(なんで?ここに?)
仕事上必要な本を取りに、実家に帰省すれば、珍しくリビングから人の気配。
それが実兄や実兄大好きなドッベルであれば一切近づかずにダッシュで出直したのだけれど、どうやらどうではなさそうな珍しい気配に誘われてリビングに入れば、座りながらも器用に寝ている人間が一匹いた。
すうすう、くうくうと穏やかな寝息を立てる生き物は、広いこの家の昼間の温かい光と柔らかい風にカーテンを遊ばせる部屋に似合っているけれども相応しくない。
(危機管理能力どうなってんだよ)
幾ら退魔の力があるとは言っても、れっきとした鬼の住処。
しかも妖怪還りを起こしたような知識欲に忠実な鬼の棲み処。
(マジでヤベぇ人間なんだな)
うん。入道家のお家騒動の時も思ったけれど、この人間はヤバい。
退魔の力があるとて、一担任がお家のごたごたに首突っ込むのもあり得ないし。
諦めなかったのも、脳のねじが大丈夫かと思う程度にはヤバいだろう。
だけれど
この人間のねじが吹っ飛んだような『常軌を逸した善人』の行動が、どれほど救けになるのか、なんて。
こつり、こつりと硬い革靴が床に音をたてないように、寝ている人間が起きないようにできるだけ近づく。
すうすう
すうすう
(・・・本当に起きないな)
穏やかな寝息を立てる人間の前にしゃがみ込んで、いままでじっくりと見たことがない顔を見る。
ピンク色の小さな唇に白い頬、その頬にかかるほどにけぶる睫毛、すっとした鼻筋。
(改めて見ると、美人だな?)
例えるなら薔薇のような誇示する美しさではなく、
ひっそりと咲く鈴蘭のような可憐さ、とでもいうのか
守ってやりたくなるような反面、酷く摘み取って自分だけしか分からぬようにしてしまいたくなるような
(馬鹿らしい)
男を花にたとえるなんて馬鹿らしいと思う。
だけれど、むくむくと自分の中に湧き上がる衝動は止められなくて
(そういえば、鈴蘭には毒があるんでしたっけ)
衝動のままに触れた指で鴉色の髪を梳けば、一切絡まることもなく滑り落ちていくソレに、ちょっとだけ面白くなくて。そのまま指を閉じた瞼の下を辿らせ(ちょっとだけ、かさついていた)、柔らかそうな頬に触れて(実際柔らかかった)
そして
唇まで、もうちょっとという所で人間の唇が「 さん」なんて実兄の名前を嬉しそうに音に乗せた声と、「ねぇ?何してるの?」なんて背後から声がかけられた。
(なるほど)
人間がここで寝ている理由
コイツが笑っていながらも笑っていない理由
「実家に帰ってきたら、お前が住んでる家で寝てる人間が居たから起こそうとしただけですよ」
「ふ~~~ん。あ、お兄さん寝ちゃってたんだ?」
もう、不用心だなあ、なんて大股で寄ってきては、寝ている人間をひょいと抱き上げる。
「ん??」
「まだ、寝てていいよ」
急に抱き上げられたからなのか、寝言を零す人間の背を撫でながら各種果物を全部ぶち込んで丁寧に煮込んだようなドロドロに甘い声で実兄が言えば、ぐりぐりと頭を移動させてベストポジションを見つけたらしい人間は、またすうすうと寝始めたのを見つめる眼すら、ドロドロに解けた鉄の色
だから
ゴクリと、喉が鳴る。
(最悪)
「さて、僕の大切なおにいさんの心配をしてくれてありがとうね」
にこにこにこにこ、顔は笑っているのに。
眼が全然笑っていない。
「いえ。」
「んふ!でもさ、寝ている人に勝手に触れるのはよくないと思うよ~~~」
「・・・起こそうとしただけですよ」
「ふ~ん。まぁ、大事な弟が言う事だから今回は信じて『お前にはなにもしないよ』」
まぁ、次はないけどねと兄は言う。
(本当に最悪だ)
弟だから何もしないのは=俺に何もしないにはならないという警告だ。
弟として過ごすならば、今回見逃してあげるのだと
ただし次に同じことをするのであれば弟とはみなさないから『何をするか分からない』のだと。
本当に実兄ながら執着の仕方がえぐい。
知識欲と同じで、きっと誰を傷つけても、何を喪っても惜しくないほどの執着
(最悪がすぎる)
それが兄だけの特性だったら、よかったのに、なんて。
嫌っているその特性が俺にもあるのだと突き付けられたのだから
「肝に銘じますよ」
そういえば
兄は面白そうに嗤った。