『たまの星、夏の花』「おー。眺めいいな」
「ありがとうございます。がんちゃんもそうやってよく外を眺めてるんですよ」
お昼時、不意にアカネさんが「ハイジって花火大会行ったことある?」と話を振ってきた。
いつもならまた一体何のことかと思考を巡らせるところだが、今回は"花火大会のニュースを熱心に見ていたから話の種にするかもしれない"と事前にクロノさんから聞いていたのですぐに合点がいった。
花火大会に行ったことはある。けれど覚えているのは"行ったことがある"という漠然とした事実だけで、その他のことは大部分がぼやけてしまっている。子供の頃のことだからきっと母に手を引かれて行ったのだろうけれど、その温もりすら曖昧だ。
散らばったピースを掻き集めるようにして記憶を手繰り寄せ、足りない部分は想像で補いながら思い出を語る。パイプ椅子に腰掛けて熱心に耳を傾けるアカネさんは見るからに興味津々で、けれど"自分も行ってみたい"とは口にしなかった。
ルビレの知名度を考えればそれは不可能に近いとわかっているからだ。変装して紛れ込むことは出来ても人口密度が高い花火大会で万が一バレるようなことがあれば確実に騒ぎになる。そうなった時に止められる人はいないし、最悪怪我人もでるだろう。安全面の観点からして賢い選択とはいえなかった。
なんとかしてアカネさんに花火を見せられないか。
考えに考えた結果、自宅のベランダから例年開催されるお祭りの打ち上げ花火が見えることを思い出した。距離は遠いし、見えるといってもギリギリの位置だからお世辞にもロケーションがいいとはいえないけれど……少しでも雰囲気を味わってもらえたらという僕なりの心遣いだ。
「あと一時間くらい?」
「はい。だいぶ暗くなってきましたね」
「始まる前に買ってきた酒準備しとくか」
「そうですね!僕も冷蔵庫からおつまみ取ってきます」
クロノさんとマシロさんは二人で合わせたいとスタジオに残り、がんちゃんは仕事の関係で都合がつかなかった。三年一緒に過ごしてきてアカネさんと二人きりというシチュエーションはないわけではないが、決して多いとはいえない。ルビレに所属したばかりの頃よりは慣れているものの、未だに少し緊張してしまう。
「どーした?」
「え」
「ずっとこっち見てただろ」
アカネさんのことを考えていたせいか無意識に目で追っていたらしい。窓際のテーブルに缶ビールやカクテルを並べ終えたアカネさんは、キッチンカウンターまでやって来て「ん?」と話の続きを促した。
「いえ……アカネさんだなーと思って」
「なんだそれ」
気恥ずかしくて俯きながら言うと、ふは、という特有の笑い声が聞こえてくる。でもそれ以外に表現の仕様がなかった。プライベートの時間、同じ空間にアカネさんがいるというのはルビレとして一緒にいる時とは全く感覚が違う。この場にクロノさんやマシロさん、がんちゃんがいれば多少いつもの感じに近づくかもしれないが……何せ今日は二人きりだ。
「緊張してる?」
「……少しだけ」
「ま、俺と二人きりってのあんまりないもんな」
「はい……」
首を振って誤魔化すこともできたが嘘はつきたくなかった。変に否定したところでアカネさんならすぐに見抜いてしまうだろうし……それに。
「……同じくらい嬉しいんですよ」
「嬉しい?」
「アカネさんを独り占めできるなんて、滅多にないことでしょう」
本音とはいえらしくないことを言っている。アカネさんもそう感じたのか金色の瞳が僅かに見開かれた。
「言ってくれりゃいくらでも時間つくるのに」
「そんな……!ただでさえ忙しいんですから休んでください」
「いやマジで。俺だってたまにはハイジのこと独り占めしたいし」
今度は僕が言葉に詰まる番だった。そうだ……アカネさんは決してやられたままではいない人だった。みるみる熱くなっていく頬を隠すように今度こそ全力で顔を俯けると、遠くからドドーン……という音が聞こえてきた。花火大会が始まったのだ。
「ほら、ハイジもこっち来いよ」
「はい」
汗をかいた缶ビールを片手に二人揃ってベランダに出る。ビルとビルの隙間に輝く大輪は所々が欠けていて完璧な花とはいえない。けれどその光景を眺めるアカネさんの横顔はとても満足そうで、誘ってよかったと心から思った。
「そのうちルビレでもやりてーな」
「何をですか?」
「花火」
「いいですね!是非!」
打ち上げるのは難しいかもしれませんけど、と独り言ちた僕に"ハイジ達がいればそれでいい"とアカネさんは笑った。