お題:翼「人はもう自由に空を飛べるのに、どうして翼を欲しがるんだろうな」
ぽつり、と兄から溢された言葉に首を傾げる。その手に持たれた社用端末の画面には見慣れた、あまり見たくもない人物の名前が表示されている。
「どうしたの兄さん、取引先の老人のポエムにでも感化された?」
「別にそういうわけでは……いや」
こめかみに指を当て、ゆっくりと瞬きをする。大人になってからは見慣れた仕草だ。
「下らないことを聞いた、忘れてくれ」
「兄さんの言葉を忘れることは出来ないかな。それで?どうしてそんなこと気になったの」
兄さんがこういう意味不明な事を言い出す時は、決まって精神的な疲労が溜まっている。その感傷は解らないが、兄さんが遠回しに僕を頼ってくれているという事だけは解る。もう僕は、それを見逃すような人間ではない。
「……いや、指摘の通りだ。ハイウィンドの組長の演説に感化されただけだ」
「あぁ、あの航空会社の」
件の人物は推進機の関係で関わりのある会社の重役である。普段はロマンチストな老紳士、という印象だが流体力学のプロフェッショナルであり時折斬新な実験を打ち立てる事で有名。とはいえ彼の専門は宇宙空間ではなく各星の地表近くを運航する航空機なので密接な関わり、という訳ではないが落ち目のジェタークとの契約を切らず地道に投資を続けてくれた投資家でもある為、兄さんは彼のインタビューを欠かさずチェックしているらしかった。
「それを聞いて、人間は鳥よりもよっぽど高く広く飛べるのに、思ってみれば"翔べている"と思ったことはないなと思って」
「へぇ」
手持ちの端末で早速演説について検索してみる。確かに、先程兄さんが溢したような言葉を厳かな雰囲気の老紳士が語っていた。曰く、まだ我々は自由ではないから、制限が多いから自由に空を翔ぶという原始的な憧れを叶えられていないのだと。周年記念の会合での演説らしく、最後はより自由に、よりしなやかな翼を人々に与えられるよう我々ハイウィンド社は総力を尽くしていくと締め括られた。
うん、実に彼らしい誠実で真面目な演説だった。でもまぁ
「そりゃそうでしょ、僕達は鳥じゃないんだし、鳥になることも出来ない」
「そういう意味じゃなくて、こうさ」
「こういう意味でも、だよ。だって僕達は鳥みたいに自力で飛ぶことは出来ないでしょ」
結局同じ事を言っているような、と首を傾げられる。
確かに、これは言葉を尽くさないと伝わらないかもしれない。流れていた動画を指先で止めて立ち上がった。
「飛行機もロケットも軌道エレベーターもMCもMSも、多くの人が知恵と努力を重ねて造り出した物だ。そうして今も多くの人が集まって漸く一機完成するようなMSで、漸くたった一人に宇宙を飛び回る能力を与える事が出来る。僕達は今までもこれからも、決して一人で飛んでいない」
瞬間感じた持論を、兄さんの背に回り込みながら展開する。そうしてその背をとんっと軽く押してみる。
「この背に生えてるのは翼じゃなくて、人々の知恵と努力。だから人間はこれからも、鳥のように自由に空を翔ぶことなんて出来ないよ」
飛行機は航路を、MSだって動かす為にはMSそのものにもパイロットにも大量の資格書と証明書、それから申請書が必要なのだ。
それも全て空を飛ぶ責任のため。人は寧ろ不自由を代償に、空を飛んでいる。
「……凄いな、今度それをテーマにインタビューに出てみたらどうだ?」
「勘弁してよ、人前に出るなんて兄さんのサポートだけで充分だ」
兄さんはどうやら僕の持論に納得したようで、小さく頷いてはそんな事を言う。
「そうだな、MSには沢山の人が関わっている、その人達のお陰でパイロットはパイロットでいられる。メカニックとパイロット、どちらのためにもこの考えは忘れないようにしないとな」
「大丈夫だよ兄さん、もし周りが見えなくなって一人で翔べていると思い込んだとしても」
その時はその傲慢な翼を、僕が撃ち落としてあげるから。
なんて事は最後まで言わずとも的確かはともかく雰囲気は伝わった様で、兄さんは苦笑を浮かべた。
そんなことはないということだろう。僕もそう願っている。
だって、きっと次も上手く撃てないだろうから。