かわりに、小さく扉が開いて閉まる音がした気がして、ふと目が覚めた。
ん………………先輩………?でも今日帰らないってLIME……。
柵から頭を出してロフトベッドの下を見やるとやっぱりそこには先輩が帰ってきていた。静かに鞄を置き、ジャケットを脱いでいる。
「……先輩おかえりなさい」
俺はロフトの上から小さく声をかける。
「………………ただいま。ごめん、起こした」
先輩がこちらを見て、申し訳なさそうなため息と共に小さな声でそう返してくれる。
何時?と思って携帯を見たら3:48。
あー、会社の仕事じゃないやつ。帰ってくる気あるなら、帰らないとか嘘つかずに遅くなるけど帰るよって言ってほしい、けど、言ったら俺が待っちゃうかもって思って、連絡してくれないんですよね、はい、もうそれはしょうがない、俺はなんも言えん、言えんけど、いや、やっぱりそのうち言うかもしれないけど、多分それは今じゃなくて、
先輩のただいまはずいぶん疲れた声、普段なら、絶対にハグ付き甘やかしルートなのに、回避しようとしないでください、よ。
俺は身体を起こして梯子を下りる。
「茅ヶ崎、いいよ」
先輩はほんとに申し訳なさそうに小さな声で俺を制止する。
「いや別に」
「ごめん起こして、寝てて」
これで先輩が俺を起こしちゃったー、とか思って、ほんとはここに帰って来れるときも別の部屋に帰っちゃうとかになったら嫌だな、と思いながら、俺はベスト姿で突っ立っている先輩に近づく。こういうときはもう、素直に行くしかない、と思っている。この人に対しては。
「おかえりなさい」
俺は、先輩が仕事で遅くなった金曜日と同じように、面倒な取引先への出張帰りと同じように、先輩のことを抱きしめた。
「おつかれさまです」
「………、ほんとに大丈夫、ごめん」
でも先輩はいつもみたいに抱きしめ返してはくれない。ただ身体を少し硬くして、謝るだけ。俺はめげずに先輩を甘やかす。
「先輩がこの部屋に帰ってきてくれたらうれしいです。何時でも。ほんとに。ね」
俺は先輩の背中をゆっくりさする。それから思いっきり、渾身の力で抱きしめる。それでも先輩はやっぱり固まったままだ。ぜんぜん甘やかさせてくれないじゃん。
「あ、そいえば、」
と俺は暗い部屋の空気にそぐわない高めのテンションで話し始める。
「聞いてくださいよ、今日最悪で、作ってた資料係長OK出たのになんか別のチームの上の人がやっぱ修正してとか言い出して、俺そういうの嫌だから、係長とのやりとりその人もCCずっと入れてたのに、いざ完成してから言い出して」
「…………うん」
「それで作り直しでしかも正味どうでもいいとこなのに時間食うし、マジさいあくでした」
「………おつかれ」
先輩は疲れた俺への甘やかしを積み重ねてきた条件反射か、そう言って俺の頭を撫でてくれた。
ニコ、と俺は笑顔になる。
そうそう。先輩が甘えれない時は、かわりに俺を甘やかしてくれればいいんです。
「ね、だから俺のこと甘やかしてくださいよ」
俺はカチ、と部屋の電気のスイッチを押す。
「せんぱい、ゲーム付き合ってください」
■
「先輩テトリス派?」
「どっちもあんまりやったことないけど」
ソファでくっついて座る俺たちの前の画面にはぷよテト最新版。
「俺ぷよぷよ一筋なんですよねえ」
俺は先輩に思いっきりよっかかってコントローラーを操作する。先輩はワイシャツ一枚になっていちばん上のボタンだけ外してる。こんな格好のままゲームやってる先輩なんてめちゃくちゃレアだ。
「ぷよぷよとかテトリスってめちゃくちゃストレス発散なるんですよね」
俺は左手でコントローラーを操作して2人プレイを選択しつつ、右手で先輩の左手を握りしめる。
「テトリスは実際脳科学的に効果あるらしいよ、論文あったと思う」
先輩は指を絡めて握り返してくれる。
「え、何その豆知識」
「そもそもテトリスって販売する用のゲームとして開発されたんじゃなくてロシア人の数学者兼プログラマーがプログラミングのテスト的に作ったゲームなんだよね」
「……嘘か誠か絶妙すぎる」
「ほんとだよ。割と有名な話」
「へ〜……」
「それで商品化する時にその権利で揉めて、最終的には夜を徹してのテトリス100本勝負が行われて、ロシア人開発者が日本のゲーム会社の社長秘書に負けて今こうして日本の会社から発売されてるわけなんだけど」
「……ダウト」
俺はキャラクターを選択する。
「あはは」
あ〜先輩笑ってる、嬉しい嬉しい。
はあ、
「先輩かわいい大好き」
「……」
先輩は俺の唐突な台詞に唇だけで笑って、画面を見たままいちばん可愛らしい女の子のキャラクターにカーソルを合わせて決定ボタンを押した。いわゆるアニメ声のキャラクターボイスが静かな部屋に響き渡る。
<がんばるょ!>
でも繋いだ手が、ぎゅ、と握りなおされて、なんかあたたかくなってるのを感じて、俺も握り返す。それで充分なんだけど、照れ臭いから、ふざけておく。
「いやここで黙らないでください恥ずすぎる!ここは、『俺も大好きだよ、至……』でしょ!」
先輩がチラ、とこちらを見る。至近距離のその瞳は、呆れているような、それとも。先輩はコントローラーをほったらかして、空いている手で俺の頭を優しく撫でる。
「…………。かわいいよ、至……」
言ってから、先輩はセルフで笑い出す。
「いや………、かわいいのは、先輩だから!!!!!」
■
そして俺はかわいい先輩にまさかの連敗を喫し、悔しくて先輩にもぷよぷよを選ばせてもう一戦したけどやっぱり負けて、さて、そろそろ寝るか、とか言い出した先輩の首根っこにしがみついて、負けたまま寝るの嫌すぎる〜とごねた。
「……いいよ。じゃあもうひと勝負な」
「っしゃ次は勝つます」
「…………そのかわりに、次も俺が勝ったら今日一緒に寝てくれる?」
………………いや、
だから、そういうところが、
ほんとうに!!!
「やっぱもう寝ましょう今すぐに」