「似合ってるじゃねえか」
開口一番に定型セリフを吐いた顔を睨み付けるもののKKはどこ吹く風だ。さすがに境内は禁煙なので煙草を吸う素振りは見せない。とはいえどこまでか神社でどこからが森、あるいは山なのかわからないが後者だとしても火気厳禁だろう。
「今日は除霊の手伝いに来たんだよね?」
渋谷から車で数時間、具体的な場所は知らないがKKの田舎に似ているという中山間の神社に暁人たちは来ていた。
ここまでの道のりもデイル自慢の4WDでもなかなかのアクティビティで、最初に話を聞いた時に暁人はバイクを出せると言ったのだが、呆れたように
「うるせえバイクは嫌われるしそんなので広域農道はともかく私道は入れねえよ」
と言われた意味が理解できた。
そして山のひとつの麓にある神社でKKより更にふた回りほど年上の神主に出迎えられた暁人はあれよあれよという間に宮司の服を着せられていた。七五三の時期にはまだ早いし、暁人は神社仏閣で働いた経験はない。
「見ての通りウチは朱印はしてないし、御守りの授与も祭事の時だけだから社務所でばあさまと待っていてくれ」
穏やかに本殿横の建物を示す宮司はすっかり作業服に着替えており、腰にラジオと円く薄い煙の出る缶を下げている。
「昼過ぎには戻る」
「本当に待機してるだけでいいの?」
「オマエ、漆の見分けがつくか?」
「……つかない」
触れるとかぶれるくらいの知識はあるが見た目も知らない。だろうとKKは暁人の頭を撫でる。
「オレも山道は着いていくのが精一杯なんだ、その上警戒しながらオマエまで見てられねえ」
わかるなと念を押されて駄々をこねるほど子どもではない。頷いて見送ると、日差しの和らいだ空を見上げる。
道理で怪異の内容も教えてくれなかったわけだ。では何故こんな山奥まで暁人を連れてきたのか。
二人は祓い屋という特殊な仕事のパートナーであり、実のところ私生活でもパートナーである。
しかし遠出のデートには失礼ながらあまり情緒のある場所ではないし(暁人がこういった場所が好きならともかく)現状暁人は置いてけぼりだ。
(でもこの服はKKの趣味かも)
気持ちの良い風を受けながら社務所に入ると老婆が座布団の上に鎮座していた。目の前にはお供え物のように煎餅とお茶が置いてある。
「お邪魔します」
挨拶をしてそばの座布団に腰を下ろす。
「茶ぁいるかえ」
「あ、はい、ありがとうございます」
嗄れた声に反射的に応えるとよっこいしょと立ち上がり背中を丸めて歩き出す。
「お手伝いしましょうか」
声をかけるものの反応はない。聞こえなかったのかもしれないと気づいたが追いかける気になれず窓の外の晴天を見、スマホを見た。
「あんた細いのう……お菓子お食べ」
「あ、はい、いただきます」
時間はほとんど進んでいないし、wifiがあるはずもないしすることも持ってきていない。
諦めて熱い日本茶に口をつけ、煎餅を齧った。
「自分の歯ぁある人ばええなあ」
「はあ……ありがとうございます」
老婆は入れ歯のようだが食べにくいなら羊羮などの方が良いのではないのだろうか。などと思いながらもあるのかわからず動けずにいる。やはり手土産を持ってくるべきだった。
しかしこのまま本当に昼過ぎまで待つのか。朝イチで出発してまだ十時過ぎだ。
老婆は目を細めて外を見ているのかうたた寝しているのか定かではない。
参拝客が来ないのはいいことなのか悪いことなのか。
周囲を見回しても特筆する点はなく、暁人が途方に暮れているとエンジン音が近づいてくるのが聞こえた。
耳を澄ませているとこちらに登ってきて、停まる。ドアの開閉する音と砂利を踏み歩く音。そして社務所の戸を無遠慮に開ける音。
「いるかい?」
「あ、こ、こんにちは」
暁人の顔を見た途端、中年の男は不審な表情に変わった。間違いなく余所者はこちらの方なので暁人は慌てる。
「ええと、僕は依頼を受けて東京から来た」
「祓い屋の連れ合いだよ」
後ろから老婆のやけにはっきりした声が響いた。暁人が驚いて振り替えるが老婆は先ほどと同じ体勢で外を見ている。
しかし男はなるほどと頷いた。
「倅も若くねえから引き継ぎを頼んだんか。孫はどうした!?」
「盆と正月しか帰ってこねえし、あの子は向いてねえ」
婆さんが言うならそうなんだろうと男は新聞紙の塊をどさどさと置いた。
「白菜だ。帰ってきたら伝えてくれ」
「わかりました」
「あんたも貰って帰れ」
「あ、はい、ありがとうございます」
「気いつけてな」
最初の警戒はどこへやら男はドアを後ろ手に閉めて出ていった。軽トラックの遠退く音が聞こえる。
「あれも遠縁だば土いじりのが向いとるで」
「はあ……この白菜は」
「置いときゃええ。あんたば跡継ぎになればいいが」
「えっ、この神社のですか!?」
KKは田舎暮らしが苦ではないようだが暁人は田舎嫌いでないとしても住むのは難しいと感じている。漆もわからないし。
老婆は特に気分を害した風でもなくまあ無理だなと笑った。
「ワシが死ぬ時に封じりゃあ暫くはもつじゃろうて」
ほとんど話が読めず首を傾ける。すると少しずつ外が暗くなってきた。
「通り雨かな」
「来たか」
何がと問う前に戸や窓がガタガタと揺れ始める。
ただの風ではないと感じ取って暁人は白菜をその場に置き、後ろに下がった。
建物の隙間から影が入ってくる。それが悪いものだと察知して印を結ぶ。体の中にKKがいた時ほどの威力はないが暁人もエーテルで戦うことはできる。
しかし影は社務所全体を覆っているようだ。これが一体だとしてもコアを露出させ砕くまで老婆を守りきれる自信はない。
「お婆さん隠れていて!」
「あいあい」
暁人は素早く老婆を背に隠したが、老婆は気にとめることもなく懐から出した鈴を鳴らした。
リン、と響いた透明な音色は暁人の身体を通りすぎて影にぶつかる。
『 !?』
影の動きが止まる。またリンと響き、先ほどの音とぶつかって壁に反射して影にぶつかり、更に鈴の音が重なり。
不思議なことに音は消えずに幾重にも重なり反響する。
影は鈴の音に身悶え苦しむが暁人は煩いとは感じず、むしろ気持ち良さに身を委ねそうになる。
「寝たら駄目だ」
老婆が暁人の背中を軽く叩く。覚醒するように振り替えると老婆は頷いた。
「あんたば狭間さ行ったことあるな。引き摺られんよう気ぃ付け」
「は、はい」
「お前は終わりだ」
一際大きく鈴が鳴ると全ての音が影と共に消えた。
残されたのは静かな社務所と暁人と老婆だけだった。
「終わった……?」
呆然とする暁人をよそに老婆はまたゆったりと座布団に戻り煎餅を持ち上げる。それは黒ごまをまぶしたよりもずっと真っ黒で、暁人は粟立つのを感じたが老婆は黙って噛み砕いた。
「それ、食べて大丈夫なんですか?」
老婆は大きく頷いて煎餅をあっという間に平らげてしまうとゆったりとした動作でお茶を啜る。
「あんた細いのう……お菓子お食べ」
「あ……はい、いただきます」
煎餅はほどよい塩みでお茶によく合った。
「終わったか」
それからぼんやりと時間を潰していると不思議な物言いでKKが帰ってきた。あちらこちらに枝葉や種が引っ付いていて、払っても落ちないらしく摘まんで捨てるのを手伝う。
「すみません、手間取りました」
宮司の方はさほど汚れた様子もなく、軽く払って白菜を持ち上げる。
「兄さんですか、今晩は冷えるから炊いて食べようかな」
「白菜のがええ出来だば」
「ははは、精進します」
苦笑する宮司に暁人はどういうことかと首を傾けるとKKも苦虫を噛み潰したような顔で
「婆さんからしたら宮司は半人前、オレはヒヨッコってことだ」
じゃあ僕はタマゴ?と聞きかけて止めた。答えはわかりきっていたからだ。
それから後片付けをして昼食をいただいてから暁人たちは帰ることになった。白菜だけでなく野菜やらお菓子をたくさん持たされている。依頼料の代わりらしい。
「結局僕は何もしてないんだけど」
「婆さんに使われなかったか?」
「僕の後ろで鈴を鳴らしてたけど」
「そりゃあオマエのエーテルを使われたんだろ」
「えっ、そうなの!?」
全く気が付かなかった。KKに体を使われた時もはっきりとわかったのに。
そんなに凄い祓い屋だったのだろうかと不思議がるとようやく吸えた煙草をふかしながらKKは笑った。
「代々続く神職だぞ、オレらとは年期が違うよ」
「じゃあ僕らの手伝いなんかいらなかったんじゃないの?」
「どんな力のある祓い屋も老いには勝てねえんだよ」
確かに老婆が山を登るのは難しいだろう。だから宮司とKKが山に入って、祓うか追い立てた。もしかしたら暁人は蒔き餌にされたのかもしれないと気づいた。社務所に呼び寄せて老婆が祓うための。
「それで宮司の服を着せられたの?」
「いや、ただオレが見てみたかっただけだ」
「馬鹿!」
「まあオマエも上には上がいるって勉強になっただろ」
それはまあと苦し紛れに応えれば煙を窓の外に吐いて目を細める。
神職を継ぐつもりはないけれど、動けなくなるまでKKと一緒にいたい。
雲ひとつなくても日中の暑さが落ち着いてきたので、そろそろ温かいメニューもいいかもなと暁人はKKを叩きながら考えた。