スレッタとエランの呪いと祝福1. 4号の独白
どうせ明日死ぬのだ。身軽な方がいい。最大の荷物は大きな心残りだったが、なんとかそれを置いて行けるよう、4号は寮の自室から既に暗くなった窓の外を眺めつつ、静かに何かを描き始めた。
***
名も無い僕から君に届くことは無い手紙。
君に出会って、僕の隣に深淵が現れたと重った。
深淵を覗き込めば、深淵もまたこちらを覗き込んでいる、とはよく言った言葉だと思った。
僕には何も無かったんだ。
名前も、過去も未来も、何一つ。
社会的に存在すらしていない。
僕の人生に価値なんて無い。
学園に初めて来た日、ここにいるのはエランケレスであって僕ではない、僕は存在していない、そう実感した。
その時から僕は自分が死ぬまで透明人間として呪われたんだと自覚した。
なのに君が僕の呪いを解いてくれた。
―僕にも過去があった、あの走馬灯を見たときそう直感した。
―君が未来を分けてくれた。
足元を照らされたようだった。暗闇だと思っていたところに、初めてそこにあった道が見えた。道はずっとあったんだ。
―僕にも感情があった。
ずっとざわめく不快なものだと思っていたから蓋をしたせいだろう、これまで忘れてた。
君に会って、感情が全部溢れ出してきて、正直とても戸惑った。
ガンダムに乗って現れた君から目が離せなかった。
泣いてる君を見てもっと知りたいと思った。
グエルジェタークの求婚にはイラッとした。
あのリストは叶えばいいと重った。
困ってる君を助けたいと思った。
舞台の君を独り占めしたかった。
勝手に期待して、勝手に裏切られたと逆恨みして。
八つ当たりするほどの絶望。
全部持ってる君への嫉妬。
君の全てを否定したいと思う激情。
……君にとって僕は誰より特別でありたいと思う強烈なエゴ。
それを許してくれた君の温かさ。
甘え。憧れ。
感情なんてとっくに失ったものだと思ってた。
なのに僕は君を巡る感情にずっと振り回されていた。
自覚したとき、あぁ僕はどうしようもなく生きてるんだと思った。
どうしょうもなく君に惹かれて、焦がれてるからだと気付かされて。
僕はずっとここにいた。
君が僕の人生を見つけてくれた。
僕は明日、自分として死ねる。
君が、僕の呪いを解いた。
それは僕にとっては、こんな終わりの中では幸せな救いなんだ。
本当にありがとう、スレッタマーキュリー。
僕は君に謝らないといけない。
果たせない約束をして本当にごめん。
これはただの言い訳で、初めて、後先考えれないほど浮かれてしまったんだ。
…いや、これは嘘だ。
デート、行けない事はどこかでちゃんと分かってた。
でも、君が、僕の事を待ってくれるであろうことがただただ嬉しかったんだ。
君が僕を覚えてくれる事が、僕にとっての唯一の生きた証で、幸せな事だったから。
…違う、これは本音じゃない。
本当は。
僕は君の手を取りたかった。
君が掴んてくれた腕を握り返したかった。
君が照らしてくれた未来に、一緒に行きたかった。
君と生きたかった。
そんな未来を信じたかった。
だから約束してしまった。
…これが僕の心残りだ。
約束果たせなくてごめん。
君の幸せを願って、さようなら。
君にとってのエランより。
***
もうすぐ深夜だ。
手紙の体裁の心残りを封筒にしまいながら心が重くなる。
この時間なら誰にも会わないだろう。
封筒をポケットにしまうと4号は寮を出て、待ち合わせ先のベンチに向かった。
そのベンチは空の時計がよく見えた。立ち止まってそっとベンチの背を撫でてみる。
来るはずの無い明日、
会うことは無い待ち人。
思い浮かぶ未練を一つ一つワイプするように、心の中から消していく。
ベンチの後ろにそびえ立つ木を見て、なんとなくちょうどいいと思った。
木の根元に片手くらいの大きさの、小さな穴を掘って、封筒を深くに埋める。
土をかぶせながら、まるで墓のようだと思った。
墓標、という言葉が浮かんだので、近くに落ちていた黒っぽい石に手を伸ばす。
手に取ると、それは暗闇でもわかるほどにかすかに透けている深い緑色の隕石だった。
モルダバイトだろうか、なら大方この学園の誰かの落とし物だろう。
きっとコレにとってもここが旅路の終着点だ。この先など無いそれをぼんやりと眺める。
僕はもうすぐこの世から跡形もなく消える、何も残らない。
ならせめて心はここに置いていければ。
そんな事を思いつつその深緑の破片を、届かない手紙を埋め立てた土の上にそっと置く。
感傷に浸るなどらしくもない。
そんな事を思いつつ、もう二度と来れないその場所を後にした。
**********
2.エランの最期
その後の事はよく覚えてない。
きっと寮に戻って朝を迎えたんだろう。気づいたら検査着で手足が拘束されていた。
朦朧とした思考の中、ふと僕を待ってるであろう君が浮かぶ。
断片的な記憶の中から君が歌ってくれた歌を思いだす。
あぁ、君にお祝いを返せていなかった。
心残りは全部置いてきたはずなのに、この期に及んでまた新しく浮かんでぐる。
きっと君の人生を祝福してくれる人はいっぱいいる。
君のリストも全部叶う。
きっと君は幸せになる。
でもきっと僕がその中で一番君を祝福してる。
あぁ、思考が鈍い。
君に返さないと。
あの日聴いた歌が口からこぼれる。
もう届かない。
でももう、届かないそれしか贈れない。
目の前が明るい。眩しい。温かい。
…あぁ、まるで君みたいだ。
君の髪みたいな赤い光に包まれながら思考が途切れる瞬間までそう思った。
***********
3.スレッタの独白
夕暮れのベンチで2人目のエランさんからエランさんの話をききながら、スレッタは必死で平静を取り繕っていた。
話が終わって『行こっか』に『はい』となどと答える自分は、うまく笑えていたのだろつか。
もう一つやりたい事があるからと誤魔化すと、よく似た彼はあっさり立ち去ってくれた。きっと察してくれたのだろう、そんな彼の気遣いに感謝しつつ一人になったスレッタはベンチで膝を抱えて小さくうずくまった。
うつむいた瞬間こらえてた涙が止まらずに溢れてくる。
今はみんなのところに戻りたくない。でもこんな目立つところで泣いていられない。
どこでもよかった。ただ一人になって受け止める時間が欲しかった。
もう、あそこでいい。
ベンチの後ろの木陰に逃げ込むように移動して、一番大きな木の根元でまたうずくまる。
冷たい草の感触が心を深く沈める。
止まらない涙が指先から腕をつたって地面に落ちて、深く染み込んでいく。
ひとしきり泣いた後だろう、腕を伝う自分の涙を眺めていると、それは肘をつたって木の根元の石に落ち続けていた。
涙で濡れたそれは黒く艷やかで、不自然な程歩道に対して並行だったので、つい拾い上げてしまった。
手に取るとそれは黄昏時の光が透ける、あまりにもきれいな緑色だった。隕石だったのだろうか。まるで縁が一度溶けてまた固まったかのように、表面は凹凸を残しつつ滑らかで、少し溶けた氷のようでもあった。
もうそれがだめだった。
あまりにもエランさんを連想させるそれは情緒を揺さぶり、もう決して会うことはできないエランさんへの言葉が溢れ出てくる。
***
ねぇ、エランさん。
私が知らなかった私のこと。私が知らなかったあなたのこと。
……点と点が繋がって、ようやく私の形をした線を見つけたと思ったんです。
じっと見つめると、その裏にあなたが重なって見えたんです。
エランさんがいなくなってから、エランさんの事をもっと知るなんて、こんな形で知りたくはなかったんです。
自分について何か一つ知るたびに、過去のあなたに近づいていくんです。
進めば2つなんて嘘でした。
進む先を間違えたから私はエランさんを失ってしまった。
未来に向かって進むのもきっと私にとって正しくない。
私は過去に、もうあなたに向かってしか生きられないんです。
遡れないから滑稽に映ります?
でも、あなたを目指すなら、それが前なんです。
未来にあなたがいないなら、私はそこを目指せないんです。
私もあなたと同じでした。
エランさんは違うと言ったけれど、本当は違っていなかったんです。
あなたの苦しみが、少しずつ見えてきました。
私。
ガンダムに乗るためだけに作られた、
本当の娘のレプリカで。
目的を果たすためだけに育てられた、使い捨ての鍵で。
未来だと期待してたものは、ただの巧妙なレールで。
お母さんからの愛はまやかしで。
花婿の肩書は利用価値の対価で。
私、あなたに、あんな言葉をかけてしまったのに、私は本当の誕生日すら持っていなかったんです。笑っちゃいますよね。
役割が終わった私には、明るい未来なんて無かったんです。最初から、本当に私には何も無かったんです。
ね、貴方に近づいたと思いません?
こんな辛さと虚しさをあなたは一人で抱えてたんだって。
私これまで本当は疑問に思ったこと、全部見て見ないふりをしてたんです。お母さんを困らせたくなくて。
でも本当は踏み込まないといけなかった。そうしたら私のこと、あなたのこと、絶対に気付けたはずなんです。
エランさん、最初から私も全部知っていれば、きっと私達の結末は違いましたよね。
いえ、絶対に違った結末でした。
自分の無知を、これ程悔やんだことはありません。
私はエランさんの手を掴んだと思った。なのにそれは本当はエランさんを死に突き落とす一手だった。
そんなことに気付けなかった、そんな愚かな過去の自分を許せないんです。
私とエアリアルがあなたを追い込んでしまった。
私がいなければあなたは今でも生きていた。
私が、純粋にエランさんの幸せだけに目が向いていれば、きっと今でも生きていた。
私が、エランさんを私の未来に巻き込もうとしたのが原因だったなら、私の願いはあなたにとっては呪いだった、今ではそう思うんです。
エランさんがあのとき死ぬほど否定したかった私を、今は私も心底否定したいなんて皮肉ですね。
だから私はクワイエットゼロ、止めに行こうと思います。
クワイエットゼロの部品として造られた私が、クワイエットゼロを否定できたら……私は生まれてきてしまった罪を、呪い呪われた因果を、少しでも清算できますか?
そうしたらあなたは少しでも私を赦してくれますか?
私を見てくれないお母さん。
データになっちゃった上位補完のお姉ちゃん。
それでも二人には間違わないで生き続けてほしいって思うのは、多分私の僅かな未練でしょう。
でも私はもう、二人を止めるために私が命を差し出せばいいんだ、って思ってしまってるんです。
何も得られなくても、キャリバーンに乗って死んでも、出来ることをただする、それでいいって思ってるんです。
いや、ちょっと違いました。
絶対に果たしたいこと、一つだけあります。
ベネディクトグループも、ペイル社も、絶対にここで終わらせなきゃいけない。
……だから私、ミオリネさんに一つ取引を持ちかけようと思います。
私はクワイエットゼロを、ミオリネさんはベネディクトとペイルの清算を。
ごめんなさい。仇を取りたいのにこんな方法しかとれないなんて不甲斐ないですよね。
でもこれが精一杯なんです。命を手にかけるのは悲しくてもう無理なんです。
ねぇ、エランさんはどこかから見ていてくれますか。
こんなことをしても、もうエランさんは戻らないというのに。
亡霊のような後悔。
過去にしかいないあなたにに届かない、せめてもの手向け。
私のエランさん。
もうすぐそちらに向かわせてください。
あなたと違わなかった、
スレッタマーキュリーより。
***
言葉にすると渦巻いていた後悔と覚悟がすっと鮮明になったように自分の中で腹落ちする。
涙を拭う。
もうみんなのところに戻れると思った。
「ありがとうございます、エランさん。」
スレッタの体温が移ってほんのり暖かくなったエランさんの色の燦めく破片を見つめながら、もう二度と会えないエランさんに想いを馳せる。
さようなら。
スレッタは握ってたその石を元あった地面に丁寧に戻して立ち上がった。
ミオリネさんに会いに行こう。
覚悟を決めたスレッタはもう一度涙を拭って、その場を立ち去った。
**********
4.クワイエットゼロにて
『また、困ってる?』
『エランさん?』
クワイエットゼロの中でエランさんが願望の幻覚として出来た状況に、スレッタは心底自己嫌悪に陥った。
この期に及んであなたに許してもらいたいと願ってる。
あなたの死を受け入れられずにいる。
この期に及んであなたに助けてもらいたい、本当はそう思ってる。
そんな自分を浅ましく思いながらも、それはあまりにも甘美な幻想で、スレッタはそのまま目に映るそれに抗えなかった。
『ここには強化人士のオルガノイドアーカイブが組み込まれているから、今はこの子と同じってとこかな』
『ごめんなさい、私のせいでエランさんが』
『君との決闘、後悔してないよ』
『僕の方こそ待ち合わせ行けなくてごめん』
『いいえ、いいえ』
『始めよう、スレッタマーキュリー』
望んでしまう、端的な言葉。
エランさんの幻想に誘われて一気にデータストームの出力を上げたスレッタは、パイロット席でそのまま意識を飛ばしてしまった。
***
多分それは目が開いた感覚だった。
気付いたらスレッタは一面白色の重量空間で、目の前に見た事無いほど優しい顔のエランさんがいた。
エランさん?
思わず声をかけてスレッタはまた後悔した。これも幻だ。私はまた都合のよい幻覚を見ている。
スレッタの顔がよほど苦かったのだろう。
「さっき見てたのは幻覚、今は違うよ。」
目の前のエランさんが話しかけてくる。
思わず「本当のエランさん?」なんて間抜けな質問をしたのに「そうだよ」と微笑まれた。
あの幻覚を自覚する特有の感覚もなくて、つい本当にずっと後悔していた事をスレッタは口にした。
『ごめんなさい。私のせいでエランさんが。』
『君との決闘、後悔していないよ。
僕の方こそ待ち合わせ行けなくてごめん。』
『いいえ、いいえ。』
ついさっきと全く同じ会話を繰り返してしまいながらスレッタは信じられなくて何度も瞬きを繰り返した。
「エランさんは幻覚じゃないんてわすか?」
「君の幻覚は僕をよく再現していた。でもほら、僕はもう本も手放せた。僕は君の幻覚とは違う。」
「私…本当にあなたに会えたんですか?」
「あぁ。僕はここにいるよ。
ずっとここにいたんだ。」
エランさんの両手を掴んだスレッタから、言葉が堰を切ったように、流れ出す。
「もうエランさんを失いたくないです。
本当は全部ちゃんと清算してから、エランさんに謝りたかった。
私、多分死んじゃったって事ですよね…きっと片付け終わってないけど……それでも何よりもずっとあのときからエランさんに謝りたくて。
私がエランさんをを呪ってしまった。
エランさんの事を教えてくださいって言ったのに私、何も見えてなかった。
私がガンダムに乗っていたから、エランさんも乗らないといけなくなった。
あんな形でエランさんを追い込んでしまって。
私が、エランさんとの未来を望んでしまったから、私の願いがエランさんを呪ってしまったんだって。
私はきっとあなたと関わるべきじゃなかった。
でもそれももう無理だったなら、私、何があってもあのとき絶対にエランさんの手を離しちゃいけなかったんです。
『私がいます』って言ったのに。
エランさんのために何もできなかった……ずっと、ずっと後悔してるんです。」
「君は何も悪くない。謝らないで。
それに決闘後悔してないのは本当だよ。
僕には何も無いと思ってた、そうじゃなかったって、君が照らしてくれた。
君が、何もないと思ってイた僕に未来を分けてくれたんだ。
あのときから、僕は僕として生き始めたんだ。
だからあの時から、今も、ずっと君に感謝してる。
ずっと、君の幸せだけを願ってる。」
「本当に私の幸せを願うならどうかもう私から離れないでください。」
「それは…出来ないかもしれない。
ここに来れた事が不思議なくらいだ。君はまた目覚めたら戻っていくよ。」
「戻る?どこに?
戻る場所なんてない……戻っても私には何も無いんです。」
「そうじゃない、
君には何もないんじゃない。
君を縛るものが何も無いだけだ。
君は、ただ自分の人生を自由に生きていける、そういう事だよ。」
「きっとそれは素敵な事なんでしょう、でも……私はあなたのいない未来に向かってもう進めないんてす。」
「なら未来で待ってる。
またよければ君の未来を、もう一度僕に分けて。
待ってるから、未来に向かって生きて、その先でまた会おう。
僕が意地悪だって文句を言いながら、ゆっくり来てよ、僕の事ずっと待たせて。
そうした後で、君のこれからの、それまでの人生について、僕に教えて?」
エランの穏やかな表情とは対照的に
スレッタの表情から悲しみは消えない。
「そんな悲しそうな顔しないで。」
「最後に僕がしてあげられ事」
「君が自分を呪う、君の呪縛の根源。これは僕が解いていくよ。」
そう言ってエランさんはスレッタのカチューシャを外した。それは淡い光となって、崩れるように空間の中に消えていった。
「縛られてはいけない。
君はお母さんの部品じゃない。」
「君の生い立ちも君の過去も君の一部だ。」
『君が、否定しても、間違ってるって言っても、それでも君の人生を、僕は肯定するよ。』
「私はエランさんを呪ってしまった」
「君は呪ってない。むしろ僕にかかった呪いを解いてくれた。
君が僕との未来を望んでくれたから、僕は初めて自分として存在してるとしった。
君は魔女だ。
とびっきりの、祝福の魔女。」
「祝福も呪いも、強い願いは表裏一体だ。
それは呪いじゃない。
君だけが僕を祝ってくれたんだ。」
「スレッタ、スレッタ.マーキュリー」
4号は片手でスレッタの手を握り、もう片手で彼女の頬の涙に手を伸ばしながらゆっくりは話しかける。
『君の世界だ…君の未来だ
どんな物語にでもできる』
またこぼれる涙をもう一度彼がぬぐう。
『これは君の人生 誰のものでもない
それは答えなんてない 自分で選ぶ道
もう呪縛は解いて』
「道」と言われてスレッタは少し言われている事が見えた気がした。
エランさんば私に生きてほしいと願ってる。
だから私の人生の先にはエランさんがいる。その道筋が、私の人生だ。
どの道を選んでも、最後は全部エランさんに、ちゃんとたどり着ける。
それは生きなければいけないならば、とても心強い事だと思った。
そんな事を考えこんだスレッタを見つめて、エランさんは優しく声を掛ける。
『この星に生まれたこと
この世界で生き続けること
その全てを愛せる様に
目一杯の祝福を君に』
エランさんが優しく、力強く見つめながら、スレッタを祝福してくれる。
エランさんの本心に触れて、スレッタは生まれて初めてただ一人の自分だけに向けられた祝福、というものを知った。
それはとても暖かく幸せなものだった。
誰かが自分の幸せを願ってくれる、今まで知ったものの中で一番素敵な贈り物だと思った。
エランさんが点けてくれたその小さな灯火は慈しむべきもので、決して不用意に絶やしてはいけない。
この灯火は、エランさんがスレッタのためだけにに灯してくれた、スレッタ一人のものなのだ、そう思った。
きっと生きていけば辛い事もある、でも自分は生涯をかけてこの灯火を守り抜きたい。
そのためだけに、生きていける。
そう思った。
『決して一人にはさせないから』
そう優しく声を掛けながらエランさんの見つめるスレッタは、既に少しだけ透け始めていた。
「もうお別れ、避けられないんですね。」
少し透けた指先でスレッタも自分の涙を拭いながらエランさんを見つめる。
「エランさん、ぎゅっとさせてください。
私が一生エランさんの温かさを覚えていられるくらい、強くぎゅーって、させてください。」
抱きつくスレッタに、同じだけの強さでエランもぎゅっと抱擁を返す。
「この一瞬が続けばいいのに。」涙混じりに笑いながらスレッタが、言う。
「きっとまた未来で同じ瞬間がくるよ。」エランさんも微笑んで返してくれる。
「そう、ですよね。未来に還っていけるんだ。」何か腑に落ちたようにスレッタが口にする。
「そうだね。だからこの一瞬も、その先の一瞬が点としてあれば線で繋げられる、その線上では継続してると言えなくもない。」
ちょっとエランさんの言ってることは少し難しかった。
でもこのお別れの先に、また会える時が来るんだ、という希望だけはスレッタも強く持てた。
「エランさんが言うようにこの世界の全てを愛した道の先の未来に、私、絶対に行きますから、そこで待っててくださいね。」
「あぁ。」
「鬱陶しさには定評がありますからね、次会ったらもう離しませんよ。」
「あぁ。ずっと未来の先で待ってる。
ずっと、見守ってる。」
エランがそう言い終わった途端、強い風のようなものが、スレッタを一瞬にして遠くに飛ばす。
一人でその場に残ったエランさんは、スレッタの消えた方向を見つめながら小さくて口にする。
「行っておいで、僕の祝福の魔女。
君の人生の門出を祝って。」
"Happy birthday, dear Suletta"
**********
5.スレッタの人生
『私には何も無いと思ってた……でもそうじゃなかった、そうじゃなかったんだ。』
気付いたらコックピットの中に意識も戻っていた。
でも私は確かにあの瞬間エランさんといた。呪縛を解く、と言われて外されたカチューシャは、ヘルメットの中からよ、パイロットスーツの中からも本当にどこかに消えてなくなっていた。
だからあれは確かにここではないどこかでおきた現実だったと確信する。
遠い未来を見据えてしまったからだろう、スレッタは現状をどこか俯瞰して眺めるている自分に気づく。
エランさんがくれた小さな灯火。そして『自分で選ぶ道』という言葉。それらを頼りにスレッタは再び目の前の対処すべき事柄に意識を向ける。
□エリクト再起動
目の前にエリクトがいる。
『私欲張りだから、お母さんともみんなともやりたいこといっぱいあるから!』
前なら遠慮して言えなかったような言葉も今は素直に口に出せる。
今新しくやりたい事をリストにするなら、あなたの事ももっと知りたいよ。エリクト。
□ミオリネさんの解散宣言
ミオリネさんの声がここまで聞こえる。ミオリネさんの覚悟が、パーメットリンクのネットワーク越しの声を通じて伝わる。
聞きながら色んな気持ちがスレッタにこみ上げてくる。
ミオリネさん、取り引きしてくれてありがとう。私は私の出来ること、ミオリネさんはミオリネさんの出来ること。ベネディクトグループの解体とペイル社への復讐、私だけの力では絶対に出来なかった。
もしかしたら私が私こんな取り引き持ちかけなくても結末は同じだったのかも。
それでも私は、エランさんへのはなむけとしてこの結末に介在したかったんです。エランさん、見てくれていますか。
ミオリネさん。思えば私達の出会いはとても数奇な運命だったんだね。
ミオリネさんがいなければ、私は絶対にここまでこれなかった。
全部終わったら、役割とか肩書とか抜きで、対等に肩を並べられるパートナーみたいな、そんな友達になりたいな。
□お母さんの見る幻覚
(データストームの幻覚はただの願望という設定に基づいてプロママの見る、プロママにとって都合の良い幻覚を、スレも見せられてる状況。)
『私が私を許せない』
お母さんの声が聞こえる。その一言には思わず共感してしまって、つい自分の母に都合の良い幻覚に見入る。
……そうか。これが、お母さんの望んだものだったんだね。
私がエランさんの向かってしか進めなかったように、お母さんも後悔からエリクトしか向かえなかったんだ。
失ってしまった喪失感。
それにしか進めない気持ち。
復讐したい気持ち。
自分を許せない気持ち。
それを肯定されたい気持ち。
全部許されたい気持ち。
今なら痛いほどよく分かるよ。
私も、同じ気持ちをもう全部知ってる。
私とお母さんの抱えた苦しみは、本当によく似てるんだ。
でもやっぱり私とお母さんはちゃんと違う。
目の前の自分ににそっくりな姿形の何かが勝手に喋っている。
それを見ながら冷静に思う。
私はあんな事は言わない。
誰かが許してくれないと未来に進めないもんね。本当によくわかる。
でもその役割まで私には押し付けないで欲しかった。
お母さんが切り捨てた私がなぜお母さんを肯定しないといけないの?
オックスアースを攻撃したくせに復讐を選んないなんて偽善もいいとこだ、自分の心を守るためにの保身?
もう私はあなたから離れていける。
幸せは願える程には好きだよ、お母さん。
でもお母さんの中に私の場所が無かったように、私の中にお母さんの場所をあけておく必要はないんだ……今ならそれを穏やかに受け入れられる。
そんなことを思いながら、目の前のグロテスクな茶番をスレッタは冷ややかに一歩引いて見つめる事ができた。
□粒子レベルのパーメット崩壊
やりきった。
エランさんは私を縛るものはもうないって言ってくれた。
でもきっと、このクワイエットゼロが無くなって本当ににここから私の人生が始まる気がする。
全部やりきったんだ。
「エランさん…」
聞いてくれてたらいいなと思って小さくて口にする。
「あなたが望んで、祝福してくれたから私はこの先の未来に進んでいけます。
祝福の魔女だもの、きっと私はこれから何だってできます。
私は……この先にあなたがいるから、あなたがいない世界も愛していけます。
私の呪いを解いてくれてありがとう、この涙はあなたへの愛だと思う。
この未来の先で、絶対にまたエランさんに会えるんだ、
ありがとう、私のエランさん。」
ふと消えていくエアリアルが目に入り、咄嗟に手を伸ばす。
できるかわからない。
でも、きっとできる。
あなたが私を、祝福の魔女と言ってくれたから。
きっとエリクトを救出できた。はず。
…目の前で消えていくキャリバーンのコックピットをぼんやり見つめながら、途切れかけた意識の中スレッタはそんな事を思った。
**********
6.エピローグ
あれから何十年経ったのだろうか。
麦畑の横のAS紀前風の古風な洋館は少し古びつつも品よく佇んでいる。
その夜は一際星が燦めいていた。
主寝室のマントルシェルフの上にはたくさんの幸せそうな瞬間を切り取った写真が飾られている。
隣の戸棚にも、拙い字で書かれた沢山の寄せ書きや手紙や小さな手作りの品々が大切そうに飾ってある。
この部屋の主は、きっと充実した人生を送ってきたのだろう。そう思えるような温かい部屋。
窓際のベッドには白いシンプルな天蓋がついている。
そこにこの部屋の主人である白髪交じりの赤毛の女性が、白いネグリジェを着て穏やかな表情で眠っていた。
それは、ちょうど静かに永遠の眠りにつく間際だった。
窓から入った月明かりがゆっくりと部屋の入口を照らした頃、そこに淡く白い光をまとった王子のようなシルエットが静かに現れる。
そっと、それはベッドの方へ迎え入れるように片手を差し出した。
するとベッドの女性もまた、白く淡く光りながらゆっくり起き上がり目を開く。
女性は片手を差し出す彼に気づくと、機能の衰えた体の精一杯の速さでベッドから立ち彼の方に歩んでいく。
不思議と、一歩進むごとに足取りが軽くなり前のめりに駆け出していく。
いつの間にか淡く白い体は実体の年老いた女性に変わり、刻々と若返りながら少女の姿に変わっていった、先程まで着ていた白いネグリジェはふんわりと広がる青いドレスに変わっていた。
月明かりの下の彼もまた、淡い白い光から、薄緑の髪、白地を基調とした赤金がアクセントのジャケット、立派なマントと瞬時に実体を伴っていく。
赤髪の少女は花が綻ぶような笑顔で、彼の手を取って、二人はぎゅっと抱き合った。
「本当に、未来に還って来ました!」目をキラキラさせるスレッタを愛おしそうにエランが見つめる。
『そうだね、おかしいね。』
月の光が照らす、見つめ合う二人はまるで暗闇に浮かぶ舞台の一幕ようだった。
『スレッタ・マーキュリー、僕と一緒に行こう』
『はい』
手を取り合った二人は、ゆっくりと幸せそうに月の落とすスポットライトから降りて、その先に向かって進んでいく。
道も、行き先も、今はもうなくても構わない。
『選ぶ未来が 望む道が
何処へ続いていても
共に生きるから』
終わり
**********
『』:原作、yoasobi/祝福、ドラマCDからセリフと歌詞を引用させて頂いております。少しだけ改変箇所あるかと思います。
素人の拙い文章、最後まで読んで頂きありがとうございます。