だいじょうぶ夜中に目が覚めたら、俺が眠った時には人がいたはずの隣のベッドの掛け布団はめくれて空っぽの中身があらわになっていた。あれ、先輩どこ行っちゃったんだろ。少し不安になり、でも、夜中に起き出してしまうことくらい、だれにでもあるかと思い直して、でも、なんだか引っかかって、俺も水でも飲むかとキッチンへ向かう、向かうために部屋を出て中庭でふと見上げた空には満月、いやにきれいだな、……あ?、2階の窓に足を掛けて外に乗り出しているあの緑の頭は、
……は?なにしてんのあのひと
はやまっ……………?
…………。
いやはや。
冷静に考えれば、いや、冷静もなにも、あの身軽世界一を狙える三角と屋根でお月見していたとかいう人だ、気分転換にちょっとだけ月に近いところへ腰掛けて夜の静かな空気を吸いたかっただけだろう、だから、なにも心配することなんかないのに、俺は寝ぼけた頭で、てっきり、てっきり。
俺は(俺なりの)ダッシュで二階へ駆け上がり、外から見た窓へ向かう、そこにはもう先輩の姿はない、俺は勢いよく窓から頭を突き出した。すると、少し遠くから、聞き慣れた声。
「茅ヶ崎?」
何の感情も乗っていない声だった。
俺は声の方へ頭を向ける。先輩は、屋根のてっぺんにちょこんと座っていた。
こっ……ちのせりふですよと言いたかった。言いたかったけど、続いて降ってきた、全然驚いてなさそうな「びっくりした」という先輩の声がなんとも、覇気がないというか、元気がなかったから、言えなかった。
「……いや、すんません。見えて、せんぱいが」
「息切らして来てくれたの」
先輩は、からかうでもなく、喜んでるわけでもなく、でも冷たいわけでもなく、ただその通り言葉を発音しただけの喋り方でそう言った。
「いや、はい、というか、まあ、」
俺が勘違いに恥ずかしくなり、しかし安心し、しかし元気のない先輩はやはり心配で、頭を窓から出したままでそんなことをボソボソと言っている間に先輩は屋根の斜面を危なげなく降りてきて、いやどういう体幹、と俺が思っている間に器用に窓枠に手をかけてするんと屋内に着地した。
「ごめん。心配させた」
「や、俺がすみません。先輩のんびり…?してたのに、来ちゃって、」
先輩はぼーっと俺のほうを向いていて、でも別に俺の話を聞いている、という風でもなかった。
「だいじょうぶ」
先輩は、大丈夫じゃなさそうな小さな声でそうつぶやいた。会話は成立していない気がした。
「ごめん。だいじょうぶ」
先輩はもう一度だいじょうぶと言って、そしてその場にしゃがみ込んでうつむいた。
先輩、足首やわらかいんだな。
踵まできっちりついて、頭を膝に押し付ける先輩の姿を見て俺はそんなどうでもいいことを思った。それから、先輩に大丈夫じゃないときに大丈夫と言わせてしまって、ごめんなさい、と思った。
「…………死なないよ おれは死んじゃだめだから」
小さな小さな声で、その言葉は自分に言い聞かせるようで、深い悲しみをたたえていたけれど、確固たる意志を伴っていた。どんな自暴自棄な言葉より、かける言葉がなくて、俺は黙ってしまった。