「お前がリドル・ローズハートか?」
ソファーに座る目元がつり上がった男性は、四〇代半ば後半といったところか? 黒と紫の細いストライプ柄のスーツに、夏にも関わらず、肩には真っ白いファーコートを引っ掛け、目の前のガラステーブルの上に長い脚先にあった濃い焦げ茶色の靴を投げ出している。
作法を知らない行儀の悪さに腹が立って「まずはご自分が名乗るのが先なのでは?」と言えば、薄暗い部屋の隅、ゲラゲラと笑うフロイドと、その横で追わてふためくアズール、そしてボクの背後で盛大に「ぷっ!」と吹き出したジェイドの姿に、目の前の男性が眉間に皺を寄せ、ひと睨みして黙らせた。
あのバカに首輪をつけられるだけあると、舌打ち混じりにそうつぶやいた男性は「俺はそこのボンクラウツボ二人の父親だ」と、はじめましてと呆れながらそう名乗る。
「はじめましてリーチさん。リドル・ローズハートです……今は、リデル・アーシェングロットと名乗っています」
ボクがそう名乗ると「リデル……リデルなぁ」とつぶやいた彼は、ずっと立ったままのボクに「オイ、何突っ立ってんだ座れ」と着席を許可した。
大きな手で頬杖を着きながら数枚の書類を眺める彼と、机を挟んで目の前に着席すれば、部屋の隅に立たされたアズールとフロイドと目線が合った。その体はボロボロで、酷く争った形跡が見て取れる。本当に、一体何があったんだ。
「あの、質問をしてもいいでしょうか?」
ボクが手を上げてそう許可を求めると、彼は「何が聞きたい?」とボクに目線を合わせぬまま返事をする。
「まず第一に、どうしてボクをここに呼んだんでしょうか?」
「はぁ? そこからかよ……ジェイドお前、説明しなかったのか?」
「父さんが説明しろと言いませんでしたので、リドルさんには父さんが呼んでいることしかお伝えしておりません」
ジェイドの回答に、チッと舌打ちした彼はウンザリした顔で額を抑えた。ジェイドのこういった性格は、父親でも手を焼いているようだ。
「お前をここに呼んだのは、そこに立たせた二人、お前の旦那とウチのフロイドのせいだ。俺はこれでも、珊瑚の海と陽光の国の一部でデカいシマを張っている。表家業に裏稼業とそれなりに手広いシノギでファミリーをデカくしてきた。それを、ウチのボンクラがお前らを自由にするために寄越せと、お前の旦那と共謀して、ついでにもう一匹のボンクラ息子と三人で俺の首を取りに来た……そんなバカどもにリドル・ローズハート、テメェのどこに、そこまで執着する要素があるのか分からねぇと言えば『目で見て直接不判断しろ』と言いやがるんだ。だったらテメェをここにつれてきて、直接確認する他ねぇだろう?」
たしかに、その話の流れならボクがここに呼ばれても仕方ない。なにより、ボク達を自由にするために、こんな手段に出るなんて……あのボロボロになった姿は、目の前の父親に挑んだためだったのか。だが、この目の前の彼は、直接ボクを判断するためにボクをここに呼んだのではないのだろう。どう見ても、目の前のこの人から、ボクへの興味なんてひと欠片も感じない。むしろ真意は別のところにあるように感じる。
「それで、ボクはあなたのお眼鏡に叶いましたか?」
「クソ生意気なところは……まぁ、悪くはねぇよ」
彼がそう言うと、壁際に立ったフロイドが「だったら!」と声を上げ近づこうとすれば、書類から視線を外した彼が、低い声で「動くんじゃねぇ」と威圧した。グッと抑え込まれるような空気に、この威圧を向けられていないボクでさえ肺が詰まりそうだ。もちろん、直接これを浴びた二人は、縫い付けられたかのように動けなくなり、タラリと額から脂汗を滲ませた。
「俺の許可なく喋ってんじゃねぇ……お前らは事が済むまで部屋の隅で大人しくしとけって最初に言ったよなぁ?」
二人が大人しくなったのを確認して、男が先程から手に持った書類の中身を読み上げ始めた。
「リドル・ローズハート……薔薇の王国出身の二十二歳。父親は、魔法医術士のルイス・ダーズベリ医術士。輝石の国南部にある小さな村の牧師の父と、オレンジ農家のひとり娘である母との間に生まれた。幼少期から異才を放ち、十六歳で黎明の国の国立大学に飛び級する話が出るも、闇の鏡に素質を見込まれナイトレイブンカレッジに通うことになりそれを蹴る。卒業後は黎明の国の国立医大から声がかかり、今現在、魔法医術士であり魔力管を専門に研究する機関に席をおいている。母親も同じく魔法医術士のマリー・ローズハート医術士。その父親は秘匿とされ不明。噂では、国内外の貴族、または政治家か富豪かと噂されている。母親は魔法医術で名高い名門ローズハート家の直系であり、現当主。その一人娘のマリーは、薔薇の王国随一の名門女学院で常にトップの成績を誇り、エスカレーター式で卒業。卒業後は資格取得と共に国内で魔法医術士として従事していたが、息子が生まれたと同時、女児以外の出産を許さないローズハート家を出て、都市部中流層の住宅街で息子と二人暮らしを始める。夫であるダーズベリ医術士とは夫婦別姓で通している……ここまではあってるか?」
彼の話は、お母様やお父様の表向きのプロフィールに載っていない……それどころかボクの知らない話もあった。anathemaの目から隠れると決めて、気持ちの上で縁を切ったつもりでいたが、それでもこうやって自分の両親の知らない話を聞くのは、なぜだか心が酷く動揺する。
男は、ボクが少なからずショックを受けているのが分かったのか、無言のまま固まったボクのことを無視して、手に持った書類の続きを読み直す。
「その一人息子のリドル・ローズハートは、幼少期より教育熱心な母親の元、将来は魔法医術士になるために徹底した管理の元教育を受けて育つ。エレメンタリースクールから、成績は常に全国トップ。将来を約束された存在でありながら、呪石の呪いにより五年半前にナイトレイブンカレッジの自室より突如として失踪。生死不明。その裏で、イヴァーノ・アーシェングロットの養女として戸籍を変え、女性化しリデル・アーシェングロットとして二卵性双生児を出産。その子供は、戸籍上は夫であるアズール・アーシェングロットとの子どもとされているが、DNA鑑定の結果、片方のサミュエル・アーシェングロットはウチのクソボンクラ息子の種で出来たガキだ。どうだ合ってるよなぁ?」
サミュエルのDNA鑑定と聞いて耳を疑うボクの前に、彼が書類の一部を投げてよこした。そこにはサミュエルの顔写真と、サミュエルの髪らしい毛先が赤いターコイズブルーの髪の毛が数本ジップロックに入って添えられていた。もちろん、書類にはサミュエルがフロイドの子とDNAが一致した事柄が細かに記載されていた。
「まぁ、そんな結果なんて見なくとも、ガキのツラ見りゃ一目瞭然だがな」
フロイドとジェイドの父親は、どう考えても明るい仕事をしていないように思える。そんな彼が顔を見れば分かると言ったのに、どうやって入手したのかサミュエルの髪からDNA鑑定を行った。その理由も、髪の入手法も、考えれば考えるほど仄暗く、ボクは痛いほど鳴る心臓を服の上から押さえた。
「なんで俺がこんな話をするのか、賢いオツムでわかるか?」
「ぼ、ボクが……あなたの息子さんを、こんな事に巻き込んだ事実を詳らかにするためですか?」
「よく分かってんじゃあねぇか」
男が手を上げれば、ジェイドが「かしこまりました」と銀色のトレーに小切手帳とペン立てに刺さった綺麗に細工されたペンを持ってきた。
男はそれを、慣れた手つきで一枚剥ぎ、荒い字で六億マドルと金額を書き、その下に男の名前を書きなぐった。そして最後、自分の指にはまった指輪の表面を押し付けると、小切手に偽造防止の特殊な加工が施された。
「この金で、このボンクラの種が混じった子供をこちらに引き渡し、さらに今後一切、このボンクラにも接触しないなら、あと四億マドル追加で出してもいい」
男の言葉に、この場の空気が固まった。
「はぁ? オヤジさぁ、それマジで言ってる?」
「当たり前だ、冗談でこんなつまんねぇ奴にタダで一〇億マドルくれてやるほど、今はまだ夜じゃねぇだろ?」
「……っざけんなッ!」
父親に今にも殴りかかりそうなフロイドを、隣に立っていたアズールが取り押さえていた。
「ボクは……フロイドがボクに近づきたくないとそう思うなら、彼に今後一切接触を禁止されてもかまいません」
「金魚ちゃん!?」
「でも……どうあってもサミュエルは渡さない、あの子はボクの子だ。ボクが産んで育て愛した、ボクの宝物だ。お金でどうこうなんて……あの子は物じゃない!! そんな考えのあなたが、ボクの宝物を奪わせない!!!」
「あぁ? リドル・ローズハートお前、自分の立場分かってんのか? お前に本来決める権利なんてねぇんだよ。それをこれだけ譲歩してやってるんだ、それに歯向かうなんざ……バカじゃねぇのか?」
ドンっと、上から押さえつける様な圧がボクの体にのし掛かり、ボクはその場に膝を折った。呼吸さえ出来ないそれに圧倒され、意識が飛びそうになったが、それでもボクは、必死に彼を睨みつける。
「お前みたいな細っこい観賞魚なんか、俺の圧のまえなら数分と保たねぇ……それぐらい分かるだろ? もう一度言う、俺の息子との子種で出来た子供をこちらに引き渡せ」
「い、やだッ! 絶対に、ボクは、サミュエルを、渡さないッ!!」
圧に抵抗し立ち上がると、チッと男の舌打つ音が聞こえる。
「本当に、諦めが悪い……!」
グッと伸びた彼の爪が、ボクを引き裂こうと手を振り下ろす。両腕で庇えば、腕の薄皮一枚が服事切れて、ボクの腕に血の線が走る。
「ぃッ……!」
「リドルさん!」「金魚ちゃん!」
噛み締めた歯の奥、ボクの呻く声に、アズールとフロイドが今にも駆け寄ろうとする声が聞こえた。だが二人に、大丈夫と視線を送り、ボクは彼に向き直った。
「サミュエルは誰にも渡すつもりはありません、たとえそれでボクが死ぬ事になっても、絶対に、ボクはあの子を、ボクの宝物を渡したりしない!!」
「いい度胸じゃあねぇか、なぁ? リドル・ローズハート」
しっかりと意思表示して、ボクは彼の要求を突っぱねた。怒りで腑が煮え繰り返ったボクの後ろ、VIPルームの扉が大きな爆音とともに吹っ飛んだ。
振り返り、全員の視線が注がれたそこには、手を繋いだアスターとサミュエルが、眉を吊り上げ見覚えのある表情で立っていた。
二人の視線が、今し方、彼に傷つけられ怪我をした腕に注がれる。
「だれ? だれが、かあさんにこんな事したの?」
パァンッ! 大きな破裂音とともに、天井付近の照明が、音を立てて一斉に砕け散る。
「だれが、かあさんをケガさせたの!!?」
「ぜったいに、ぜったいにゆるさない!!!」
ボクの目の前、顔を真っ赤に塗りつぶして怒るアスターと、その横、ターコイズブルーの髪全体をワインレッドに染めたサミュエルが、揃って覚えのある表情で「ウギィィ!」と叫んだ。