【くにちょぎ】12/18に出そうとして諦めた本の冒頭 本丸への配属直後、山姥切長義は自らの写したる山姥切国広と殴り合いの大喧嘩をした。
「俺を差し置いて『山姥切』の名で顔を売っているんだろう?」
長義は、紆余曲折あって、政府から本丸へ配布された刀である。通常の顕現とは事情が異なる。本丸を訪れた日、長義はまず審神者への挨拶を済ませ、次いで国広から本丸の案内を受けた。国広は、本丸の初期刀であり、その日の近侍だったからである。
はじめてまともに顔を合わせた国広は、俯きがちで、いつも被っている大きな布のかげに表情を隠したがっているように見えた。本科と写しという互いの立場が、国広にそういう態度を取らせるのだろう、と長義には見えた。国広は初期刀として、多く近侍を任され、審神者からの信任も厚いと聞いている。欠片も恥じる立場にはない。長義は、皮肉のつもりで声をかけてやった。己の写しが、どのような反応を示すのか興味があった。
はたして国広は、顔を上げ、布のかげから長義を見据えた。向けられた視線が思いのほか落ち着いていて、無遠慮にこちらを射抜くのを長義は意外に思った。国広は、何か、慎重に言葉を選んでいるようだった。彼はやがて、低く告げた。
「あんたの代わりに顔を売っている俺が、気に入らないのか」
これは、長義にとっては、予想外だった。喧嘩を売ったつもりはなかったが、どうやら買われてしまったためである。こうなると、長義の方も、退く気はなかった。
「そうだと言ったら?」
「だったら拳で決着をつけよう」
国広は、長義をそのまま本丸内の道場へと案内した。道場は、鍛錬のための場である。日に一度、主の命により公式に模擬試合が行われるが、それ以外での真剣の使用は基本御法度。ゆえに道場では竹刀を用いることが多い、という旨を、国広は近侍として長義に語った。
「これは私闘だ。竹刀を使うのも相応しいとは思わない。拳、脚、生身であれば何を用いても構わない。質問がなければ、始めよう」
長義はこうして、あれよあれよという間に国広と素手で立ち合うこととなった。正直、おおいに戸惑った。喧嘩を買うことに躊躇いはないが、いきなり拳で語り合うのは少々野蛮が過ぎるというものだ。なんのために人の身を得て、言葉というものを会得したのか。内心の葛藤を、口に出すのは躊躇われた。国広がやる気であれば、受けて立つ。長義には、それしかなかった。
刀剣男士は、顕現時にはまだ人の身に馴染まないところがある。通常は少しずつ鍛錬を重ね、生身の肉体での刀の扱いを覚えていく。主たる審神者の霊力に馴染んでいくごとに、その力も増すという。
今の長義と、国広では、人の身というものに対する練度も、この本丸の審神者への適応度にも、差がありすぎる。真剣で立ち合えば、十中八九、本丸に来たばかりの長義に勝ち目はない。だが体術であれば、まだ長義にも勝算はあった。どうにか国広の隙を突いて、叩き伏せる。それが出来ないはずはなかった。
目論見が外れたのは、すぐだった。試合開始の直後に大きく動いた国広の頭からふわりと布が落ちかけた瞬間、長義は、想像以上に自分とよく似たその容貌に強く気を引かれた。山姥切国広という刀が、自分の写しであることは既に周知の事実である。だが人の身を得た彼が、こうも自分に似ているというのも何か不思議な話であった。
よく似た顔を目の前にして、長義は、確かに彼に拳を入れるのを躊躇った。この顔が苦痛に歪むところなど、見たくはないと思ってしまった。
だが、国広の方はお構いなしだったようである。
気付くと長義は、部屋に寝かされていた。付き添いの短刀に事情を尋ねると、立ち合いの最中、国広の拳が顎に入って気を失った所を、介抱されていたということであった。屈辱でしかなく、長義は頭を抱えたが、本丸の刀達は優しかった。かわるがわる皆が見舞いに訪れ、概ねが、国広の暴挙の方を非難した。
「本当にすみません。実は、新選組の刀達の間で、流行ってるんです。剣術は、練度によって有利不利が顕著に出ますし、怪我をさせると危ないですから……」
菓子折まで持って現れた堀川国広は、そう言って兄弟刀の非礼を詫びた。何か意見のぶつかり合いが起こった際、手っ取り早く、殴り合って決めるというのが一部の刀の間で流行しているらしい。血の気の多いことだ、と長義は思ったが、口には出さなかった。堀川国広には恨みはない。有難く菓子をいただいて、にこやかに応対して見送った。
「目を覚ましたのか」
山姥切国広がやってきたのは、それから随分してからだった。後から聞いたことではあるが、国広は、新人である長義といきなり無理な立ち合いを行ったことで、審神者からそれなりの叱責を受けたらしかった。だが、それを感じさせもしない、実にふてぶてしい態度であった。国広は、長義の寝かされていた部屋の入口で、襖に寄りかかるようにして、不遜に腕を組み、こう続けた。
「俺の勝ちだ」
長義は、自分が、怒鳴り散らさなかったのが不思議なぐらいだった。頭の中で何かが切れる音を聞いたようにも思ったが、顎の痛みが、どうにか理性を保たせた。
これが、長義の配属初日の記憶であった。
国広とは、以来、犬猿の仲である。