねぇから、勝手に帰れ」

     太宰と顔を合わせれば、昨日の出来事を彷彿とさせる。
     どう接していいか決めあぐねている中也は、視線を逸らしたまま手をひらひらと振る。
     特に気にも留めていないのか太宰は、

    「えぇ、ちゃんと送ってくれ給え。私、拉致されたのだよ?」
    「態とだろが」

     中也は紅葉に許可を取らず、仕事もほっぽり出して来た為、一刻も早く戻らなければならない。
     既にこの場は片付いたものと決めつけ、中也は完全に太宰に背を向けていた。
     その時、

    「ッ中也!!」

     太宰の余裕のない声と同時に発砲音がした。

     嫌な予感に振り向けば、血を流し倒れる太宰の丁度真下の床が崩落しかけていた。
     不規則にひび割れる床に、もう数秒も持たない事がわかる。

    「何やってンだ!!」

     咄嗟に扶けに行こうとしたが、過った思考に足が止まる。

     太宰に触れれば異能は無効化される。
     この崩壊の中、異能が無い状態では間違いなく扶からない。

     ひび割れた床は音を立てて崩れ、太宰を呑み込んで行く。
     先程、塵屑のように落ちていった人間と太宰が同じ状況に陥る。

     太宰は死ぬ事を望んでいる。
     扶けなければ、叶う。

     中也は白くなる程に拳を握り締めた。
     迷っている猶予も時間も許されてはいない。

     異能を発動し、太宰の側まで行くとその痩躯を抱き上げる。
     瞬間、無効化により中也の体から操作可能な重力が失われた。

     後は、太宰諸共、瓦礫に呑まれるしかなかった。












    *   *   *

    DAY.5

     意識が戻った瞬間、それまでに起きた事が一気に脳裏を駆け巡った。
     暗い病室の中、跳ね起きようとすれば、体に繋がれた管がそれを邪魔した。

    「ッ……」

     麻酔が効いているのか、体に痛みはない。
     だが、この状態では此処から動く事が出来ない。
     記憶を掘り返しても、太宰を抱き上げた所でぶっつりと切れ、無事なのかわからない。

    「……太宰……ッ」

     まさか、自身を庇うような行動をすると思わなかった。
     撃たれたのは右脇腹、運が良ければ扶かるかもしれないが、あの崩落だ、どうなったのかわからない。

     視界の端に時計が映り込み、中也は目を止める。
     22:22。
     感覚のずれが無ければ、太宰が云い出した期限の5日目が終わろうとしている時間。
     丸一日、意識が無かった事に中也は動揺した。

     太宰がどういう状況なのか一刻も早く確かめたい。
     中也は忌々しい管を無造作に引き抜いた。
     ふらつく足で、壁に手をつきながら歩き出す。
     
     ポートマフィア傘下の病院なのは直ぐにわかった。
     中也も何度か訪れた事がある為、構造は知っていた。
     その中でも特に要人が利用する病室も。
     中也が居た個室もそうだったが、各階に五室あったはずだ。
     
     人の気配がない廊下を中也は手摺にしがみつきながら目的の病室へ向かう。
     太宰は同じ階の病室にいるはずだった。
     手術が必要な怪我だったはず、なら、態々違う階に運んだりしないだろう。

     五部屋ある個室の中で扉が閉まっていたのは一部屋だけだった。
     一つ一つ確かめる必要が無い事に中也は安堵する。
     じんわりと感じはじめた体の痛みに思考が奪われそうになる。
     太宰の無事を確認するだけ、そうしたら、直ぐに病室に戻る。

     痛みのせいか、嫌な想像が先行するせいか、鼓動が五月蝿いくらいに跳ねる。

     コンコンコン、と控え目なノックをすれば「はぁい」と暢気な返答があった。
     間違えようのない太宰の声、平素と変わらない声音に中也は安堵し、息を吐き出した。

    「……太宰」

     扉は開けないまま、中也は名を呼んだ。
     何を云っていいかわからない。
     ただ、無事であった事に心から安心した。

    「……中也? 何してるの? 入ってくれば?」

     太宰の言葉に、一瞬迷う。
     ゆっくりと扉に手をかけて、開けた。

     静かにスライドする扉が目の前から無くなれば、ベッドの上に居る太宰が見えた。
     中也と同様、体に管が繋がれている。
     包帯塗れなのは相変わらずの為、崩落に巻き込まれて負った怪我が何処かはわからない。

     壁を伝いながらも自身の足で病室に来た中也に、太宰は目を丸くした。

    「……その怪我でもう動くとか、君は本当に脳筋だねぇ」

     太宰に云われ、中也は自身も怪我を負い、包帯を巻いている事に気付いた。
     体の痛みは酷くなっていくばかりだが、それよりも太宰が無事で、目の前に居る事に意識が向いていた。

    「……太宰」
    「頭」
    「?」

     太宰は笑みを浮かべながら、自身の頭をトントンと叩く。

    「ぶつけたんじゃない?」

     云われて、中也は頭部に手を置く。
     確かにそこには太宰と同じ様に包帯が巻かれていた。

    「お揃いだねぇ」

     こんな事でお揃いになっても全く嬉しくはない。
     だが、太宰はクスクスと笑う。
     はぐらかされている様な気がして、中也は溜息をついた。
     痛みで立っている事が辛く、思考も鈍くなってきた為、何処に座り体の重さを預けたかった。

     太宰は中也のそんな気配に気付いたのか、

    「此処に座るといい」

     ぽんぽんと自身のベッドの空いた空間を叩く。

    「……椅子、ねぇのかよ」
    「あるのかもしれないけど、今の中也に用意出来るの?」

     立っているのもやっとの状態で椅子を運ぶなど、考えただけで気が滅入りそうだった。
     だが、中也は首を振り、

    「いや、いい。手前の無事を確認しに来ただけだ。直ぐに戻る」
    「その様子だと、これ、引き抜いて来たのかな。相変わらず、無茶ばかりするねぇ」

     自身の管を持ち上げて太宰は云う。
     
    「無茶なのはどっちだ」

     何も変わらない太宰の態度が妙に苛ついた。
     無事だとわかれば、中也の脳内を占めていくのはあの約束だった。

    「……あと、2日だ、わかってンだろ」

     中也の言葉に、太宰の顔から貼り付けた様な笑みが消え、微かに瞳が揺れた。

    「手前云ったよな、人を好きになるって事を教えろって」

     太宰は沈黙したまま、中也を見つめる。

    「……なんで、俺を庇った」

     体中が痛くて、何処が痛みを訴えているのかわからない。
     痛みに気を取られているせいで自身が何を云っているのか、太宰に何を云って欲しいのかわからない。

     何も云わない太宰の胸倉を、中也は掴む。
     掴むだけで、持ち上げる事は痛みのせいで不可能だった。
     暗い、沈んだ太宰の瞳を至近距離で睨む。

    「何とか云えよ、糞太宰」
    「死ねると思ったから」

     何に対しての答えなのかわからず、中也は一瞬目を見開く。

    「君を庇った理由。まさか、私が中也を好きだから、とでも云うと思った?」

     笑ってはいない。
     なのに、嘲笑われている気がした。

     太宰の言葉に怪我を負っていない心臓が特に酷い痛みを訴え出す。
     まるで血を流しているように、何かが溢れそうになる。

    「命懸けで庇った。側から見ればそうだけど、私にその意図がない場合、それってどういう意味になるのかな」

     中也は爪が食い込む程に拳を握り締める。
     憤りと悔しさに、手が震える。

    「……ッ知らねぇよ!」

     抑えらない感情のまま、中也は太宰の顔を殴りつけた。
     派手な音が病室に響く。

     赤く腫れ始めた頬に、切ったのか、太宰の口の端から細く血が流れる。

    「図星だった?」

     にんまりとした笑みを、中也が想いを告げた時と同じ笑みを太宰は浮かべた。

     それで、悟ってしまった。
     太宰の胸倉から手を離し、ふらつく体を何とか支えて、中也は太宰から離れる。

    「……応える気持ちが無ぇンなら……最初から、思わせぶりな事、云うンじゃねぇよ」

     消えてしまいそうに掠れた声だった。
     何度、絶望すればいいのだろうか。
     その度に太宰は、ありもしない希望を目の前に見せる。
     けど、全て終わりだ。

     ボロボロと、かろうじて堰き止めていたものが目から零れた。
     
     決別に、中也は太宰を睨み付ける。

    「……手前なんて、大嫌いだ」

     歪んだ視界では太宰が今どんな顔をしているか、わからなかった。











    *   *   *
     
    DAY.6

     朝日を、中也はぼんやり眺めていた。

     昨日は看護師に怒られ、医師に怒られ、これから紅葉に怒られる予定だった。

     もう意味は無いのに6日目か、と勝手に思考してしまう。
     約束の日を待つまでもなく、中也の方から降りた。
     これで全て無かった事になる。
     これでいい。
     抑、こんな賭けは最初からおかしかった。

     太宰の悪ふざけで、太宰の嫌がらせで始まった一週間など、最初から無かった事にしてしまえばいい。

     元の通りに管を繋がれた中也はベッドから動く事が出来ず、やる事も無い為無駄な事ばかり思考してしまう。

     紅葉が来れば片付いていない仕事をたんまり持ち込むかもしれないが、それまでは本当に暇だった。
     ベッドに寝転び、白いだけの天井を睨み付ける。

     今、太宰も同じようにこのつまらない天井を眺めているのだろうか。
     何を、考えているのだろうか。

    「……クソッ」

     暇なせいで余計な事ばかり考えてしまう。
     
    「やめだ! どうせ終わったンだからな、寝る!!」

     起きていても終わらない思考の堂々巡りで気が滅入るだけだった。
     目を閉じて意識を飛ばす事に集中する。

     少しでも、太宰が後悔していればいい、と思った。






    「……中也、太宰と何があった」

     紅葉は仕事をたんまりと持ち込む事は無かった、代わりに見舞いの品が病室に溢れかえっていた。
     その中の一つ、中也くらいのサイズがある熊のぬいぐるみを手にし、中也は身を固くする。

     つぶらな瞳がじっと中也を見つめている気がして、ガシッと顔を掴んだ。

    「鴎外殿に云われてのう、太宰の処にも顔を出したのじゃが」

     やれやれと云う様に紅葉は茶を淹れながら云う。

    「門前払いじゃった」

     淹れた茶を中也の前に置く。

    「お陰で中也の病室がこの有様じゃ」

     紅葉は優雅に頬に手を添えるが、病室は足の踏み場もない程になっていた。

     中也は熊の顔から手を離すと、少し潰れた顔をじっと見る。

    「何故、俺に関係してると思ったんですか?」

     今度はぎゅっと抱き締めてみる。
     暇すぎて手持ち無沙汰だった。

     紅葉は目をまん丸にして中也を見た。

    「本気で云っておるのかえ?」
    「は?」

     ぎゅっと熊を抱きしめたまま、中也は訝しむ。

    「それ、気に入ったのかえ?」
    「……いえ、別に」

     自身がしていた行動が急に恥ずかしくなり、熊を離す。
     自立出来ないぬいぐるみは中也の膝にだらりと乗る。

    「何があったのか知らぬが、このままで良いとは思うておらんのじゃろ?」
    「……いいんですよ、このままで」

     視線を下ろせば、太宰を殴った拳が赤くなっていた。
     あの時、太宰はどんな顔をして中也の言葉を聞いたのだろう。

    「今まで通りになっただけです、何も、変わっていません」
    「と、云う顔か」

     紅葉は両手で中也の頬を挟み、視線を合わせる。

    「泣いたのじゃろ? 私を舐めるなよ童」

     優しい瞳で紅葉は中也を見つめる。
     自身が酷い顔をしているのは知っていた。だから、敢えて紅葉とは視線を合わせないようにしていた。

    「私は、中也と太宰がポートマフィアに入った時から見ておる」

     ぐっと頬を挟む手に紅葉は力を込める。

    「何も気付かぬと思うてくれるな」
    「あねひゃん……」

     挟まれているせいで、微妙に噛んでしまった。
     紅葉はくすっと笑うと、手を離した。

    「とは云え、私は所詮他人じゃ。当事者にはなれぬ」

     淹れた茶を喉を潤すように飲む。と、ゆっくりとした所作で紅葉は立ち上がる。

    「後は、当人達で話すがよい」

     紅葉は病室の扉まで行くと、音が出る程の勢いで開けた。

    「ッ!!」

     そこには顔を硬直させた太宰が居た。
     点滴こそ引いているが、歩く事は出来るらしい。

    「私を門前払いしておいて、自身は中也の見舞いかえ? 太宰」
    「……トイレと間違えただけです」
    「化粧室なら個室にもついておろう?」

     紅葉は太宰の脇を通ると、その背を押した。
     よろめきながら、病室に足を踏み入れた太宰の背後で扉が閉まる。

    「な?! あ、姐さん?!」
    「ケジメをつけよ、それまで出る事は許さぬからな」

     物理的に紅葉は太宰の退路を絶った。

     どうしようも無くなり、太宰は中也に背を向けたまま硬直する。

    「……出歩いていいのかよ」

     中也の方から話を振った。

    「……トイレと間違えただけなのだよ」
    「部屋についてンだろ」

     その頑なな態度に笑いが込み上げる。
     そのお陰で、気負う事なく中也は太宰に云えた。

    「太宰、俺は手前との賭けは降りた。手前を好きだって云った事は忘れてくれ、そんだけだ」

     それで終わりにしようとしていたのに、振り向いた太宰の顔に、中也は目を見開く。

    「中也のせいなのだよ」

     泣きそうに歪んでいた。

    「全部、中也のせい」

     体を庇うように歩き、ゆっくりとした足取りで近付く太宰は床に転がるぬいぐるみに足を取られ、派手に転けた。

    「おいっ! 大丈夫かよ」
    「ッ……」

     足元に転がるぬいぐるみを掴み上げ、中也に向けて思いっきり投げつける。

    「ぶっ!!」

     それが見事顔面に直撃した。

    「なんで私に好きなんて云ったの?! 私が好きだって云うのなら、最後まで責任をとれよ!! この糞蛞蝓!!」
    「あぁ?! 責任ってなンだよ!」

     お返しに膝の上に居た熊のぬいぐるみを投げつける。

    「いった!!」
      
     太宰は顔にぬいぐるみを貼り付けたまま、

    「……君が、そんな事を云うから、私は……」

     張り付いたぬいぐるみを掴み、お返しとばかりに中也に投げつける。
     今度はちゃんと受け止めた。

    「一週間あれば、諦めると思ったのに、諦められると思ったのに……」
    「太宰、それって……」

     顔を赤くしながら睨み付ける太宰に、中也の方が混乱する。

    「君を庇った意味なんて、私の方が知りたいよ! なんで……ッなんで中也を特別なんて思うのさ!! 不愉快で、不快で、大嫌いなのに!!」

     太宰の取り乱した言葉に、中也は衝動のままに立ちあがろうとして、管が邪魔をした事に気付いた。
     それでも、出来るだけ太宰との距離を中也は詰めようとする。

    「……俺だって、手前が大嫌いだよ。自分勝手で、偉そうで、人を散々振り回す。けどな、特別なんだから、仕方ねぇだろ、そんな簡単に、無かった事になんか出来るかよ」

     詰められない距離に、中也は拳を握り締める。
     ずっと握り締め続けたせいで、麻痺しそうだった。

    「……ッけど、もう終わったンだよ。太宰、手前が終わらせたんだ」
    「ッ!」

     中也の言葉に、太宰も拳を握り締めた。 
     
     もう、中也の気持ちを手に入れる事は叶わない。

    「退院すれば、また任務で一緒になるだろうよ。それだけだ」
    「中也……」

     太宰は、どこか縋るように名を呼ぶ。
     最初に突き放したのは、太宰の方なのに。
     
    「戻れよ、太宰」
    「ッ……」

     頑なに引く様子のない中也に、太宰は俯き立ち上がると大人しく背を向けた。
     その姿を見送る気などなく、中也も背を向けてベッドに体を預ける。

     静かに閉まる扉に中也は目を伏せた。

     所詮、自分達はこんな形でしかいられない。
















    *   *   *

    Last DAY

     鬱陶しい管からは昨日で解放された事もあり、中也はふらりと院内にある庭に出ていた。
     
     設置されているベンチは他の患者や見舞いに来ている人達で埋まり、何処か座る所はないかとうろうろしていると、

    「此処に座るといいよ」

     ふいに聞こえた声に振り向けば、花壇に太宰が座っていた。
     太宰も点滴は外れたらしく、一人でぼんやり日向ぼっこをしていた。

     断るのも意識しているようで、中也は無言で太宰の隣に座る。

    「明日、退院していいってさ」
    「そうかよ、おめでとう」
    「中也は?」
    「俺はまだ、管を引っこ抜いたせいだってよ」
    「あんな荒技する人は初めてだったろうねぇ」

     クスクスと笑う太宰に、中也は内心複雑な想いに駆られながらも微かに笑みを作る。
     暖かく吹く風が、緩く太宰の蓬髪を揺らす。

    「病室のぬいぐるみ、手前も持っていけよ」
    「厭だよ、この歳でぬいぐるみって」
    「俺一人で持って帰れるわけねぇだろ」
    「寄付でもすれば? ここ小児科あるし」
    「あ、そうか」

     肝心の話があるのは互いになんとなく察してはいた。
     だが、それを切り出す事が出来ない。
     明るい笑い声が聞こえる中、互いだけが異質だった。
     この平和な景色に、溶け込めない。

    「明日、森さん来るって」
    「首領が?」
    「ちょっと、そわそわしないでくれない?」
    「いや、だって、こんな格好だし」
    「そりゃ入院してるのだからね」
    「着替えておかねぇと」
    「患者が病室でしっかり服着てる方が変でしょ」

     沈黙する度に云おうとして、結局はどうでもいい事が口をつく。  
     少しだけ冷たくなって来た風に、中也は身を震わせた。

    「そろそろ部屋に戻る」

     立ち上がる中也の腕を、太宰は引き留める様に掴んだ。

    「なんだよ」

     強い力じゃなかった。
     それでも振り解く事はしなかった。

    「今日で、一週間だね」
    「あ? あぁ、そうだな」

     毎日、何日目か数えていたはずなのに、最後の日だけすっかり抜けていた。
     最初、太宰に想いを告げた時はこんな場所で迎える事になるとは想像していなかった。

     こんな真昼間に、病院の庭で。
     こんな、普通の光景の中で。

    「なんだよ、改めて振る気か?」

     腕を掴む太宰の力はさほど強くは無いが、何処か必死さを感じた。

    「太宰?」

     何も云わず、視線すら中也に向けない太宰の顔を覗き込む。
     
    「……好きだよ」

     中也の瞳が、見開かれて止まった。
     太宰の瞳とかちあう。

    「これが、私の答えだよ」

     腕を掴む太宰の手が、微かに震えている事に気付いた。
     珍しく緊張しているのかもしれない。

     一週間前なら、中也の答えは決まっていた。
     けど、その日はとうに過ぎた。

     もう、戻らない。

    「……太宰」

     中也は腕を掴む太宰の手を離す。
     それが、中也の返事の代わりの様な気がして太宰の瞳が揺れる。

     その、中也だけを映す瞳を真っ直ぐに見返す。
     太宰が中也だけを追いかけて来れると云うなら、もう一度だけ猶予を与えてもいい。

    「一週間」

     中也は目を細めて笑った。

    「俺をその気にさせてみせろよ、太宰」

     その笑顔で、答えは決まっているようなものだった。
     
     一目見た時から特別だった。
     特別だったから、こんな想いを抱いてしまった。

     暗く沈んだ瞳を一度伏せる。
     真っ直ぐに見返す瞳は微かな光を宿していた。

     そして、太宰は告げた。

    「覚悟してろよ、中也」
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