『change my perspective.』マシロの言葉が始終頭の片隅に陣取っているせいで、日々後ろ髪を引かれるような思いで過ごさなければならなかった。
あの時は随分と極端な物言いだと思って取り合わなかったが、冬木真白という男は適当なようでいて適当でなく……それはヤツの言葉も同様で、よくよく考えてみれば昔から核心をついているものが多かった。ただ厄介なのは、マシロはひどく回りくどい言い方をするから都度噛み砕いて考えなければならないということである。
野球でいえば変化球の連続。少しは充弦くんを見習ってストレートを投げてほしいものだが……正しく厄介の一言に尽きる。
"バンドマンの本音なんて、楽しくて気持ちいいことしてたいだけ"
それが肉体だけでなく精神の充足も含むのだと知った時、あぁ。確かにそうかもしれないと半分くらいは納得できた。
まぁ、それもアカネさんのアシストなしでは気づきようのなかった事実ではあるのだが。
「アカネさん」
「ん」
「やはりバンドマンとは、"楽しくて気持ちいいことをしていたい"というのが本質なのでしょうか……?」
ゴホッとアカネさんが軽くむせた。どうやらコーヒーを飲み下すタイミングで声をかけてしまったらしく、慌てて大丈夫ですかとティッシュを差し出す。呼吸を整えるために小さく咳を繰り返せばその度に手元も揺れて、カップから溢れた薄茶色の雫がテーブルに染みをつくる。
ひと仕事終えた後、決まってアカネさんはミルクたっぷりのカフェオレを飲む。
最初など砂糖をこれでもかと入れるものだから、せめて一、二杯してくれと頼み込んだのは記憶に新しい。飲む回数が一日一回ならまだしもブラックとの比率は半々で、いくら甘党といえど糖分の摂りすぎは体によくない。
ようやく呼吸が落ち着いたアカネさんの目元には生理的な涙が浮かんでいた。……悪いことをしてしまった。身を縮こませていると、それで?と話の続きを促される。
「あ、いえ……マシロがそう言っていたので少し気になって」
「……アイツ、言い方が極端なんだよな」
「はい?」
「いや、マシロが言ってることも間違ってはねーんだけど」
こめかみを押さえ、なんて言えばいいんだろうなと首を捻る。いつも即答するアカネさんにしては珍しく適切な表現を探しているようだった。
「体だけじゃなくて、心もそーだってこと」
「心、ですか」
「例えば汗かいたらシャワー浴びたいって思うだろ?」
「はい。それは勿論」
「だよな。けど……あぁ、これはあくまで俺の場合なんだけど」
ライブでかく汗は、別にいいかって思うんだよな。
「ライブでかく汗……」
「そ。アレだけ特別」
ステージに立っている時の自分を思い返してみる。
ライブとなれば照明や人々の熱気で季節関係なく汗をかく。けれどそれを煩わしいと思ったことは……確かに一度もない。むしろシャワーで流すのが惜しいとさえ感じる。
あの特別な時間に首筋や頬を伝う汗は、ギターを弾く自分自身やルビレ、そして会場を埋め尽くすカラーズのエネルギーが詰まっている。そんな感覚がするのだ。
「"汗をかく"こと自体は共通してても感じ方は全く違う。ライブの場合は精神的な部分が満たされてるからな。マシロが言ってんのもそーいうことだろ、多分」
「……なるほど」
あの言葉が肉体だけでなく精神の充足も含んでいるのだとすれば頷ける。
まったく一々遠回りな言い方をする。もう少し直球で言えないのだろうか。アカネさんの解説がなければ気づかないところだ。
「ま、額面通り受け取ってもいーっちゃいーんだけどな」
「え?」
「実際体だけ満たされればってヤツもいるだろ、中には」
「……そういうものでしょうか」
「そーだよ。お前自身はそうじゃねーし、そもそも他のバンドに興味ねーから気づかないだけ」
「はぁ……」
「マシロのことはどう思う?」
「え」
「マシロもそういうヤツだと思うか?」
問われて、すぐには返答できなかった。出会ったばかりの頃は確かにそう感じることもあったから。
けれど今は。三年以上連れ添った、今は。
「……いえ。思いません」
答えを聞いたアカネさんは満足そうに笑って、カップの三分の一ほどになったカフェオレを一気に飲み干した。