若かりし拝み屋の手記(終)封印されたウツロの箱を、眺めていた。
関口の傍に其れを置いておく気にはなれず、
隠し通路のある蔵の奥に仕舞い込んでいた。
若い頃。
関口に降りかかった事象、繭姫の正体を
突き止めんと必死に調べ物をしていた。
最中、ウツロに関しての文献を発見した。
繭姫に囚われし者の姿を元に戻す。
ウツロなる、秘薬あり。
その頃。
日々人間から遠のいていく
関口の姿に焦りがあったのかもしれない。
あらゆる手を尽くし、ウツロを探し求めた。
そして、其れを手に入れたと同時に
更なる真実も知ることになった。
ウツロ、その身にとりこみし者
その姿、ありし時のままに孵りたる。
しかしてその御魂はウツロとなりて、
輪廻転生にすら、昇ること無し。
若い私は、激しく失望した。
いくら見目が戻ったところで、
大事な中身が消えてしまったら
なんの意味があろうか。
こんな悍ましい薬は、
何処かで焼き捨ててしまおう。
そうまで思ったのだ。
しかし、
捨てられなかった。
文献によると、
繭姫は不老不死だった。
幾度殺されても、
美しい繭を纏い、蘇った。
関口が、そうなら。
関口も、不老不死であるならば。
彼を人目から隠し、
暮らし続ければ。
永く共に生きていられよう。
先立たれる心配もない。
学生時代、関口と共に生きる為に
考えあぐねた日々が思い起こされる。
夢想した形とは大いにかけ離れたが、
私の願望は、成就したのだ。
しかし、関口のほうはどうだ。
こんな地下の牢に閉じ込められ、
血を与えられ、生かされている。
私を保護者のように信頼し。
甘えて、身を寄せてくれるが。
全ては、私の願望、幸せの為に
利用しているに過ぎないのだ。
人であった頃の彼がいるとしたら、
この有様をどう思うのか。
私に、何を望むのだろうか。
若い私はそこまで考え至り、
それ以上考える事をやめた。
ウツロと向き合う事を、拒絶したのだ。
箱に入れ、幾重にも封印し
暗闇に埋め込んだ。
そして、この甘やかな夢を
継続させる機関の構築に邁進した。
罪悪感を振り払うように。
「関の時間はあの日止まったまま、
お前の時間は止まらない。
どうしたって、
京極、お前は関を置いて逝く」
十五年越しの神からの断罪が耳に響く。
いい加減、夢から醒めて
関を救えと言いたいのだろう。
私は神ではない、人でもない。
私には、救うことなぞできない。
私はあの日。
人を捨てて、獣となった。
畜生である私は、
己の幸福を追い求める事しかできない。
封印された小箱を手に取る。
十年前に手にしたときより、軽く感じた。
私は今から此れを、神の元に預けるからだ。
「すごく、嫌がるだろうな」
眉間に深い皺を刻む、秀麗な顔が想像できる。
ともすれば、殴りつけられるかもしれない。
それを甘んじて受け入れて、伝えるのだ。
私は、この幸せな夢から醒める気はない。
夢のおわりがどうなるか、見届けて下さい。
もし…志半ばでおわりが来たときは、
其れで彼奴を、救ってやって下さい。
「絶対、殴られそうだ」
手加減してくれないだろうなぁと
顎を擦る、そして小箱を懐に納めた。
いつもあの神を怒らせてばかりだ。
でもあの神は、誰より優しい。
憤慨しながらも、屹度預かってくれる。
誰より、彼を想っているから。
どうして、
彼のように、
愛してやれなかったのか。
過った疑問は、直ぐに
乾いた笑いと共に、霧消した。