噛み付くようにキスをして【噛み付くようにキスをして】
戦闘の終わり。くすぶっているのは鈍色に光る天羽々斬だけではない。込み上げる高揚感はこれでは到底おさまらない、物足りない。けれど迎え撃つべき相手はもう此処にはいない。奇襲をかけて来た悪魔たちは今しがた倒し切ってしまった。手持ち無沙汰に剣で空(くう)を裂けば赤い魔力が稲妻のように走り、尾を引いて消えた。息を吸い、鋭く吐く。
最近はといえば、どうにも張り合いのない者ばかり。断罪者ネモの一件以来、やはり魔界全土の悪魔たちの質が落ちてしまったのではないか、そんな不安とも不満とも表現される気持ちが込み上げたが、それは魔力を失い弱体化した自身にも当てはまることで、あえて口にすることはしなかった。
此処は魔界辺境の地、地獄。こちらから喧嘩を売りに行くほど血気盛んではないものの、売られた喧嘩は大いに買う。俺たちは悪魔としての戦闘本能をやはり携えていて、暴を競い合う定めにあるのだと思い知る。我らが居城へと乗り込んできた不敬者たちの舞踏の相手を終え、途端に静かになった地獄で主人と従者は顔を見合わせる。
「手応えのない連中ばかりですね」
胸中を代弁するかのよう彼は笑う。続けてなされる目配せの意味を悟れば、鳴らないはずの心音がとくんと高鳴った気がした。
「私としてはいささか物足りないのですが……ヴァル様はいかがですか?」
「……誰かが起きて来たらどうする」
「起きやしませんよ。あれだけ音を立てて暴れても目を覚まさなかった寝汚い者どもです」
それとも、お部屋に行きますか? そう問う狼男の口元を見つめれば瞬く間に距離を詰められて、互いの唇が触れ合った。柔らかな心地の良さに吐息が漏れ、それを塞ぐようにまた口付けが落とされる。気持ちが良くて、上手く息が出来なくて……口で息をしては塞がれる、そのいたく単純な繰り返しが無性に癖になった。
俺が戦闘の昂りを持て余す、そんな時、いつもフェンリッヒはキスを求めた。……いや、求めたと言うと大いに語弊がある。この男は自ら求めるふりをして、俺が欲しいものを何食わぬ顔で寄越すのだ。「物足りない」などと宣うくせ、慈しむようになされる穏やかな接吻は優し過ぎてじれったい。そこまで俺を立てるなら、こちらが勘違いするほどに完璧に求めてこんか。そんな無茶苦茶な理屈を蕩ける頭の中でこねくり回す。
「ン、……」
痺れを切らし、こちらから舌を差し込めばさすがに驚いたのか従者は咄嗟に口を離す。こほん、と咳払いをして子どもに諭すような口調で俺の行為をたしなめる。
「閣下、一体何を」
「いつかのお前のキスを真似をしてみたのだが……やり方が良くわからん。教えてくれ」
「そんなキス、しましたか?」
フェンリッヒは澄ました顔ではぐらかす。気に食わない。俺たちは悪魔なのだからもっと本能的で良いはずで。欲望に忠実で良いはずで。だのに、こいつと来たら俺を慮るような触れ方ばかり。悪い気はしないが良い気もしない。生娘だってもう少しませた口付けを交わすだろう。
勿論、これがフェンリッヒなりの礼儀であり、敬いであり、俺を慮るものなのだろうとは分かっている。分かっているのだが。……これではまるで、俺ばかりがお前を好いているようではないか。
大人げなくむっとした表情を作って見せれば困り顔の狼男が眉を下げた。遠慮がちに伸びてくる、手。頬に触れるその指をそのままに受け入れる。くすぐったい。それは俺の食事に血を仕込む、悪い手。あの時、差し伸べられた忠誠の手。
良く知ったその指先と戯れる内に、もう一度、キスが落とされる。誘うよう、口唇を薄く開いて侵入を待つ。ようやく入って来るその舌は熱く、激情的で、ほくそ笑む。牙に触れ、続けて歯列をなぞられる。唾液の絡み合う音が耳の奥で響けば僅かに羞恥が込み上げた。望んだはずの深く長い口付けについ腰が引けるが、狼男は俺を離さない。息を許されない。苦しい。
それでもああ、このままならなさこそが、きっと俺の望んでいたものだ。
腕を緩められ、感じていた人肌の温度が少しずつ離れていく。ようやく息を吸えば、死んでもいないのに生き返ったような、そんな不思議な心地がした。
「キスの仕方、覚えられましたか?」
「……教え方が悪いのではないか? やはり要領を得んな。だから、もう一度……」
軽口の続きを狼男は許さない。吸血鬼の唇に仕置きとばかり、噛み付くようにキスをした。