「どこで拾い食いしてきた若造。」
仕事から帰った俺を出迎えた開口一番、ドラルクは眉を吊り上げてそう言った。
詰め寄るその眼光は鋭い。
「何も……ああ、そういえばお菓子を貰って食べた。」
「誰に。」
「誰にって……。」
「言ってみろ。」
「……誰だっけ……。」
今日はハロウィン。
街中には仮装した人々が溢れかえり、その中にはポンチ達もたくさん紛れ込んでいた。
お祭りだし、悪さをしなければいいかとドラルクに持たされたお菓子を配りながらパトロールしていた時、声をかけられた。
『トリック・オア・トリート?』
振り返るとそこに確かに誰かいた。
仮装をしていたように思う。
視線を下げた覚えはあるから多分小柄だっただろう。
『ごめんな、お菓子品切れで…。』
そう断ったけれど、
『トリック・オア・トリート?』
言葉は続いた。
見ると、手にはお菓子の入った籠を持っている。
もしかして、配りたい方か?
『トリック・オア・トリート?』
なおもそいつに促されたので、
『ト……トリック・オア・トリート?』
とりあえずそう言うと、そいつは籠の中から小さな丸い包みを取り出して俺の手のひらに乗せた。
ありがとうございますとお菓子を見た刹那の後に視線を上げると、お菓子をくれたそいつはもう居なかった。
まぁ、たくさん人がいるし、次の誰かにお菓子をあげに行ったのだろうと大して気にもせず、せっかく貰ったのだからと包み紙を解いてお菓子を口の中に放り込んだんだ。
「……その包み紙はどこにある。」
「え?えーと…ポケットに……あれ?ないな…。」
ドラルクは盛大にため息を着くと、矢継ぎ早に質問を重ねた。
「お菓子は?何だった?」
「何だよ。」
「いいから答えろ。」
「あー……あれだよ、あれ……。あれ……?なんだったかな……。」
「どんな味だった。」
「……分かんねぇ。覚えてねぇ。」
「お菓子を渡してきた相手の顔は?」
「……覚えてない。」
「どんな姿をしていた?」
「何も……覚えてねぇ…。」
ぶるり。
背筋が震えた。
促されてトリックオアトリートと口にしたし、確かにお菓子を貰ってそれを口に入れた。
それなのに。
覚えてないなんて事があるか?
つい、さっきの事なのに。
「トリック・オア・トリートと君は言ったんだな?」
「お…おう。」
「そして君はお菓子を貰った。」
「……?」
「君は?」
「え?」
「君はそいつに何かを差し出したか?」
「……いや、お前に持たされたお菓子、その時にはもう無くて…。」
「君も言われたんだろう?トリック・オア・トリートと。しかし君はお菓子を持っていなかった。」
だから。
そう言うとドラルクは忌々しそうに吐き捨てた。
「君は『イタズラ』されたのだよ。」
ドラルクの言葉の意味は分からなかったけれど、でも腹の奥底に何かもやりとしたものを感じた。
「はー…まったく、無自覚タラシというか怪異ホイホイというか……狙われたんだな、その時を。」
ドラルクはブツブツ言いながらテーブルの上の入れ物から小さなお菓子を摘むと、
「ほら、これを食べろ。」
と、俺の前に差し出した。
差し出されたそれを食べようとして開いたはずの口からは、
「いらねぇ。」
何故か拒絶の言葉が飛び出した。
慌ててブンブンと首を振る。
そんな事思ってない。
ドラ公のお菓子が美味いのは知ってるんだ。腹も減ってる。食べたくないわけがない。
「我がまま言うな。」
なのに。
「いらねぇって。そんなもん食えるかよ。」
口から出るのは裏腹な言葉。
思ってもいない言葉ばかりが口からこぼれ落ちていく。
意図しない拒絶の言葉に、目からは素直に涙がこぼれた。
「……あぁ、面白くない。」
ドラルクは舌打ちし、眉間に深く深く皺を寄せた。
怒るよな。
こんなこと言われたら。
部屋だって不細工だけど飾り付けをして、テーブルにはたくさんのかぼちゃ料理。そしてたくさんのお菓子。
時間をかけて準備してくれたのに、俺は全部台無しにした。
「ああ泣くな。君に言ったんじゃない。」
そう言うと、手に持っていたお菓子を俺の口に突っ込んだ。
「──返してもらうぞ。」
舌に乗った甘いお菓子。
やっぱり美味いよなぁ。
「うぇっ!不味い不味い!」
だが俺の舌はお菓子を押し出そうともがく。
「こんなもの食えるか!」
違う、俺は、そんな事思ってない!
「うるさい。」
なおも暴言を吐こうとした口を、ドラルクが無理矢理に塞いだ。
「───っ!!???」
長い舌が、お菓子を喉の奥へと押しやる。
ごくり。
喉が鳴る。
一回目。
喉を通ったお菓子がゆっくりと腹に落ちていき、
ざわり
と、腹の奥で何か嫌な気配がした。
「そこは居心地がいいのだろう?善性は貴様らの好物だからな。」
そう言いながらドラルクはまた俺の口にお菓子を突っ込む。
「だが残念だな。そこは貴様の居場所ではない。」
またも吐き出そうとしたそれを、ドラルクがその舌でねじ込む。
ごくり。
二回目。
喉が鳴る。
腹の奥で何かが蠢いた。
「いい加減気付け愚かなモノ。貴様には過ぎた代物だということに。」
ドラルクはさらにお菓子を俺の口に突っ込んだ。
ごくり。
三回目。
喉が鳴ったその瞬間。
腹の奥から何かがのたうつようにせりあがってきた。
「────っ!!」
吐く。
咄嗟に口を塞ごうとした俺の手を、ドラルクが制する。
「もてなしてやっただろう。もうそこにいる必要はないな?」
ぎらりと光る赤い瞳に射抜かれて、暴れる何かが怯んだ気がした。
ごぽ、と音がして、喉の奥に何かが触れた。
それ以上進まなくなった何かに喉を塞がれて、息ができない。
───苦しい。
「聞こえないのか?私は出て行けと言っている。」
唇が触れ、ドラルクの長い舌が、喉の奥を抉った。
離れていく唇に引きずられるように、何かがずるりと引き抜かれる。
涙でかすむ視界の中、ドラルクはその牙でガッチリと何か黒いものを捕らえていた。
赤く塗られた爪が黒いものに突き立てられ、ぶち、と荒っぽく引きちぎる。
「───────。」
霧散した黒いものに、ドラルクは早口な異国語で何かを言った。
「……今、何て言ったんだ?」
「気にするな。今後は気をつける事だな。子供が意味もわからず無邪気に口にするような口伝えの言葉は特に。例え本質を忘れられたとしても、言葉は正しく意味を持つのだから。さて…ああ、酷い顔だな。風呂に入ってこい。私は料理を仕上げておくから。ジョン、若造と一緒にお風呂に入ってくれるかい?」
ヌン!と頷いたジョンをドラルクが抱き上げて俺の手に乗せた。
「今日は洗濯物を分けなくても靴下が裏返しでも丸まっててもいいから早くあたたまってこい。」
促されるままに風呂場へと向かい、服を脱ぎ、ジョンと湯船に浸かる。
いい匂いのする湯気を深く吸い込み、そして吐き出す。
腹の中にはもう何も居ないのだろうけれど、何か気持ちのいいもので満たしたかった。
湯船に浮かべた洗面器から、ジョンが心配そうに見上げてくる。
「大丈夫だよ、ジョン。ありがとな。」
心配してくれる。
癒してくれる。
見守ってくれる。
…守ってくれる。
一人暮らしにはない温かさに溺れそうだ。
「…あいつ、あんな顔するんだな。」
いつもの雑魚さはどこにもなかった。
鋭い眼光。
強い口調。
「…助けられた、んだよな。」
だんだん体が温まってきて、気持ちが落ち着いてくる。
不思議な夜だった。
ハロウィンの雰囲気にあてられていたからか気づかなかったけど、俺はもしかしてやばかったのでは?
結局、なんだったんだろう、あの黒いものは。
温まったはずの体に、ぞわりと怖気が走る。
ドラルクが引きずり出してくれなかったら今頃───?
そこまで考えてふと我に返る。
──そうだ、俺。
血の気が引きかけた体が、ぶわりと熱を持つ。
──ドラ公とちゅーした!!!
どぷん!と勢いよく湯に潜る。
──いやいやいや、ノーカンだろ!
あれはちゅーじゃねぇだろ!
──そ、そういえば、しししし舌も入ってきてなかったか!?
──うわぉぁぁ!風呂から上がったら、どんな顔してればいいんだよ!!
「ぶはぁっ!!!」
息が限界になって、勢いよく湯から顔を出す。
波が立ち、ジョンの洗面器がひっくり返りそうな程に揺れる。
──礼は……言った方がいいよな。助けてもらったんだし。
──あとはいつも通り、いつも通りでいいんだ。意識するな。あれはちゅーじゃない。必要だったんだ。そうだ。人助けだ。忘れ……はしないけど、忘れた事にしておこう。
うんうんそうだそうだと一人で頷く。
「あ、そういえばジョン。あいつあの時何て言ったんだ?あの黒いやつ引きちぎった時。」
俺の言葉に、ジョンは静かに視線を逸らす。
「えっ、もしかしてヤバいこと言ってたのか!?もしかして俺の悪口??!」
ジョンは静かに首を振る。
「え?じゃあ何?頼むジョン!ドーナツでもケーキでも何でも貢ぐから!」
拝み倒す俺に、ジョンがそこまで言われたら仕方ないヌ、内緒ヌ?とそっと耳打ちをする。
──私のものに手を出すなって。
その言葉に心臓が跳ねる。
それって、それってもしかして。
いや、常日頃から私の城なんて言ってやがるから、家臣的なアレか!?
下僕とか下男とかそういうやつ?
言葉の真意をはかりかねて、ぶくぶくと水面に泡を立てる。
ジョンはメロンソーダとホットケーキも!と嬉しそうだ。
モヤモヤしたままジョンと一緒に風呂から出る。
今夜はまだまだ眠れそうにない。
とりあえず美味い飯を食って、美味しいお菓子を食べてパーティーを楽しんだら。
もう一度聞いてみようか。
あの時、お前何て言ったんだよって。