もう輪郭はあやふやでいいもう何日前なのか何か月前なのか、それとも何年前なのかも忘れたけど、傑とコンビを解散した。
一人でも何とか、とか僕といる資格がどう、とか色々言ってたけど早い話が一緒に居たくないって事らしい。
あー、はいはいそうなのねって感じで。僕はそれを受け入れちゃって。
受け入れたというか、知ってたというか。
分かってた? わかってたんだ。たぶん。
いつかこんな日が来ることを、僕はずっとわかってた。
だからもう後は全部任せちゃってもいいよねって思って、解散しよって言われて次の日には姿を消してやったんだ。
たぶん、傑なら後のことはやってくれるだろうって思って、思った? 違うな、なんだろう。
今度はお前が全部やれよって気持ちだったのかも。今度ってなんだ。
よくわかんないけど、まあいいかって。
もう全部どうでも良くなっちゃってさ。だって何にもしなくて良いんだもん。やりたい事もやるべき事もないから。
いつまでも夢の中に浸ってたって、もう誰にも怒られないし。
だから、いつまでもあやふやな世界に、居続ける事に決めた。
地震が起きたら今にも崩れそうなボロアパートの一室は、とんでもない量のゴミに埋もれていた。
殆どが食べ終わった弁当や使い捨ての箸やフォークなんかで構成された不衛生な絨毯のようになったそれが、玄関から部屋中に至るまでを埋めつくしている。蝿が飛び回り悪臭漂うその空間で、かつての相棒が瑣末な布団に包まり眠っていた。
顔も含め身体の大半は布団の中で、白い髪だけが飛び出ている。かつて絹糸のように美しかった白色はその輝きを失い、何時のものかも分からない食べ残しのカスが所々付着しているのをみて、夏油は顔を顰めた。
「悟、悟」
何度か布団の山を揺すると、むずがるような唸り声が聞こえる。
「…………〜……すぐるぅ……?」
ぐしぐしと目を擦りながら顰めっ面が布団から出てくる。眠気のせいで開ききらない瞼を、なんとかこじ開けながらこちらを見て、掠れた声で名前を呼ばれた。
「おはよう悟。……やっと見つけたよ」
「?……今日なんか急ぎの用事でもあったっけ……撮影……?」
言って、四つん這いになりながら身体を起こそうとして、動きがピタリと止まった。寝起きのいい彼の脳は直ぐに現実を認識しだす。今の彼に、撮影なんてもうないのだ。
「なんでいんの?」
先程までのふわふわした口調が一転、酷く冷たい刃のような響きに変わる。
未だ開ききらない瞳は、もう夏油を見てはいない。真下を向いたその瞳に映るのは、果たして汚れた枕か、昨夜の食べ後か。
「色々な人に聞いてね。あとはまあ色々と。君さあ、家の鍵くらいしっかり掛けないと。何かあったらどうするんだ」
「このゴミ部屋の中に盗む価値のあるものがあるように見えるわけ?」
「強盗以外にも危険はあるんだよ」
「たとえば?」
「……不審者が来て、君を殺そうとしたりとか」
「それなんか困る?」
「………………」
ピシャリと言い返されて何も言えなくなった。困るに決まっている。そう言えたら良かったのだが、今の自分にそれを言う資格があるのだろうか。そう自問してしまって。
「ねむ、ねる」
「悟」
「おやすみ〜」
久しぶりの再会だと言うのに、五条はあっさりと夢の世界に戻って行った。もうこれ以上何も見たくないとばかりに布団までしっかり被って。
それ以上どうする事も出来ず、夏油はため息を着いてからゴミの絨毯を軽く蹴り上げた。
次に五条が目を覚ましたのは、満杯のゴミ袋の数が二桁を超えた頃だった。
「…………なにしてんの?」
「見てわかるだろ。ゴミの分別だよ」
「……ふーん」
掠れた声にそう返せば、興味無さそうにまた布団に潜る。程なく布団の山が規則正しい動きを始める。
よくもまあこんなにも眠れるものだ。どちらかと言うと彼はショートスリーパーだったように思うのだが。
夏油はいっそ感心しながらもゴミの分別を再開した。
次に五条が目を覚ましたのは、依頼したゴミ収集業者が部屋の中のゴミをあらかた引き取って行ったあとだった。なんとか一人で分別し終え、有料で回収してくれる業者に速攻で引き取って貰えるように連絡出来たのは、一晩どころか次の日の昼頃だった。
「何か頼もうかな。悟も食べるだろ?」
「……昨日食べたしいーや」
「私が知ってる限り、昨日は君、ずっと寝てたよ」
「じゃあ一昨日」
「わかった、なにか適当に頼むね」
有無を言わさず、宅配アプリを通じてうどんなど胃に優しそうな物をカートに入れる。自分の分は肉多めの料理を何品か選んだ。
五条は嫌そうな顔をして、また布団に潜り込んで眠り出した。
一時間後に料理が来て、無理やり起こして食べさせたものの、半分も食べられずにお腹いっぱい、と言われたので仕方なく残りは夏油が食べた。
次に五条が目を覚ましたタイミングで、夏油は五条を風呂に入れる為に布団から引っ張り出した。
予想よりも強めに抵抗したものの、寝っぱなしの生活のせいか筋力も体力も落ちていた五条を風呂場まで連れていくのは容易だった。
無理やり服を脱がせて真っ裸にして、頭から熱すぎない程度のお湯をかける。
頭も身体も隅々まで丸洗いしたものの、その頃には五条はもう抵抗しなかった。そのかわり、うつらうつらと船を漕ぎ、夏油の言葉には何も答えなかった。
濡れた身体を拭いて、買ってきたばかりの下着とスウェットに着替えさせて、髪をドライヤーで乾かして、とひと段落着いた頃には、流石の夏油もクタクタになった。成人男性を風呂に入れるのは流石に疲れる。
されるがままだった五条は、のんきにゴミのなくなった畳の上でスヤスヤと寝こけていた。
「ふーーっ…………」
タバコが吸いたい。そう思ったものの、結局口にすることは無く、夏油は今のうちにとすっかり汚れていた布団一式を退かして、買っておいた新しい一式を元の場所に敷いた。そしてそこに五条を寝かせてから自分は畳の上に横になる。
五条の方をみて、その青白い顔をまじまじと見つめる。半年前よりも頬は痩せこけて、見るからに体重も落ちていると分かる。唇は潤いを無くし、血色が悪い。まるで死んでいるようだ。密やかな寝息だけが、五条が生きている事を教えてくれた。
「……悟」
五条は答えない。ただ、寝息だけが帰ってくる。
「君は、死にたいのか?」
まだ死なないから生きているだけで。
出来ることならもう死にたいのだろうか。
私が、君にそう思わせてしまったのだろうか。
どんなに問うても帰ってくるのは寝息だけだ。
夏油も目を閉じた。ゴミの臭いが染み付いた畳の上だが、疲れのおかげで入眠に支障はなさそうだ。
次に目を覚ました時、五条の呼吸が止まって居ないことを祈りながら眠りに落ちる。
明日は一緒にこの部屋を出よう。
身勝手な決意を抱いていることを自覚しながら、それでも夏油は何があっても実行しようと思った。