いつもよりトーンが低く、小さなただいまの声。
おかえり、と返したら、少しだけ目線を上げて、無理矢理口元だけ笑顔を作って。
シャワー浴びたら原稿するからと逃げるように消えた背中。
──分かりやすいな。
作業中だった手元へ視線を戻す。
ストレーナーからとろりと垂れる琥珀色の液体。
生姜をたくさん頂いたので、綺麗に洗って薄く切って、砂糖、そしてホールのままのスパイスと共に煮てシロップにしたのだ。
ブラックペッパー、クローブ、シナモンにカルダモン。
それぞれの持ち味を溶け込ませたシロップを、氷をたっぷり入れたグラスに垂らす。
炭酸を注ぎ入れて軽くステア。
半分にカットしたライムをサッと絞れば、爽やかなジンジャーエールの完成だ。
「外は暑かっただろう?水分補給だ。」
シャワーから戻ったロナルド君にグラスを差し出せば、素直に受け取りグイッとあおる。
美味かった、ご馳走様。と差し出されたグラスを受け取りながら、水が垂れてる、と髪から鼻先に垂れた雫を指で拭ってやると、ロナルド君の鼻がすん、と小さく動いてほんの少し表情がやわらいだ。
ん?と思ったがグラスを置き、首にかけられたタオルでわしゃわしゃと雫の垂れる銀髪をかきまぜた。
髪を乾かしてやると言う私の申し出を、涼しいからこのままでいいと断ったロナルド君は、邪魔すんなよ、と事務所に消えた。
その背中を見送った後、自分の指先を嗅いでみる。
指先から香る爽やかなライムの香り。
そうか、先程絞った時に指先に香りが移ったのだな。
シトラスの爽やかな香りが、若造の気持ちを少しほぐしたのだろう。
グラスを片付けて珈琲を淹れる。
先程冷たくてさっぱりとしたジンジャーエールを飲ませたので、温かく甘いテイストにしてやろう。
マグカップからドリッパーを外し、甘い香りのキャラメルシロップを。
温めた牛乳をホイッパーで泡立てて珈琲にふんわりと盛る。
その真ん中にココアパウダーを少し。
冷蔵庫からバスクチーズケーキを取り出して、少し大きめにカットする。
フォークを添えてトレンチに乗せて事務所の扉をくぐる。
「置いておくよ。」
邪魔にならないように少し距離をとってカップとソーサーを机に置いて、キッチンへ戻るフリをして居住区側の扉の前で聞き耳をたてる。
カチャリ。
聞こえてきた小さな音。
その音に満足してキッチンへ戻る。
おやつにすぐ手が伸びたのなら、今日はさほど深刻ではない。
いつもよりほんの少しだけ腕によりをかけて、美味しい夜食を作ってやろう。
甘いもので心がゆるんだその頃に、唐揚げの匂いが届いたら。
君はきっと「腹減った」と、いつもの笑顔で扉を開けるだろう。
***
「……お前ってさ。」
「ん?」
空調が強めに効いた部屋で、一枚の毛布を分け合って微睡んでいた最中、ロナルド君がぽつりと呟いた。
「……ありがとな。」
「語彙力はどこへやった作家先生?」
くすくすと笑いながら鼻先にキスをしてやる。
触れ合う肌はまだしっとりとしている。
「何も聞かずにいてくれるじゃん。」
「聞いても私に出来ることなんてしれているからね。」
「でも、気遣ってくれるだろ。」
「おや、気づいていたのか。」
「炭酸のさっぱりしたやつ飲んだ後にさ。」
「うん。」
「お前の指からいい匂いがして、なんていうかその、作ってくれてるんだなって。」
ふわぁ、とロナルド君からあくびが漏れる。
おねむのおかげか、言葉がだいぶ素直だ。
「すげぇ嬉しくて……すげぇ、好き。」
とろんとした瞳が、まつ毛の影に隠れ、まぶたの裏に消えた。
すうすうと聞こえてきた寝息。
可愛い寝顔に、そっと唇を寄せる。
指先から香ったライムの香りに、君がそんなふうに思っていたなんて。
言葉だけが、愛を伝える方法ではないのだな。
「クソニブチンの君にも、伝わるんだねぇ。」
見返りが欲しい訳では無いけれど、心遣いを受け取って貰えたという心地良さに、ふふ、と少し嬉しくなって。
おやすみ、良い夢を。
寝息を立てる唇にもう一度口付けて、温かい腕の中で私もそっと目を閉じた。