『”You” from my point of view.(about 4years ago)』涙がでないのが不思議なほど苦しい夜だった。
ズキズキ。ズキズキ。心臓のあたりが鈍く痛む。
ズキズキ。ズキズキ。見えない何かが内側から苛む。
ズキズキ。ズキズキ。ズキズキ。ズキズキ。
血など一滴もでていないのに息をするのも辛い。
眠りたい。できない。
忘れたい。できない。
泣きたい。できない。
助けてほしい。縋りたい。頼りたい。できない。
許されない。してはいけない。言ってはいけない。悟られてはいけない。あらゆるNO。あらゆるシャットアウト。×××××。
"だってそんなのは日暮茜じゃない"
感情が爆発する一歩手前で理性がそう訴えかけてくる。
勝手に従う自分。意思とは正反対に機能する体。ひとりの人間としての日暮茜と、周囲から期待される日暮茜の"姿"。
個人と偶像。境目が曖昧なせいで左右から引っ張られてバラバラになってしまいそうな。
どちらの俺も自分自身。どちらの俺も嫌いじゃない。
──けれど、今。それを受け入れたことで余計に雁字搦めになっているのは確かだった。
「……さみー」
あのままベッドで蹲っていたら窒息してしまう気がして、着の身着のままで外へ出た。暫く歩いたところで財布とスマホを持っていないことに気づいたけれど、取りに帰る気にはなれず家とは反対方向に歩き続ける。元々十分くらい適当にブラついたら帰るつもりだった。少しの間なら構わないだろう。
今はただ、内側の煮え滾る熱を落ち着けたかった。張り詰めたような冷たい風にあたればモヤがかかった思考も少しは覚めるはずだ。ある程度疲労が溜まれば眠気もやってくるかもしれない。そんなことを期待して。
……そうしたところで、この夜から抜け出せるわけでもないのに。
「……財布、やっぱ持ってくればよかったな」
昼間は子供の無邪気な声が響いている公園も今はシンと静まり返っている。広場を見渡すごとく敷地の中央に聳え立つ大木の下、ポツンと置かれたベンチに腰かける。冬の夜風に晒されたプラスチックの冷たい感触がそのまま背中を駆け上がってぶるりと身を震わせた。缶コーヒーを買いたいところだが、諦めるしかない。
世間から隔絶されたような静寂と暗闇に満ちたこの場所は、今の自分の心象をそのまま表しているように思えた。眠らない街との距離はたった数メートル。たとえ深夜でも少し歩けば止むことのない喧騒とギラついたネオンの光が戻る。
けれど今は、そちら側に混ざりたくなかった。
自分の過ちを受け入れられないわけでも、認めたくないわけでもない。ただ、慣れないことで混乱している。明日になればいつも通り振る舞ってみせるから。
「……は。いつからこんなカッコつけになったんだ」
自嘲気味に笑って視線を落とすと、少し先でザリ、と砂を踏みつける音がした。
「お兄さんひとり?こんなとこで何してんの?」
顔をあげると知らない顔が四つか五つほど並んでいた。
「……ヤバ」
「外国人……?」
「モデルさんじゃない?睫毛長いし顔ちっちゃ……」
赤い髪と金色の瞳が物珍しいのかこちらを見ながらヒソヒソと言葉を交わし合っている。別に話の内容に興味があるわけではない。耳が勝手に音を拾ってくるだけだ。
「ね。暇なら一緒にどっか行こ」
構わずにいるとまた声をかけられた。
今はひとりになりたい。放っておいてくれ。断ろう。
そう思うのに、あらゆるものが昨日に絡め取られたままで思考がシフトしない。声がでない。首を横に振ることも。
黙ったままの俺に焦れたのか相手がこちらに向かって手を伸ばしてきた。まずいと思ったが体が言うことを聞かず、ぼんやり眺めることしか出来ない。
腕を掴まれそうになる寸前、間に大きな影が割って入った。
「……クロノ」
見慣れた背中。いつもきっちり整えられた黒髪は乱れ、肩で息をしている。ここまで走ってきたのは明白だった。
「すみません。俺の連れです」
「わ、こっちも凄い男前」
「これから飲み行くんだけどお兄さんたち一緒にどう?」
「結構です。失礼します」
きっぱり断ったあと行きましょうと急かすように俺の手を取る。道路脇に停められた車まで歩く途中、容赦なくマフラーでぐるぐる巻きにされた。ちょっと苦しい。
「……悪い」
暫く無言の時間が続いた。車内に漂う空気が重い。
とにかくまずは謝らなければ……決心して口を開いたはいいが、そこから先どう続けていいかわからない。
「何がです?」
隣のクロノは変わらず前を見据えたままだ。声のトーンはいつもの調子で少しだけホッとした。
何が……と言われれば、全てだ。何も言わずにいなくなったこと。深夜に探し回らせたこと。何の断りもなく勝手にバンドを解散させたこと。そのくせ次のバンドのギターもクロノじゃなきゃ嫌だと思っていること。
すげー迷惑かけてるよな、俺。
全部自業自得なのに自分で自分が嫌になる。
はぁ、とクロノがため息をついた。愛想尽かされたって文句は言えない。頭では理解しているはずなのに切り捨てられる覚悟などできていなくて、心臓が嫌な音をたてた。
「いいですかアカネさん。俺にはどんな迷惑をかけたっていいんです」
返ってきた言葉は予想したものとは違っていた。
「……いえ。俺は迷惑と思っていないので、この言い方も語弊があるんですが」と適切な表現を探すように言い淀む。
「今日みたいに黙っていなくなっても?」
「もちろん事前に連絡していただける方が安心ではあります」
間髪入れずに返された。……まぁ、そりゃそうだよな。
「……でも。たとえ何も言わずにいなくなったとしても、また走り回って探すだけです」
懐かしむように目を細めたクロノに幼少期の記憶が蘇る。……そうだ。確か、あの時も。
「見つけるまで諦めませんからね」
アカネさんと同じで頑固なのは知っているでしょう?
盗み見ると、やっぱり少しだけ口角が上がっていた。ふ、とつられて笑う。
「自信満々」
「当然です。伊達に二十年以上あなたの隣にいるわけじゃありません」
「今回もちゃんと見つけてくれたしな」
「はい。アカネさんがどこに行くかくらいちゃんと検討がつくんですよ」
大丈夫です。どこに行ったって見つけてみせますから。
"なんてことはない"というふうに贈られたその言葉に。相変わらず涙はでなかったけれど、ほんの少しだけ鼻の先がツンとした。