サクラエビ兄妹まわりいろいろ詳細【①と②の前提条件】
サンプは、地方のある街では有名なベーシストだった。どこのバンドに所属するでもなく、ライブハウスでバイトする傍ら、そこで繋いだ縁や紹介で様々なバンドのヘルプに入っていた。
そのうち、『RadicaRise』というバンドに勧誘され、加入までは至らなかったものの、一年ほど雇われの仮メンバーとして活動していた。
しかし、彼らがプロとしてスカウトされたという噂と同時期に、サンプはステージに立たなくなる。バイトも辞めたらしく、その後の動向を多くのミューモンは掴めなかった。
兄と入れ替わるように、妹がライブハウスやスタジオに出入りするようになった。自らを妹だと言って回ることはないものの、『そうらしい』という噂がほのかに流れていた。(サクラエビ族は絶対数こそ少ないが、この地域では特に珍しいと言うほどではないので、容姿だけで特定は難しい)
周囲が様子見をする中、チャンスを逃すまいと声をかけたミューモンが居た。
そして、メチに誘われ『Un Silent Beach』に加入したクラッシュ。熱心に勧誘する彼女に流される形だったものの、入ったからには期待に応えたいと、初心者ながらベースの技術を磨いていく。
①’
メチはサンプのファンであり、クラッシュはサンプの妹であるために誘われたのだと知っていた。だから、『サンプの妹』として期待通りの演奏が出来るよう、日々練習に励んだ。
ある日、少しの遊び心で、兄の演奏を真似てベースを弾いてみた。そして、たまたまそれを聴いていたメチがいたく気に入る。「練習で実際に合わせてみよう!」と手を引かれ、クラッシュは拒絶出来なかった。『サンプの妹』に求められていたのは、兄譲りの技術ではなく、『サンプに似た音楽』ではないか、という思いが頭を巡った。期待を裏切れば、彼女たちは離れて行ってしまう。自分がバンドに居る意味がない。ならば、とクラッシュは、自分自身の音楽を押し殺すことに決めた。
(メチはクラッシュの技術が上がったことで、サンプの演奏に近くなったのだと思っており、わざと真似をしたとは知らなかった。しかし、サンプの妹である、という事実に全くの下心がなかった訳ではない。ほんの少しの期待をクラッシュが敏感に察知して、勝手に気を回していた。)
(その後、メチから『サンプと同じステージに立つのが夢だった』と聞き、さらにこの認識を強くしている)
既に数度のライブを経ていたが、兄の真似をしたライブの方が、より観客の反応も良かったように思う。だが、その変化に気が付き、眉を顰める者もいた。コトビである。苦言を呈されるが、それに対してクラッシュは『兄の真似』の精度が低いからだと判断し、まともに取り合わなかった。
(クラッシュとしてはしっかり話を聞いていたつもりであり、意見を取り入れたと思っている。コトビは理解の得られなさにキレ帰っているけれど)
①
それから少し経った冬。
クラッシュを除いた潮騒のメンバーは何となくクラッシュの不調に気が付いていた。不調と言っても体調が悪いということではなく、何か思い悩んでいるようだった。クラッシュに直接聞こうとしても返ってくるのは「大丈夫」という返事ばかり。どうしたものかと思いあぐねる面々だったが、カレッタが「それならお兄さんに聞いてみれば良いんじゃない?」と提案した。身近にいる家族ならば何か知っているかもしれないし、悩みがわからなくとも、クラッシュが喜びそうなものを聞けば、彼女を元気づけられるかもしれない。
タイミング良く、サンプが久しぶりにライブハウス付近に顔を出したらしい。(ラジイズが呼び出していた。②に該当)
ならば行ってみようと、彼女らはサンプのもとへ向かった。
道中、非常に機嫌の悪そうなコトビに出会う。
コトビは潮騒に気付き、顔を顰めてそのまま通り過ぎようとしたが、メチが声をかけて引き止めた。サンプと関係が深い元バンドメンバーなら、彼が今どこにいるのか知ってると思ったから。
ただ、タイミングが悪かった。コトビは確かにサンプの居場所を知っていたが、そのサンプと(ほぼ一方的な)言い争いになり、サンプが立ち去ったため彼を探しに来ていた。タイムリーな話題に応じる精神的余裕はなかったのだ。しかも話しかけて来た相手はいつも突っかかってくるうるさい奴。穏やかに対応できるわけがなく、今までの鬱憤を爆発させて口論に発展。
(メチとコトビは元から仲が悪い。メチにとっては憧れのミューモンとバンドを組んでるにも関わらず、その相手にものすごく刺々しい態度を取るわ、同じ中学の先輩に当たるメチに対しても生意気だわで印象が大変悪い。
コトビからすれば先輩だろうが目を引く演奏をしている訳ではないので知ったことではないし、サンプに関することは部外者には関係がない。歌とギターが(コトビからしてみれば)下手な癖に声だけ大きいうるさい女。相性が悪い。
クラッシュが加入した時にラジイズのライブチケットを譲って貰えるよう(渋々)交渉したりと交流はあるが、それらはナギラ主導で話していた。ふたりで話すと十中八九口論になる)
売り言葉に買い言葉の応酬によってヒートアップした彼女たち。ヒト気のない路地とはいえ、大声を出せば当然周囲に響く。そんな、聴き慣れた声のただならぬ雰囲気に気が付いたクラッシュが、様子を確かめようと顔を出した瞬間、(コトビの「劣化版の音楽で満足してるようなミーハーの癖に」「あいつの妹というだけで突っ走って、あんな演奏させるなら最初からバンドなんて組まない方が良いんですよ!」「妹にサンプの音楽を期待するなんて、思い違いも甚だしい」など、メチを馬鹿にしてる、かつクラッシュを貶めている(ように聞こえる)言葉と、最後の言葉に対する反論として言った)メチの「クラッシュにサンプの音楽なんて、期待してるワケない!」と言っているのが聴こえた。
(クラッシュはラジイズがサンプとの話し合いの場を作るための騙し討ちに協力していたため近くにいた。潮騒はクラッシュがここにいることは知らなかったし、クラッシュも潮騒が来ているとは思っていなかった)
メチの本心としては、「クラッシュにはクラッシュの音楽があるのだから、サンプと違うのは当たり前。サンプの代替を期待して一緒にバンド活動をしているわけではない」という意味だったが、自分にサンプと同じ音楽を期待されていると思い込んでいるクラッシュには、正しく汲み取ることができない。メチの言葉は、クラッシュの行いの否定でしかなかった。
クラッシュはサンプにはなれない。『クラッシュの音楽』が『サンプの音楽』になることなどない。
(わたしはもう失望されてたのか。なら、きっとこのままバンドにいることは迷惑になる)
そう考えると、ぷつりと今まで気を張ってどうにか保っていた糸が切れたような心地だった。そもそもクラッシュは、もっと簡単に彼女の夢が叶う方法を知っている。でも、少しでも自分に対して期待があるならば諦めたくないと、今まで頑張って来たのだ。その結果が、これである。
そしてクラッシュは、潮騒のメンバーには何も告げず、気が付かれないうちにその場から離れた。
(マナツが立ち去るクラッシュを目撃していたため、話を聴いていたことは後々コトビは知ることになる。この場はマナツがコトビを連れ戻して収める。他所のバンドに口を出したことに関してはマナツに割としっかりめに叱られる)
一方、その頃のサンプは、後から追いかけて来たルイードに捕まっていた。こちらもこちらで、バンドに入る入らない、友達か友達ではないかなどで揉めていた。
そこに先程の話を聴いて急いでその場を離れようとしたクラッシュがやってくる。
尋常ではない様子のクラッシュに少々呆気にとられたふたり。サンプが居ることにクラッシュが気が付くと、縋るように詰め寄る。
「頑張ったけど、やっぱり真似なんかしたってサン兄じゃないと駄目だった」
説明もなく動揺のままに話したが、サンプはクラッシュがバンドに加入し、且つ自分の真似をしているのでは、ということには察しが付いていたため、バンドで何かあったのだろうとわかった。
クラッシュはサンプに「だから、わたしの代わりにライブに出て欲しい」と懇願する。
メチの夢は『サンプと同じステージに立つこと』だと、以前聞いていた。自分がサンプの代わりになれればと今までその期待にしがみついて来たが、そんなことは既に求められていなかった。クラッシュ自身では彼女の夢を叶えられない。
だから、メチの夢を叶えることが出来るサンプに頼み込む他なかった。
クラッシュは自分に期待して、バンドに勧誘してくれたメチへ、ずっと恩返しがしたかった。求めてくれたならばその分を返したかった。役に立たないのであれば、彼女たちが自分の傍に居る意味などない。
サンプはクラッシュに一つの条件を出して願いを聞き入れた。
条件は『バンドを脱退し、自分と共にMIDICITYへ行くこと』。
地元の繋がりを捨て、サンプの転勤に着いていくその条件は、メチの夢が最優先であるクラッシュにとって、取るに足らないものであった。
そもそも、自分がサンプの代わりを十分に果たせないとわかった時点で、バンドに所属し続けられないと考えていた。バンドに役立たずは必要ない。
クラッシュはその提案に頷き、サンプが代打でライブに参加することになる。
(ルイードがその場にずっと居たが、口を挟む隙もなく決まってしまった)
(サンプは妹を傷付けたミューモンに腹を立てて意趣返しをするため2割、別の理由でただただ自分が腹立たしく思った4割、ラジイズに嫌われるため4割で引き受けている)
クラッシュは後日、潮騒にライブに兄が出演することを伝えた。
もちろんそれだけ聞いたメチは喜んだ。憧れのミューモンと一緒にライブが出来る!純粋に嬉しかった。
しかしカレッタが「じゃあクラッシュは?一曲だけ代打してもらうの?もしベースがふたりになるならアレンジどうにかしないといけんね」と質問すると、クラッシュは首を振る。
自分の代わりに兄が出るから、自分は出ない。そして、そのライブを見届けるのを最後に自分はバンドを脱退する。
そう伝えられた潮騒は唖然とした。確かに、最近元気がないとは思っていた。しかし、いきなり脱退を決めるほどだとは予想外だった。
詳しく聞けば、引越しが決まったのだと言う。ここからMIDICITYは遠い。気軽にバンド練習に参加できなくなると考えれば道理だが、ならば最後のライブはクラッシュが出演して思い出を作るべきではないか。
ナギラが言えば、クラッシュは虚をつかれた顔をした。
「サン兄がこっちでライブに出られるのは最後だし、その方がみんなも嬉しいでしょ?」
クラッシュはさも当然のことの様に言う。そして、ね、とメチを見て同意を求めた。
クラッシュに視線を向けられたメチは、何とも言えない不安を覚えながら言葉に詰まった。先ほど夢が叶うと喜んでしまった自分を思い出し、余りにも自然にそれを言ったクラッシュに何と言うべきか迷った。
「それでも、」と否定しようとすれば、クラッシュが「大丈夫だよ」と言葉を重ねた。
「わたしはサン兄にはなれなかったから。メチが言ってくれたからやっと諦めがついた。今まで期待に応えられなくてごめんね。やっと、メチの夢が叶うね」
おめでとう、きっと良いライブになるよ。
メチとコトビの言い争いをクラッシュは聞いていたのだ、と彼女たちは気が付いた。コトビの『サンプの代替』という言葉を信じてしまったのか。メチが最初はサンプがきっかけだと言っていたのも事実。でも、もうそんな風には思っていないとどうかわかって欲しい。
しかし、その後は何を言っても、どう否定しても、暖簾に腕押し。
クラッシュは「わかってるよ」「大丈夫」と言うだけで取り合おうとしない。
焦るメチを他所に、クラッシュは困ったような笑顔で「ライブ、楽しみにしてるね」と言い残して去っていってしまった。
後に残った潮騒は、ただ立ち尽くすしかなかった。
でもこのまま終わりにはしたくない。
せめて、自分たちはサンプの代替を求めていたのではなく、クラッシュと、クラッシュの音楽を一緒に楽しみたかったのだと伝えたい。
言葉で伝わらないのならば、音楽で伝えるしかない。
潮騒は、クラッシュがUn Silent Beachのメンバーとしての最後のライブに賭けることにした。
ライブ当日。
サンプも含めたメンバーでのリハーサルが終わり、潮騒は少しの違和感と不安を覚えていた。
きっとライブの演奏に問題はない。サンプとのセッションはやりやすい。慣れた感覚で演奏が出来る。まるで、いつも通りクラッシュが参加している演奏の様で。
考え込んでいる彼女たちにサンプが声をかけた。
「何か悩んでるようだけど、観客には関係ない。観客はただ、きみ達の音楽に期待してここに来てる。どんな事情があろうと、全力でやるしかない」
それに、とサンプが続けて言う。
「その方が、きっと気持ちも伝わるぞ」
メチはパッとツインテールを揺らしながら、俯いていた顔を上げた。
サンプはマスクをしているため、あまり表情を伺えない。しかし、なんとなくこのヒトも妹を心配して応援してくれているのかもしれないと思う。
そうでなければ、わざわざこんな風にメチたちを鼓舞したりしないだろう。
メチはパンッと頬を叩いて気持ちを切り替える。
ウジウジ考えていても仕方がない。全力で演奏する以外に出来ることは今はないのだ。
そして、ライブが始まった。
クラッシュは当然、観客席から潮騒を見ていた。
それを見つけたメチは、気持ちが届くよう願いながらナギラのカウントを聞いていた。
演奏が始まり、リハーサルで感じていた違和感が浮き彫りになっていく。
本当に、クラッシュと演奏している様なのだ。一緒に演奏しているのはサンプであるはずなのに。しかしそれは、クラッシュよりも数段上の質の演奏で、いつも通りの潮騒の演奏ではあるのに、それを崩さずクオリティが底上げされている。まるで、自分たちまで上手くなったような感覚に陥る。
自分がUn Silent Beachのメンバーで目指したのはこの音であるとまで言える。
サンプがわざとクラッシュの演奏に寄せてくれているのかと考えたが、メチはサンプのファンだ。サンプがいつも通りの演奏をしていることはわかる。
では、なぜ?
そこまで考えて、クラッシュの『わたしはサン兄にはなれなかった』という言葉を思い出した。
クラッシュがサンプの真似をしていたのではと思い至ったのだ。
前に、クラッシュの演奏がサンプの演奏と似ていて、彼女がサンプの音楽のように聴こえるまで上手くなったのだと思い、そのままセッションしようと誘ったことがあった。ただ彼女の技術が上がったからサンプの演奏に近くなったのだと思っていた。家族で音楽が似ることはよくあるから。
でも、クラッシュがわざと似せたものだったら。
考えて、ゾッとした。それからの彼女の演奏はずっとサンプの音楽に似ている、その音楽だった。
自分が、クラッシュに自分の音楽を押し殺させてしまっていた。
目の前が真っ暗になるような心地であった。
それなのに、このライブでの演奏はきっと人生の中で一番楽しく、一番理想の音楽である。
隣で演奏する憧れのミューモンが視界に入って、その輝きに目が眩んだ。
チラリとこちらに視線を寄越した憧れは、見透かしたように笑いながら、瞳に怒りを溜めていた。
そして、あぁ、自分に吐き気がするな、と感じて、メチはそこで全て諦めた。
一方、クラッシュはボロボロ泣きながらライブを聴いていた。
自分が届かなかった音楽がそこにあった。そして、自分自身の音楽でないが故に、どれだけ練習を重ねたってこれからも永遠に届かないこともよくわかる。
お互いがお互いを求めている、心からの音楽に勝るものなどきっとなかった。
(わたしも、わたしの音楽を求めてくれる子と一緒に、こんな演奏ができたら)
それは、とても素晴らしいことだろう。
クラッシュのUn Silent Beachとして最後のライブは観客席から、大成功の歓声の中で終わった。
その後は、潮騒はクラッシュに話しかけることも出来ず、そのままMIDICITYに引っ越すことになった。
Un Silent Beachに残ったものは、罪悪感と、実力に見合わない客の期待だった。
大成功を収めたあのライブは、サンプが居たからこそ成り立ったもので、彼女たちもクラッシュに思いを伝えるために尚更熱の入ったライブだった。
サンプどころかクラッシュはもちろん、代わりのベースも居ない次のライブで観客の期待を裏切ってしまう結果になったのは、当然の帰結であった。
無責任な期待で妹を傷付けられたサンプから、Un Silent Beachへの意趣返しである。
(サンプは傍目から見れば、善意で妹の代わりにライブに出演し、自分の持てる限りの力でライブ成功の手助けをしただけで、誰もサンプを責められない状況)
(もちろんサンプは悪意100%。ついでにこれでラジイズから嫌われようとしたが失敗している)
(サンプが最後のライブで使ったベースは元々自分が使っていたけれどクラッシュにお下がりとして渡していたベース。クラッシュは現代でもそのベースを使っている。サンプがベースを辞めるときに未練を絶つために妹にあげた。ベースの名前は『フラワーラフト』。サンプはMIDICITYに引っ越してから仕事上必要になったので別のベースを買っている)
クラッシュとサンプはMIDICITYに引っ越し、現代のふたりの生活に繋がる。