『SAI』"赤が似合わないんです"
それまでほぼ休むことなく画面をスクロールしていた指が止まった。
それはルビレイディオで特に制限を設けず募集している「お便りコーナー」に投稿されたメールの一文だった。ライブの感想やメンバーへの質問、相談……なんでも気軽に送ってね、という趣旨の。
「んー……」
「どうかした?」
無意識に声を発していたらしい。正面から反応があって視線を上げると、今日のゲストであるつぐみが不思議そうな顔でこちらを見ている。手元にはタブレットを持っていて、自分と同様ファンからのメールを確認していたようだ。珍しく終始無言だったのはそのせいかと合点がいった。
「つーかアンタ、読むの早すぎない?」
「そうか?」
「だってさっきから全然止まんねーし。目も、指も」
「へぇ。よく観察してんな」
わざと揶揄うように言うと「ちげーよ!」とこれまた予想通りの反応が返ってきて可笑しくなる。特に速読が得意なほうだとは思わないが……
「ま、定期的に読んでりゃある程度はな。慣れだ、慣れ」
「どんくらい目通すの?」
「全部」
「え、全部って……毎回?」
「流石にオンエア前の時間だけじゃ厳しいけどな」
間に合わなかったものは後でデータを送ってもらうようにしている。感想にせよ相談にせよ、それがファンから自分たちに向けられた言葉であることに変わりはない。つまりひとつひとつが貴重な意見だ。たとえその量が膨大であっても……たった一通でも、見逃したくはなかった。
「悪い、話逸れたな。これが気になってさ」
問題の一文を拡大してみせると、今度はぐっと眉間に皺が寄った。コロコロ表情が変わるから本当に見ていて飽きない。
"お前って面白いな"
声に出せばまた反感を買いそうな一言をすんでの所で呑み込んだ。
「……なにが?」
「べつに?」
「べつに。だって嬉しいって思うだけじゃん、こっちは」
確かにな。
九割方つぐみの意見に同意だった。言葉の上では色々と割愛されているが、言いたいことは概ね理解できたからだ。つまり、『"自分の色"を纏ってくれることに喜び以外の感情を抱きようがない』ということだろう。
「俺の感想ならそれでいいんだけどな。これって相談だろ」
「……だから?」
「個人としての意見だけじゃ、相手を納得させられない場合もある」
相談されているからには可能な限り腑に落ちる答えを用意してやりたい。
そう思ったから目が離せなくなってしまった。
好きなものなら身につければいい。似合う似合わないなんていうのは所詮周りの評価で、その意見を完全には無視できないとしても、お前の好みを否定する権利は誰にもないんだから。
そう素直に伝えられたらどんなにいいだろう。
「そこまで考える必要ある?」
悶々とした俺の思考を断ち切るように、やっぱりよくわからないという表情でつぐみは首を傾げた。
「できるだけ、本人が納得する答えを用意してやりたいってのはわかるけど」
「ん」
「それがアカネの考えとズレてたら意味ねーんじゃねーの」
この子はわざわざアンタ宛にメール送ってきてんだから、他の誰でもなくアカネの意見がほしいんだと思うけど。小難しいことは抜きにして。たとえそれが、最終的に受け入れられないものだったとしても。
今までの自分と正反対の考えを述べられたはずなのに、不思議なほどストンと胸に落ちる答えだった。
「……そっか。そうだな」
「うん、そうだよ。……たぶん」
「なんでいきなり弱気」
「だって……俺の答えも結局は感想だし?アカネが納得するかはまた別かなって」
「自信もてよ。めちゃくちゃいいこと言ってんだから」
ほんと?と顔を綻ばせるつぐみに頷く。決してお世辞で言ったわけではなかった。
勿論、自分を納得させられたのは他でもない"つぐみがそう言ったから"という理由も大きかったけれど。
「お前のほうが向いてるかもな、こーいうのは」
「んー……そうかな」
「俺はどうしても、そういう"余計なコト"考えちまうし」
「べつに余計とかじゃなくね?それだって優しさじゃん」
それに俺、言葉がストレートすぎるってたまに叶希に怒られんし……と若干拗ねたようにつぐみは唇を尖らせた。
「けど"オブラートに包む"とかよくわかんねー!」
「いーんじゃね」
「……そぉ?」
「叶希の言ってることが間違いとは思わねーけど。俺は今のままでいいと思う」
無責任なことを言って悪いとは思いながらも、そのストレートな物言いに助けられてきた身としては変えてほしくない長所だった。
野中つぐみはそのままでいい。
これは完全に俺のエゴだ。けれど許してほしい。その眩いばかりの純真と、迷いのない真っ直ぐな声に魅せられて自分はまた一歩踏み出すことができたのだから。
"お前、いつまでもそんなとこで何やってんだ"
はじめてお互いを認識したとき。面と向かってそう言われたのは、寧ろ俺の方だったような気がする。
「……さてと。そろそろ始まんな」
「準備は?」
「は、誰に言ってんだ」
"RUBIA Leopardのデイブレイク・ルビレイディオ"
ディレクターからラジオ開始を告げるキューが振られた。
「本日最初のお便りは、"来世はアカネの下僕希望"さんからいただきました」
「下僕て」
「俺ってそういうイメージ?」
「まぁ、王様だし?一応」
「一応かよ」
「で!質問内容は?」
「あぁ。"赤が似合わないんです"って相談」
ルビレのファンだから、カラーズだから、やっぱり赤を身につけたい。けれどその色が自分に似合わないことも知っている。
「次のライブ、どうしようか迷ってるってさ」
「なるほどなぁ……これ、ルビレの王様的にはどーなんですか?」
「あー。そうだな」
もう答えは決まっていた。先程まで悩んでいたのが嘘のように強い語調で言いきる。
自分には似合わないと思っていても。他の場所で、誰かの前で、その色を身につけることをどんなに躊躇ったとしても。
「ルビレの現場には胸張って着てこいよ。理由は……そうだな」
単純に俺が嬉しいから。
それに、自分の色が彩ると思うと最高に気分がいい。
何の飾り気も打算もない本音を吐露した後にそう付け足すと、正面のつぐみが「……ウゲ」とこれみよがしに顔を歪めた。