煙の中へ切り込む🕯と愛煙家の💍 病院で煙草を吸ってはいけない。誰もが知っている常識だね。
だから私はそのとき、建物の陰に隠れて煙草を吸っていた同僚を須らく見咎めたんだ。
すると彼は、「こんな仕事、吸わなきゃとてもやっていられない」と言った。医者としての仕事に対する不満や不安を、煙草の煙で落ち着けているのだと。
私が知りたいのは、貴方のことだ、主様。もしかすると貴方も、不安を抱えた心を慰めるために煙草を吸っているんじゃないかな?
「違っていたらすまない」
「……………………」
主様はぽかんとしていた。
部屋を訪れたとき、主様は既に煙草を吹かしていた。窓枠に肘をついて、物憂げに煙を吐き出すその姿を見てふと、そうしなければならない理由があるのではないかと考えさせられたのだった。
主様に禁煙を勧めたのは一度や二度ではない。それこそ執事全員が、主様が煙草をやめることを望んでいる。皆が主様の健康と長寿を望んでいる。主様の同意を得て、皆で具体的な禁煙策を練って実行することも、もはや執事の日課のひとつになった。キャンディやチョコレートのような口に残るお菓子をお出ししたり、リラックス効果のあるアロマやハーブを揃えたり。
けれども効果は薄いようだった。
主様自身に禁煙する意思がないわけではないらしい。それなのに、煙草をやめられない理由は何か。考えに考えて、いつぞやの同僚の姿が浮かんだ。彼は普段は社交的で、そして少し繊細な人だった。
「その通りだったら、ミヤジが慰めてくれるの?」
手にした煙草に口をつけずに息を吸って、煙の代わりにそう吐き出した主様は、不思議と拗ねた子供のように見えた。
「私では、力不足かな?」
こちらをじっと見詰め返す両目は、私の瞳の奥に映る感情を推し量るようでいて、それよりもずっと遠くを眺めているようでもあった。
やがて、主様は何かを諦めたように目を伏せて、口を開く。
「いいえ。でも、誰でもいいの。誰でもいいのよ」
「それは………………」
「ミヤジは違うでしょう?」
「……………………」
大切な人が、私を見て寂しそうに笑うから、二の句が継げなくなってしまった。
誰でもいい。私でなくてもいい。
私には貴方しかいないというのに。
「本当にそう思っているのかい?」
夜風に冷えた頬へそっと手を添え、やっとの思いで、それだけ問い掛けた。
「どうしてそんなに悲しそうにするの」
主様は、可笑しそうにくすくす笑った。そんなに酷い顔をしているだろうか?
主様の頬に添えた手が、主様の手に包まれる。
「ミヤジだけの私でいてほしいなら、そう仕向ければいいでしょう? なのに、アイスでも取り落とした子供みたいな顔して」
そう言ってまたきゃらきゃらと笑う。私は目眩がしそうだった。
そう仕向けるだって? 簡単にそんなことを言わないでくれ。私のためにも、貴方のためにも。
「本当に誰とでも愛し合えるのなら、寂しさなんて知らないはずだよ」
途端に笑い声が止んだ。
「ミヤジにはわからない」
その声も、表情も、いつもの様子とは打って変わって凪いでいた。
「わかるさ。主様は、私にとって何よりも大切な人だからね」
「…………どうして?」
「貴方を愛しているから」
「……………………なら、証明してみせてよ」
いじけたような言葉に、苦笑した。
「信じられないかい?」
「うん。…………ごめんなさい」
「謝らないで。顔を上げて、主様。私を信じてくれ」
小さな顔に、こちらを見上げる陰った瞳。とても痛々しいのに、自身の弱さを私に見せてくれたことが嬉しくて、じんわりと心が熱くなった。
顔を寄せ、触れ合うだけの幼気なキスをする。主様の唇は、柔らかくて冷たかった。蜜柑を食んでいるようだ。
唇の温度を分け与えながら、主様の手を取って、煙草を灰皿に押し付けた。その火が完全に消えてから、顔を離す。
再び見詰め合った主様の瞳は、少しだけ切なそうに揺れていた。