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    菫城 珪

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    菫城 珪

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    ダーランとシンユエが喋ってるだけ

    星と狼と悪巧み星と狼と悪巧み

    「内密で相談がある」
     そう言われてダーランに呼び出されていたシンユエは酷く緊張していた。
     ロアール商会に拾われてから生活は安定向上して飢える事も兄に怯える事もなくなった。好きなだけ研究出来るし、存分に医術を振える。そんな都合の良い環境に裏がない訳ない。
     何を言われるのか。そう不安に思いながらも元気になった師匠や生き生きとしている兄弟弟子の顔を思い出して自らを奮い立たせる。
     セイアッドに救ってもらった時から、何でもすると決めたのだから。
     覚悟を決めてダーランの執務室のドアをノックする。すると、中からは間延びした声でどうぞぉと返事が返ってきた。
     緊張感のない声に若干安堵するが、短い付き合いの中でもこの男が一筋縄でいかない事を嫌と言うほど思い知らされている。
     彼は敬愛する月の為なら何でもやってのける男だ。例え可愛がっている部下でも主の不利益になるなら何の躊躇いもなく笑いながら斬り捨てる。そんな非情さと残忍さを持ち合わせている。
    「……失礼します」
     深呼吸を一つしてから部屋に踏み込めば、中は酷い惨状だった。あらゆる所に書類が散乱し、シンユエを呼び付けた男は僅かなスペースで煙管をふかしながら難しい顔で書類と睨めっこしている。
    「呼び出して悪いな。ちょっと聞きたい事があって」
    「何でしょうか」
     ばりばりと頭をかきながら書類を置いたダーランが細い目でシンユエを見遣る。何を聞かれるんだろう。ドキドキしつつ思わず敬語になりながら訊ねれば、ダーランは煙管の灰を灰皿に捨て、新しい煙草を詰めている。
    「シンユエは豆を発酵させた調味料を知ってるか?」
     予想外過ぎる話題振りに、何を言われるのかと緊張し過ぎたせいなのと聞かれた内容が突飛すぎるのとで一瞬思考がついてこなかった。調味料と言ったのか?
    「あー、悪い。一から説明する」
     困惑している様子のシンユエに、ダーランが話したのは他でもない彼が敬愛する月が求めているもの、らしい。曰く、豆を発酵させた調味料で濃い茶色の液体かペースト状になっているものの二種類あるそうだ。
    「リアがとても欲しがってるんだが、この国では手に入らない代物だ。だからこそ俺は何としてでも手に入れたい」
     ダーランはこれから国でも取りに行くみたいな表情で真剣に言うがその対象は調味料。説明されてもイマイチ状況が分からない。何で調味料?
    「あの、何で調味料なの……?」
    「いいか、シンユエ。リアと付き合っていく上で大事な事を教えてやる。アイツは、死ぬ程食い意地がはってるんだ」
     次から次へと飛び出してくる言葉にシンユエはより混乱する。
     シンユエにとってセイアッドは恩人であり、主人であり、兄のような存在だ。いつも冷静沈着で立ち振る舞いも上品。生きた芸術品のような人。それがシンユエの抱く印象だった。
     だからこそ、そんな印象と真逆の単語が上手く飲み込めない。
    「よーく覚えとけ。アイツを懐柔するなら美味いもの、珍しい食い物だ。用意しておけば取引に有利になる」
     自分の主人に対する言い方としてそれで良いんだろうか、と思いながらもシンユエは黙って納得しておく事にした。突っ込んだら負けだ。
     取引というのは彼が携わっている出版事業の事だろう。セイアッドと懇意にしているオルテガとをモデルにしているという話だから、何か言われた時にはその調味料を差し出して黙らせる気だ。
    「主人に対してそれで良いの?」
    「良い。俺とアイツの仲だからな」
     あっさりと認めるとダーランが深い溜め息をつく。シンユエにはイマイチ彼らの距離感が掴みきれずにいる。
     時に神と信者のように。時に商売仲間のように。時に上司と部下のように。時に親友のように。時に兄と弟のように。
     見かける度に彼等の距離感が変わっている気がする。しかし、秋の天気のようにコロコロと変わる関係性なのに、彼等の仲は基本的にはとても良好。セイアッドもダーランには素を見せて甘えているようだ。
    「俺が朱凰に居た期間は短いんだが、そういう調味料があった気がするんだよなー。お前なら知ってるかと思ったんだ」
    「知ってる。……なんなら兄弟子の一人が持ってるし、作れると思うよ」
     隠しても仕方ないし、セイアッドが喜ぶならと素直に話す。
     兄弟子の一人がそういったものを作るのが得意で保存食の研究と称して持ち歩いていたし、この国で落ち着いた頃から自分で作ってもいる筈だ。
    「本当か! そちらの言い値で買うから是非買わせて欲しい」
     がばっと体を起こしたダーランは初めて見るくらい上機嫌だ。金にがめついダーランが言い値で買うと言う辺り、本当に喜んでいるらしい。
    「タダでいいよ。材料さえあれば兄弟子も喜んで作ってくれると思うけど」
    「必要なものがあるなら何でも言ってくれ。直ぐに用意する」
     ご機嫌な様子でごそごそ動き出したダーランにシンユエは思わず笑みが浮かぶ。はしゃいだような様子に遠い祖国の妹の姿が脳裏に浮かんだからだ。
     父も母もシンユエには興味を示さなかったが、三つ下の妹は猫可愛がりしていた。逆に妹はシンユエを兄として慕ってくれたものだ。国を出ると話した時には泣いて「行かないで」とごねられたのも懐かしい。
     そんな妹はシンユエが市井の菓子や玩具を与える度に無邪気に笑って喜んでくれた。ダーランの今の様子は、それに良く似ている。
    「いやー、これでオルテガ様を出し抜けるな。悔しがるのを見るのが楽しみだ」
    「アレを揶揄おうとするなんて怖いもの知らずすぎる……」
     主と懇意にしている美丈夫の姿を思い浮かべながらシンユエは背筋が薄ら寒くなるのを感じた。初めて会った時、特に何もしていないのに殺気を向けられ、黄昏色の瞳に睨まれ物凄い威嚇をされたせいであの男の存在が軽くトラウマになっているせいだ。
     後で聞いた話によると、セイアッドはオルテガに内緒でシンユエと対談したようでそれが気に入らなかったらしい。嫉妬深いオルテガは主が二人きりで他の誰かと過ごす事も許せないそうで、主も困ったように、されど満更でもなさそうに苦笑していた。満更でもないって態度を取るから増長するんだとは思ったが、どうやら主の方もあの男にメロメロらしい。似た者同士でお似合いだ。
    「あんまり巻き込まないでよ。あの人怖いんだから」
    「初対面でいきなりアレじゃ無理もないか。オルテガ様が本気で怒ったらあんな程度じゃ済まないぞ」
    「アレで本気じゃなかったの!?」
     思わず声を荒げながら訊ねる。少し睨まれただけでも失神しそうだったのに、あれでも本気じゃないと?
    「オルテガ様が本気で怒ったらもっと怖い。あの時は牽制で軽い威嚇のつもりだったんだろうさ」
    「ますます関わりたくない……」
     消沈していれば、ダーランが立ち上がって慰めるようにポンポンとシンユエの肩を叩く。
    「大丈夫だ。距離感掴んで怒らせるギリギリを見極めればお前も楽しくオルテガ様とリアを揶揄えるようになるから」
    「絶対やらないからね!?」
     とんでもない事を言う上司に悲鳴をあげながらシンユエはそんな日が来ない事を痛切に祈ったのだった。
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