もっと素直に強請ってよ 久しぶりに見つけたそれは日記というより、まるで恋物語のようだった。
縦横均等に、きっちりと整列するマス目の端には数字が書き示されている。日記帳と呼ぶにはあまりにも一つあたりの枠が小さすぎて、これではその日の昼食の感想すら書けやしない。まぁそもそも、予定を書き込むだけのスペースしか確保されていないのだから、当然と言えば当然なのだが。
三年前に使っていた、都々丸の胸ポケットが定位置であったそれは社会人にとっては必需品であるスケジュール帳だ。狭い枠の中には、数年前の自分の感情が溢れ返っていた。本来は予定だけしか記されないそこに所狭しと小さな文字で綴られるのは、あの頃ロンに恋をしていた自分の溢れんばかりの想いの欠片だ。
日の光を反射する蒼い瞳が、宝石みたいで綺麗だった。
事件がないと拗ねる表情が、子どもみたいで可笑しかった。
午後の日差しを浴びて、眠たそうに微睡む姿が可愛かった。
「トト」と名前を呼ぶ声が、好きだった。
ほとんど毎日と言っていいほどに、その日ロンに対して好きだと感じたことが書かれていることに苦笑する。それくらい二人は毎日一緒にいたのだ。かつてロンの後輩からはそれについて、指摘…もとい皮肉を言われたことがあったが、ピュアな都々丸は「そんなに一緒にいるかな」なんて、セットで認識されていることに対して気恥ずかしいような照れ臭いような感覚を覚えたことがある。そのことをキクに話した際には「お前は京都でぶぶ漬けおかわりするタイプだなぁ」と笑われたものだ。
そんなことを思い出しながら目を通していると、ふと一つの枠に目を留める。その側にキレイに貼られた四葉のクローバーは色褪せてしまっているが、その日の思い出は全く色褪せてなんていなかった。
*****
二人で事件を解決した帰り道。少し前を歩く、夕焼けに染まる背中にまた『好きだ』という感情を募らせていた時のことだ。
「あっ」
「へ?ロン、どうしたんだよ」
「見てみろトト、大変だ…‼︎」
「何⁉︎まさか、事件性のあるものでも見つけたのか…⁉︎」
急に道端に這いつくばる勢いで屈んだロンの真剣な声音に、都々丸は表情を強張らせた。砂場の事件の例もあり、緊張感を覚えつつロンに倣って隣に屈む。と、そんな都々丸の目の前に何かが差し出された。
「いや違うよ、四葉のクローバーだ」
「小学生か⁉︎というか、驚かせるなよ、もう…‼︎」
「悪かったよ、驚かせるつもりはなかったんだが…お詫びに幸の薄いトトにこれをあげよう」
「一言余計だっての‼︎」
長い指先にチョンと摘まれた幸運の象徴に、都々丸は大袈裟にため息をつく。しかし好きな相手から幸せを願って渡されたものというのは、中々どうして悪くはないもので。ロンの指から受け取った四葉のクローバーに、都々丸は頬を綻ばせた。これから先どんなに美しく飾られた豪奢な花束を貰ったとしても、きっと今日ロンから貰った小さなクローバーに勝ることはないのだろう、なんて。
報われることのないこの片恋の終わりに思いを馳せながら、そんなことを考えていたのだ。
*****
「懐かしいな…」
鮮やかな緑色は褪せてしまったものの、形はそのまま残っているクローバーを指先でなぞる。終わってしまった片思いを機に、日記を書くことはやめてしまった。
自分から伝えればよかった。「好きだ」と一言、言ってしまえばよかったのだ。
──そうすれば、結果も違っていたかもしれないのに。
換気のために開けていた窓からは、日が落ちて少しだけ冷まされた春めく風が吹き込んだ。目尻滲んだ涙をそっと拭えば、代わりに鼻の奥がツンと痛む。
「あいつ、元気にしてるかなぁ…」
ポツリと溢した言葉は、一人きりの部屋の隅へと転がった。
「いや、君の後ろにいるんだが…」
「あ、帰ってたの?」
「少し前にね。と言うか君、泣いてるのか?」
「いや、なんか花粉症気味で…」
「早めに耳鼻科に行けって言っただろ」
物思いに耽っていれば、不意に後ろから声がかかる。明らかに呆れを含んだその声に反応して振り返れば、そこには仕事を終えて戻ってきたのであろう恋人が…ロンが戸口に寄り掛かる形で立っていた。数秒前まで今日も元気に生活費を稼いでいるだろうかと思い浮かべていた人物の登場に、都々丸は驚きながらも返事をする。それからグシュ、と鼻を鳴らしてテーブル上のティッシュを手に取りつつ、ただいまも言わずに立ち聞きしていたロンに向けるのは非難の言葉だ。
「盗み聞きなんてタチ悪いぞ、ロン」
「トトのモノローグがデカすぎるんだよ。大体逃がす気なんてなかったんだから、君から言おうが僕から言おうが恋人になるっていう結果は一緒だよ」
「うっ…で、でも俺から素直に言ってたら、鈍すぎる俺に焦れたお前に押し倒されることはなかっただろ‼︎」
「どの道付き合ったら押し倒す予定だったんだから、遅いか早いかの違いだろう?」
「最高に最低だなお前…」
都々丸の大きすぎるモノローグにより、ロンもまた当時のことを思い出したのか。大袈裟にため息をつきながら都々丸の元まで近寄ると、手元の日記をヒョイと覗き込む。一方の都々丸はかつての想いを綴ったそれを見られまいと、慌てて日記を閉じるとロンの言葉に負けじと噛み付いた。
「もっとトトの察しが良ければ、交際前に強硬手段に出ることもなかったんだがな」
「悪かったな、察しが悪くて…大体なぁ‼︎クローバーの花言葉なんて、普通は知ってるわけないだろ‼︎」
「それにしたって、調べるくらいはしてほしいものだな。小学生でもあるまいし、成人男性が何の意味もなくクローバーなんて渡すと本気で思ってるのかい?」
「お前ならやりそうだなって思った」
「今日の夜は覚悟してろよ、君」
都々丸がどう反論しようともどこ吹く風のロンに、今度は都々丸がため息をつく番だった。ただ、あの頃はロンからの好意に気付かず片思いを拗らせて悲観していたのだから、あまり強くは出られないのもまた事実で。
前述の会話の通り、周りくどすぎるロンからのアプローチを悉くスルーした都々丸は直球でなければ伝わらないと判断したロンから押し倒された。だがそこは武術に心得のある捜査一課刑事、一色都々丸だ。驚きのあまり受け身を取って体勢をひっくり返し、華麗に腕挫十字固めをキメてみせた。そんな何とも色気のない経緯で両思いが発覚し、都々丸の片思いは大団円という形で幕を下ろした。そうして現在まで、ロンの恋人として隣にいるのだ。
ロンの強硬手段によって今の関係に着地したとは言え、生涯を共にするパートナーとの馴れ初めに少しの夢を見ていた都々丸は唇を尖らせる。都々丸から想いを告げる覚悟を決めていれば、もっときちんとした格好で、然るべき場所で、花束なんてものも携えて。そんな風に、記憶の中でキラキラと輝くような恋人関係の始まりになっていただろうか?少なくともダラリとした普段着で怠惰の床に押し倒されかけて、なんて始まり方にはならなかっただろう。しかしこうして思い出した時、思わずふっと小さく笑ってしまうような馴れ初めも二人らしくていいのかもしれないな、と思い直すことにした。
一方のロンはと言えば都々丸の返事が気に食わなかったのか、額に青筋を浮かべて艶っぽく笑いながら夜の情事を仄めかす。そんなロンに、都々丸は分かりやすく肩をビクつかせて固まった。涼しげな碧色の瞳には、都々丸を求める相反するような激情が滲んでいる。
── 僕のものになって。
そんな、あの時は気付けなかったクローバーに込められた熱烈な告白を思わせるような色だ。
「……れ、くらい」
「うん?」
「…ッ、それくらい分かりやすく強請ってくれれば俺にも分かるのに」
「……強請ったらくれるのかい?」
都々丸が欲しいと強請るロンの視線に居た堪れず、都々丸はフイと目を逸らす。それから暫くの間を置いて、俯き加減にポツリと溢された言葉にロンの目が見開かれた。髪の間から覗く耳が真っ赤に染まって見えるのは、きっと夕焼けのせいだけではない。フッと小さく笑うロンを強気に、しかし真っ赤に顔を染めたまま、都々丸は今更ながらにあの日貰ったクローバーへの返事をするのだった。
「くれるも何も、もうお前のだよ」