対価と企みふぅ、と疲れを吐き出すような溜息が、ひとりの部屋に響く。
書類仕事をして疲れたのか、眼鏡を一旦外して眉間を揉む。
先程出された紅茶は、時間が経っていたのか冷えてしまっていた。
アズールは、椅子の背もたれに体重を預けて、天井を見上げた。
──対価を払えば、どんな望みでも叶う。
それがこのモストロ・ラウンジの目玉でもある。
だが、その望みは似通った面白みのないものばかり。正直、飽き飽きしていると言っても過言ではない。
何度目かの溜息を吐こうとした時、扉をノックする音がした。
「…はい」
「失礼します、アズール。お客様がお見えです」
入ってきたのは、副寮長であり副支配人でもあるジェイドだった。
その顔はどこか楽しげだ。
「お客様?…依頼者ですか?」
「ええ。ですが…少し…いえ、かなり面白いお客様ですよ。お通ししても?」
「面白いお客様…?まぁ、誰でも構いません。お通ししてください」
「かしこまりました。ではお通し致します」
いつもの貼り付けた笑みに、一礼してジェイドは出て行った。
アズールは今しがた終わった書類を纏めて引き出しにしまい、話を聞くためにソファーへ移動する。
丁度のタイミングで、ドアがノックされた。
「はい」
「邪魔するぞ」
「──レオナさん!?」
入ってきた人物に、アズールは思わず素っ頓狂な声を上げた。
それは同じ寮長という立場だが、学年が違うのと、正直性格の違いで出来れば関わりたく無い、3年生のレオナ・キングスカラーだったのだ。
「……なるほど?これはこれは。確かに、予想だにしないお客様だ」
「薄ら笑いをやめろ」
「とりあえず、お掛けになってください。話を聞きますから」
レオナが座り、アズールも座る。
ドアがノックされると、見慣れた人影がふたつ。
「失礼致します。お茶をお持ちしました」
「あ〜!マジでトド先輩居るぅ〜」
お茶を持ってきたジェイドと、その横に楽しそうに声を弾ませるフロイドが入ってきて、アズールとレオナの前にお茶を出す。
「変なモンは入ってねェだろうな?」
「心外ですねぇ。妙なものなど出しませんよ。…それより、わざわざ出向いた訳は?貴方ほどの方なら、僕に頼ることもないでしょうに」
「そうだな。テメェの薄ら寒いおべっかを聞くのも面倒だし、さっさと用件に入るぞ。
──魔法薬を用意しろ」
「魔法薬…?どういったもので?」
「魔力増強剤だ」
「はい?」
アズールも、後ろに立つジェイドもフロイドも、理解出来ないという顔を並べる。
当たり前だ。なぜなら。
「…貴方、魔力量は問題ないどころか…寮長ともあらば、そんなものに頼る必要ないのでは?」
レオナという生徒は、寮長になるだけあって、優れた魔法士だ。
魔力量を増やすなど、余程の限りではないと必要にはならない。
「俺が使うんじゃねぇ。ラギーに使う」
「ラギーさんに?」
「話が見えねぇな〜…コバンザメくんの魔力を増やすのに、なんでトド先輩が来るの?自分で来させりゃいーじゃん」
「対価を払うのは俺だろ。それとも何か?“オキャクサマ”の事情を根掘り葉掘り聞くのが、ここのやり方か?」
「……いえ。わかりました、準備しましょう。三日ほどかかりますが、構いませんか?」
「構わねぇ」
「かしこまりました。ではお次に…対価の話に参りますか」
ニコリ、とそれ以上聞くのはやめて、アズールが切り出した。
契約には対価が付き物だ。そして、アズールのユニーク魔法『黄金の契約書(イッツ・ア・ディール)』で作られた契約書なら、その対価は必ず支払われる。
3人の出す、少し威圧的な雰囲気を何処吹く風で、レオナはポツリと口にする。
「──ブロットを肩代わりする」
「…は?」
「だから。魔法薬を使ってる間の、ラギーのブロットを俺が肩代わりするって言ってんだ」
真っ直ぐ目を見た言葉。
しばらくの間が空くと、アズールが沈黙を破った。
「ぷっ…あは、アッハハハハハ!!!!」
「何が可笑しいんだ」
「アハハ、ハハ…!とんだ献身的な対価ですねぇ?部下に魔法薬を使わせ、そのブロットを肩代わり!?聞いたことがない!アハハ…ッ」
「アズール、爆笑じゃん」
「いつまで笑ってんだ。出来ねぇのか」
「フフ…いえ、出来ますよ。本当は、滅多にない貴方のお願いだから、搾り取ってやろうかと思っていたのですが…その対価を頂きましょう」
アズールが手をかざすと、杖が出てくる。
その杖に魔力を込めた。
『歌は途絶え、日は落ちる。憐れな魂に慈悲の手を。さあ、取引だ!
──黄金の契約書(イッツ・ア・ディール)!』
眩い黄金に光るその紙を、アズールはレオナに向けて置く。
そこには、希望のものとその対価についてが書かれていた。
「さ、こちらでお間違いないですか?なければサインを」
魚の骨を象ったペンを出し、それをレオナに渡す。
レオナは契約書に目を通すと、サインをした。
「契約成立ですね。では、これは大切に保管させていただきますよ」
「一回限りの対価なのにか?」
「ええ。貴方が契約に来たのなんて、初めてですからね。フフ」
(…脅しか強請にでも使うつもりか?面倒だが…今はどうにも出来ねェな)
「では、本日はありがとうございました。約束の品は、出来次第お持ち致します」
「結構だ。三日後取りに来る」
「ほう?分かりました。ではお待ちしてます。ジェイド、フロイド。お客様がお帰りです。お見送りを」
「かしこまりました」
「はぁ〜い」
要らないと言いたいが、それで引く男では無いことをレオナは理解していて、ただ舌打ちだけ返して踵を返す。
「では、お待ちしております」
「またねぇ、トド先輩」
礼をするジェイドと、ニコニコして手を振るフロイドを一瞥だけして、レオナは寮へと帰って行った。
そして三日後。
アズールの手元には、約束の魔法薬があった。彼らしい、完璧な出来栄えのそれを、渡す相手を待つ。
コンコン、とドアがノックされる。
「はい」
「失礼するッスよ」
「ラギーさん?貴方が直接来たんですか」
「まぁ。レオナさんが、海の中は肌に合わないって言い出して、代わりに来たッス。…ところで、魔法薬は?」
「こちらに。お渡し致します」
「ありがとッス!アズールくんの作ったものなら、完璧ッスね〜」
「フフ。お褒めに預かり光栄です」
シシシッ、といつものように笑うラギーに、アズールも微笑み返す。
「じゃ、オレはこれで」
「ええ。またどうぞ」
その後。世界から注目を向けられる、マジフト大会。そこで起こった事件は、観客が急に走り出して会場をめちゃくちゃにしたという事件で、他の関係者の尽力で死傷者はひとりも出なかったらしい。
だが、学園内には事実が残る。
──3年のレオナ・キングスカラーが、オーバーブロットしたらしい。
マジフト大会の選手として出ていた双子から話を聞いたアズールは、VIPルームで大笑いした。
「なるほど!やってくれましたねぇ、レオナさんは!!」
「ねぇ、良かったの、アズール?」
「何がです?」
「だってさぁ、コバンザメくんとトド先輩が使ったのって、アズールが作った魔法薬じゃねぇの?」
「問題ありませんね。だって──『僕たちは何も知らない』でしょう?」
人差し指を口に当て、妖しく笑うアズールに、ジェイドは「なるほど」と声を零した。
「だから、あの時はそれ以上聞かなかったのですね」
「ええ。きっと、ラギーさんのユニーク魔法を観客に向けて使ったのでしょう。確かにあの魔法薬があれば、多少の無茶は効く。ですが、そんな規模で使えばどうなるか…分からない頭ではないだろうに…フフッ、傑作ですね」
「あまり動揺した様子もなかったのに、少し魔法を使っただけでオーバーブロットしたと見るに…中々の魔力を使ったようですしね」
「動揺だけが負の感情だとは限りませんよ。…ふ、策士策に溺れる、ということですね」
ふぅ、と息を吐き、仕切り直しと言いたげに軽く手を叩く。
「さ、それより。今からテストでまた忙しくなりますよ。ジェイド、フロイド。手筈は?」
「フフ。人の噂というのは恐ろしいですね。きっともう、半分程伝わってるんじゃないでしょうか」
「多分、1年生に伝われば、後は早いんじゃない?」
「ええ。なにせ、目的のターゲットは、何も知らない1年生が主です。気を抜かず、遂行してください」
「はい」
「はぁ〜い」
オクタヴィネルのVIPルームで、人知れず進む計画。
それを知る3人だけがほくそ笑む。
マジフト大会が終わり、次に来るのはテスト。
それが学園全体を巻き込む、大事件にまで発展することは──
──まだ、誰も知らない。
終わり