宝探しをしようよと木霊が鳴る。
「しねえよ。こっちはオマエを守るために二桁殺ったばかりだぞ」
防衛戦は好きではない。暁人に今日の仕事は一人で十分だから仕事に行けと言った手前、大した怪我はしていないが疲れた。
「そういえば暁人のヤツ、すんなり言うこと聞いたな」
元々今時信じられないくらい素直な青年であるが最近はオレが一人で仕事を済ませようとするとはっきりとは言わないが拒否の姿勢を見せていた。心配性ではある。両親を亡くし、妹も喪いかけていたのだから当然だ。しかしそれだけではない、暁人自身も口に出せない、何かがあったようだった。
それが最近急に消え失せた。
一瞬嫌われたのかとも思ったがそういうわけでもない。
「そう言うなら怪我して帰ってきたら承知しないからね」
と肩を叩いて見送る姿には確かな信頼が感じられた。
「……まあいいか」
単純に一人で戦う癖が抜けていないオレを心配していただけかもしれないし、心身共に健康なら言うことはない。
オレはまだ何か訴える木霊を軽くあしらって禁足地を後にした。
麻里が用もないのにわざわざアジトに来たと思うとオレのところに真っ直ぐ来て訴えた。
「兄が変なんです!」
「また何かに取り憑かれたか」
エーテルを撃ち出すのが得意なオレと違って、伊月兄妹はエーテルを受け入れるのが得意だ。オレや渋谷にいた人間の魂の器になっただけはある。後者は死にかけていたのと般若の野郎のせいだが、とかく今でもこの兄妹は憑かれやすい。
この前も交通事故で死んだ幽霊の失せ物を一緒に探して午前様で成仏できたと帰ってきた。
しかし護身珠も持たせているしそう簡単に取り憑かれるだろうか。
「そうじゃなくて、KKさんも最近の兄の様子が変わったと思いませんか?」
「んー?確かに淀みがなくなったというか……アレはいい変化じゃねえか?」
寧ろ悩みが吹っ切れたのではないか。適合者の力のことや麻里は助かったとはいえ両親のこと、将来への不安、他にも何かしらあったはずだ。オレたちが頼りになるかはさておき、味方ではあるつもりだ。それを理解してもらえたというのはムシが良すぎるか。
とにかく一番身近な存在である妹からすると何かしら思うところがあるようだ。
「まあ気にかけてはみるが……あまり期待するなよ」
何しろオレは一度失敗した男だ。そんなオレにもう一度チャンスをくれた暁人には報いなければならない。
お願いしますと頭を下げた麻里と何故か木霊の姿が重なった。
今日は暁人が休みだったので溜めていた心霊写真の除霊をする。
絵梨佳はズボラだと文句を言うが、こういう小さな霊を一体ずつ対処していると時間がいくらあっても足りない。なので溜め込んでから地図を広げて場所を特定しルートを決めて祓って回るのが一番いい。時折マレビトを呼び寄せるので除霊を暁人に任せて戦えるのも楽だ。
そうして半分ほど終わったので休憩を取ることにした。ちょうどコンビニもあったので暁人はブラックでいいよねとオレの飲み物を確認して中に入り、オレは外で一服する。
やはり特に問題のあるようには思えない。予定時間より早いのが何よりの証拠だ。
「お待たせ」
缶コーヒーを片手に暁人が戻ってくる。反対の袋はSサイズだがそれなりに詰まっている。まずはペットボトルのお茶を飲み、握り飯を取り出した。
「……KKも食べたかった?」
「いや、相変わらずよく食うな」
エド曰く、暁人はエーテルの燃費が悪いらしい。特にオレの魂が入っていた時は戦闘の繰り返しだったのもあって時間の経過が止まっていたとはいえ大会に出られるくらいバクバク食べていた。今はオレもいなければ戦闘でエーテルを使うことも減り若い男が食べる標準の量といったところだ。ただしそれは平時の話で、今のように夜の街を飛び回って浄化メインとはいえ祓い屋の仕事をしていればそれなりに腹が減るらしい。しかも凛子の計らいで経費扱いになるのでコンビニで気軽にカロリー補給ができる。
からあげを一つ差し出してくる優しさだけ受け取って、油物は胃もたれするようになった己の年齢を嘆く。もう四十代だ。目の前で夜中に二つ目の握り飯を開けるコイツとは二回り近く違う。
だから何だってんだ。
己の思考に驚く。あの夜は偶発的に体に入り込み、最終的には合意の上でその体を使わせてもらうことがあったが今は入ることすら不可能であるし、年の離れた仕事仲間、師匠と弟子、相棒でも何らおかしくない。いくらか洗濯や掃除や食事など世話になっていることは……その分奢ったりしているのでセーフだろう。
「ごちそうさまでした」
考えている内に食事を終えた暁人はゴミをビニール袋に入れ、口を縛り中のゴミ箱に捨てに行く。
この言動だけでいかにコイツに悪感情を持つのが難しいかわかるものだろう。
「どうしたの、KK?」
「いや、行くか」
すっかり短くなった煙草の火を消してオレは頭を仕事モードに切り替えた。
全ての写真を除霊し終えてあとは宮司に報告するだけとなった。日付が変わる前に終わって良かった。徹夜もキツい年になった。
「報告は明日オレが適当に行くからオマエは帰っていいぜ」
「わかった。お疲れさま」
「ああ、今回もマジで助かったぜ」
素直に伝えると月夜でもわかるほど顔を綻ばせる。社会の荒波でやっていけているのか心配になるが当人は周囲に助けられることが多いと言っているのでまあ大丈夫だろう。
いざとなればオレがどうとでもする。
暁人と別れて家路につく。ショートカットにと神社を通り抜ける途中で野生の、しかしそこそこ小綺麗なつまり霊的な力を持つ狸に会った。旅行ではないここ由来の狸だ。無視しても良かったが向こうはオレと話したがっていたので一応霊視してみる。
『おや兄さん、どこかでお会いしましたかね?』
「さあな、悪いが狸の見分けはつかねえよ」
適度に距離を取り答える。暁人は身に着けている物が違うなどと言っていたが正直逐一覚える気にならない。
しかし狸の方は心当たりがあるらしく謎の動きをしてああと声をあげた。
『××で兄さんと似た匂いを嗅いだんでさぁ』
狸が口にしたのはつい最近木霊を助けた禁足地だった。
そりゃあ匂いくらい残っているだろう。人にはわからないがコイツらの鼻は非常に利く。そう言えば狸は鷹揚に頷いた。
『ああ、兄さんたちがこの辺りで有名なアレですかい』
「たち?暁人も知っているのか?」
『我々にも優しいお連れさんでしょう。匂いもちゃーんとしてましたよ』
それはおかしい。木霊の時は暁人は不在だった。オレがいない時に禁足地に入ったというのもありえるが、ならオレと連れ立ってという印象を狸に与えるだろうか。
どちらにせよこれ以上狸から引き出せる情報もない。
オレは人前に出ないように狸に注意して神社を去った。
禁足地に行ったか、と暁人に聞くのは簡単なはずだが何故か憚られた。麻里の言葉が引っかかっていたのかもしれない。
それで宮司に報告した足で日中から一人でオレは禁足地に来ていた。
森は静かで悪霊や呪いの気配はない。
相変わらず木霊は跳ね回って宝探しをしようと誘ってくる。
「宝ってなんだよ」
木霊は植物霊であり、力があるわけでもないのではっきりとは話せない。霊視をしても感情や意思がぼんやりと認識できる程度だ。
『キラキラドロドロ』
「なんだそりゃ」
木霊は地団駄を踏んで走り出す。と思えば立ち止まって振り返るのでついてこいと言いたいらしい。
どうせ他にアテもないし時間だけはある。
足元に気を付けながらついていくと木霊は平然と獣道を逸れて藪の中に入っていく。
「クソッ」
一張羅にしなくて良かったが、この服を破ったら破ったで暁人が心配するだろうな。
それはそれでやぶさかではないと思いつつ枝やクモの巣を払いながら森の中心部へ進んでいく。
いかにもなデカイ木の根本でようやく木霊はジャンプした。
「ここか」
木の影になるせいか2メートルほど植物の成長が抑えられている。流石に煙草は吸えないが、木に寄りかかる程度はできるだろう。神木でもなさそうだ。木霊はひたすら跳び跳ねている。
今更だがこれは宝探しになるのか?
推測するに木霊は土を掘り返せないからオレを呼んだ。オレはシャベルか。
まあここまで来て帰るのも流石に気が咎めるし、木霊の機嫌を損ねて森に入れなくなっても困る。
「しかたねえなあ」
溜め息を隠さずしゃがみこみ木霊の足元を見つめる。
確かに掘り返した跡がある。一ヶ月も経っていないか。大きさからして幸いにも死体ではなさそうだ。
腕を巻くって土を掘り返す。横で木霊が覗いてくる。コイツらが気になるモノなんてあるのか。
煙草が吸いてえなあと落ちる汗を見ながら三十分くらい手を動かしているとようやく固いものにぶつかる。
ガキがタイムカプセルでも埋めたか。いやこんなところに入って来られるか?骨壺だったら厄介だけど
周囲の土を退けて小さな缶を引っ張り出す。
見覚えのある空き缶を開けると見覚えのある絵の描かれた紙が入っていて、手の土を払ってから探ると硬い感触があるのでつまみあげる。
「なんだこれ」
赤黒いピンポン玉サイズの塊は表面が崩れて恐らく原形を留めていない。綺麗とは言いがたいが呪われた代物でもなさそうだ。いつかの日本人形を思い出す。
サラサラと水の音がして振り返る。川などなかったはずだが窪みに水が湧いてどこかに流れていっているようだ。
「ここで清めろってことか?」
いつの間にか水のそばで跳びはねる木霊に確認を取る。
再びしゃがみこんで塊を落とさないように気を付けて水に浸ける。正直めんどくさいがまるで儀式のようにやらなければならないという感覚がオレの中にもわいていた。
それにうっすらとだが、この塊から暁人の匂いを感じていた。
見覚えのあるアレコレの時点で勘付いてはいたが、魂の匂いは確実な証拠だった。
持ち上げた赤い塊は赤く煌めくハートマークで、それが恋心を意味していることは疑いようがない。
暁人が誰かに恋をしている。
それは予想外の衝撃だった。
アイツはオレとは違う、まだ二十代前半の健全な未来ある顔も性格もいい普通の男だ。誰かを好きになったり、好きになられたりするのが当然の、普通の人生だしそうであってほしいと思っていた。
なのにオレはコレがあることにショックを受けている。
暁人がオレ以上に特別な感情を向ける相手がいる。
それを明確に嫌だと思っている時点でオレの答えは出ていた。
「クソッ」
誰にでもなく悪態を吐いて、塊を缶に突っ込み、蓋をして小脇に抱える。木霊に礼を言って禁足地を飛び出した。
アジトに呼び出すと暁人は今日はバイトがないからと講義後にバイクで来た。
パイプ椅子に座って今回の報告書を作るべくパソコンを睨んでいたオレの姿を見て意外そうな顔をする。
「あれ、普段着だ」
「ああ、ちょっとな」
枝葉と土を払い落としたタクティカルジャケットとパンツは洗濯機だ。自分で回すようになったのも暁人の影響だし、着替えが畳んで専用のカゴに入っているのも、自分でインスタントコーヒーをいれて飲んでいるのもそうだ。
他にもアジトを見回せばキリがないのに、その意味を深く考えていなかった。失くしてからでは遅いと知っているのに。
「それで、用って? 緊急じゃないって言ってたしKK一人ってことはプライベートな話?」
暁人はリラックスした様子でリュックサックを傍らに置き、オレに対面する形でソファに座る。
「急に呼び出して悪かったな」
詫びは入れたものの無駄話するのは性に合わないためテーブルの上の紙袋を示す。以前凛子が先方からいただいたと菓子折りを入れていた紙袋を何に再利用したのか暁人は首を傾けながら覗き込み、予想通り動きを止めた。軽口をたたこうとしたのだろうか、僅かに開いた唇は数秒震えるとキツく結ばれる。更に1分ほど待つと、時が動き出したように暁人の薄い唇も動いた。
「なんで……いや、そんなのは意味がないか」
どうやって『それ』を見つけたのか、なんで持ち帰って暁人に見せたのか、見せてどうするつもりなのか。そう、肝心なのは最後の事項だ。
「自惚れなら笑い飛ばしてくれ……『コレ』はオレ宛てか?」
「そうだよ」
あっさりと認められて喜びより憤りが募る。それだけ未練がないということか。
滲み出た苛立ちに暁人は目を瞬かせる。
「意外だな」
「何がだよ」
「KKは見なかったことにするかと思った」
暁人の言う通り、色恋事は面倒だ。知らないフリをすれば悩みが吹っ切れた暁人とこれからも相棒で師弟として上手くやっていけるだろう
「相手がオマエじゃなきゃそうしてた」
更に暁人は瞬きして、そうなんだとひどく曖昧な返事をした。そうしてつまみあげた結晶をなんでもないようにLEDライトに照らす。
「『これ』はもういらないよ」
赤く煌めく結晶を瞳に映しながら拒絶する。
オレが受け取るはずだった、純粋で情熱的で嫉妬や独占欲も混じってしまったごくありふれた、人間の強い感情。輝かしい世界に一つだけの宝石。
あんなに美しいものをオレは忘れていた。恋だけじゃなく、人や妖怪でさえも正面から話を聞いて寄り添うような真っ直ぐな感情を。思い出させてくれたのは他でもないオマエなのに、オマエがそれをいらないと言うなんて許せるはずがない。
しかし暁人はなおも言い募ろうとするオレを真っ直ぐ見つめ、眉と目尻を少し下げ、口を歪ませて、頬を僅かに染めて照れ臭そうにはにかんだ。
「今の僕には次のがあるから『これ』が入るところがないんだ」
「……は?」
『これ』とはもちろん恋心のことで、次のというのはつまり。
「オレ以外のヤツを好きになったのか」
絶望を滲ませ呆然と呟くオレに暁人は切れ長の目を瞠目させてふは、と息を吐き出した。
「KK以外に僕の『これ』を見つけられる人がいる?」
いない、と断言したい。妻子にはできなかったからなんて言い方は悪いのだろうが、暁人のすべてを拾いたいと思っている。不可能でも、目指すことは間違いではないと知った。随分と青臭いが、それでもいいと思えるようになった、コイツのお陰で。
「だからKKのことをまた好きになっちゃった」
あっけらかんと表明する姿は悩んで捨てた人間と同じとは思いがたい。
間抜けな顔をしていると指摘されて慌てて口を閉じる。そんな告白があるだろうか、そんな都合のいいことがあるだろうか。
すっきりした様子の暁人は恋心を捨てた時と変わらないのに。
「んー、なんか一度完全に捨てたのにまた好きになっちゃうともう逃げられないんだなーって諦めの境地みたいな?」
「……そういえばオマエ、土壇場で開き直るタイプだったな」
フフ、と再び笑い声を漏らした暁人は愛おしげに掌におさめた結晶を撫でた。
確かに悟りを得たようで目に映るものに未練のない清々しい様子だ。
「KKとのフラットな距離感を思い出せたから恋心を抱いても相棒としてやっていけるなって思ったんだけど」
「そんなのオレが許さねえからな」
「うん」
食い気味に返せば弾んだ声で更に返ってくる肯定の言葉が今の暁人の結晶を思わせる。
キラキラと輝く赤い結晶はどす黒い感情も受け入れて、それでもその姿を保つのだろう。
「ならこれはどうする?」
オレは不完全だった『ソレ』を暁人の手から取り上げる。暁人は腕組みをしてわざわざ唸り声まで出して考え抜いてもう一度埋めようと答えた。
「捨てるって決めたから今の僕があるんだし、よくできてると思うんだ、お墓」
「……まあいいか」
不法投棄ではあるが場所が場所だし木霊はお宝だと喜んでいる。
それに吹っ切れた暁人の顔を見ているとこっちもオレのことを好いてくれるならまあいいかという気持ちになってくる。
それでオレたちは結晶を丁寧に紙でくるんで缶に入れ、穴に戻し土をかけた。木霊たちが集めてきたのだろうそこら辺の花の種を撒く。
「これは養分になるの?」
不思議そうな暁人の頭を撫でて、コイツらならなるんだろうと不確かだが願望の混じった言葉を伝える。
木霊は人の想いを反映する妖怪だ。清濁を併せ呑むもこれだけ真っ直ぐな暁人の心の欠片なのだから、この場所に良い影響を与えるに決まっている。
あとは今ある結晶を濁らせないことだ。
暁人の節のあまりない長く滑らかな指を己の節くれだってかさついた指で絡めとる。
帰ったら手を洗おうと暁人は笑って握り返してきた。