これが愛と呼ばぬなら カーテンの隙間から差し込む朝日にとろとろと閉じてしまいそうな瞳を開く。
抱き締めた腕の中で背を向けていたキバナの最愛がもぞもぞと寝返りをうちキバナの素肌の胸元に頭をぐりぐりと押し付けてくる。
「ダンデ……ダァンデ」
顔にかかった髪を払えばあどけない表情で眠るダンデの顔が露になった。
「昨日の夜はあんなにかっこよかったのに」
そう言って眠るダンデの頬をつつけば幸せそうにへにゃりと笑顔を浮かべた。
ダンデの頬をつつく指を滑らせて、手のひらで柔らかな頬を包みその下の顎を撫でる。
少しチクチクとした短い毛と柔らかな肌のさわり心地がなんだか面白くて、撫でたりむにむにと摘まんでみたり……それでもダンデはまだ目を醒まさない。
「ンフフ……ダンデ、ダンデ……かわいいなぁ」
バトルの時は絶対に見せない油断しきった顔、他のジムリーダー達や、幼馴染みでさえこんなダンデの姿は見られないだろう。
きっとキバナにとっての幸せを集めて固めたらダンデ姿をしてるんだろうな……そんな事を本気で思ってしまうほどキバナはダンデを愛していた。
ダンデと所謂恋人の関係になったのはまだ二人が16歳の時だった。もともとノーマルであったダンデに元から恋愛対象が同性であったキバナがアタックし続け口説き続けて二人の交際は始まった。
16歳の二人は、自立はしているが庇護の対象。
周りには頼れる大人や仲間がいて、二人の交際開始を表立ってではなかったが影から支え、詮索しようとする者達から二人を守ってくれた。
そのお陰で二人は周りの妨害に合わず、密やかに、けれど着実に愛を育て、強く結ばれながらここまでこられた。
昨日の夜揺れる天井と共に見上げたダンデも、今自分の腕の中にいるダンデも間違いなくキバナの、キバナだけの大事な愛しいダンデだった。
状況が変わり始めたのはつい最近。
チャンピオンを降りたダンデは、バトルタワーの運営を始めた。
始めはうまく運営も、持ち前の頭の回転の速さ、人の心を掴む話術によりサポートしてくれる人が増え、バトルタワーは今ではガラル地方を代表する名物となっている。
更にダンデは、ローズが去ったこのガラルで守られる立場から今度は守り育む立場の人間へと変わったのだ。
それはダンデの成長を示すと共に厄介な問題まで運んでくる。
バトルタワーのオーナー、ガラルの王は年頃の女性を魅了し女性自らがその身を差し出し、更に王に近づきたい奴らが自分の娘を差し出そうとすることが増えたのだ。
その度にダンデは、にこやかな笑みを浮かべそれを拒絶する。
自分には唯一がいるからと、唯一愛を捧げるべき相手がいるからと……。
それを聞いてすぐに引き下がる者もいればその相手は誰だと詰め寄る奴もいる。
ダンデは、俺様を守るために口をつぐむ。
秘密を守るその代わりに、取り引き相手を一つや二つでは足りないほど無くしてさえいる。
それを構わないとダンデは笑う。
君を守るためならば、俺はガラル中を敵に回したって構わないとすら言ってみせる。
それを愛と言わずしてなんと言おう。
それを嬉しく思えど、悲しいと、悔しいと思うことなんてあり得なかった。
これからも、ずっとこの先もそうであるとキバナは信じて疑わなかった。
二人だけの世界でダンデと共に秘密の愛を育む事ができれば幸せだった。
ダンデもそうであると、キバナは信じて疑わなかった。
それが初めて揺らいだのはそれから三日後の事。
仕事でキバナがバトルタワーを訪れた際に執務室に入ろうとドアに手を伸ばしたキバナの耳にダンデと知らない男の声が飛び込んできた。
「だから何度もお話したでしょう。私には大事な恋人がいます。なのでお嬢さんとのお見合いはお断りしますって」
「そんなに大事な恋人ならば何故公表しないのですか?公表できないような相手なのか、それともいないのに嘘をついているのか」
「相手がそれを望まないからです」
「そんなわがままな恋人ならば尚更私の娘と、私の娘は従順な良い娘です」
二人の会話にキバナの手が空中で止まる。
心臓がどくどくと音を立て耳の中でごうごうと血が引いていく音がする。
くらくらと足がふらつき瞳を閉じた時
「貴方の娘が私に従順であろうと無かろうと私は貴方の娘と付き合うつもりはありません」
というダンデの声が聞こえた。
それに対し
「若造が!そんな態度を取り続けるならこちらにも考えがある!!!!」
と激昂する男の声が聞こえ、それからすぐにドアが空いた。
咄嗟にどこかへ隠れようとしたものの一歩遅く、
出てきた男と鉢合わせしてしまった。
男はキバナをみると気まずそうに咳払いをし、目も合わさずに去っていったのだった。
「……っあ、キバナ」
男の背を見送り再び部屋のなかへ視線をやれば罰の悪そうなダンデと目があった。
「よっ、オーナー様は大変だな」
そう、なんでもないように声をかければダンデが安心したようにへにょりと顔を緩める。
後ろ手にドアを閉めればとんっという衝撃と共にダンデがキバナに抱きつく。
「ごめんキバナ」
「何が?」
「嫌なところを聞かせた」
「……別にダンデが言い始めた訳じゃないだろ?」
「そうだけど」
君が傷付いた顔してるから……
そういってダンデが腕に力を込めた。
「キバナ、キバナ……俺には君だけなんだ。君にそんな顔をしてほしくない。いつもみたいに笑う君の顔がみたい」
ダンデのふわふわの髪がぐりぐりと押し付けられる。
それがあまりにくすぐったくて、愛しくて、気付かないうちに強ばっていたキバナの表情がほどける。
いつものようにゆるりとした笑みを浮かべダンデの頭を撫でてやれば、もっと撫でろと言わんばかりに頭がさらにぐりぐりと押し付けられた。
「キバナも、ダンデだけだよ。こんなに大事で愛してるのは」
キバナの唯一。大事な大好きなダンデ。
そんなダンデが自分の事であんな事を言われているだなんて知らなかった。
いや、知ってはいたけど、知ってるだけど実際に聞いたのではまた違う。
ドア越しにでも、心臓を締め付けられるようだったのに、正面からあれをぶつけられるのはなかなかにきついだろう。しかも、あれが初めてではなくて何度も何度もあったのなら……。
ダンデはキバナを守るためならガラル中を敵に回しても言いといった。キバナもそれがダンデの心からの言葉だと知っていたし二人だけの世界で秘密の愛を育むことが出来ればそれでよかった。
けれど秘密にすることでダンデが周りに公表できないような奴と交際しているだとか、嘘をついてるだとか言われてしまっているのを直接聞いて心がざわめいてしまった。
「なぁ、キバナ」
ざわめく心を抑えるように胸を押さえたキバナをダンデが見上げる。
「……なぁに?」
キバナがそう問えば抱き締めていた手をほどきキバナの手を取って
「俺と君の関係をやっぱり公表しないか?」
そういった。
「!!」
ヒュッと息が止まりキバナは何も答えられなくなる。
二人の関係を公表する?
それが何を招くかわかってない訳じゃないだろうにダンデは何を言ってるんだ。
公表したら最後あらゆるヘイトが二人に向くのはわかりきっている。
キバナは二人の、二人だけの秘密の愛を育むことが出来ればそれでいいのに。誰に認めてもらえなくても構わない。
ダンデだけがキバナの愛を認めて、許して、慈しんでくれたらそれでいいのに。
そう信じていたのに。
今までもこれからもそれだけでよかったのになんでリスクを犯す真似をするのか?
キバナにはわからない。わからないから、何も答えられない。
まるで今まで信じていたことが揺らいで掠れたような気がして考えれば考えるほど思考が散らばり気持ち悪くすらなってきた。
顔から血の気が引いたキバナがたたらを踏んだ。
ダンデがあわててぐらついたキバナを抱き止める。
「キバナ?!」
「…………っ」
「大丈夫か?」
「…………ぁあ…ごめん」
「顔が真っ青だ……大丈夫なんかじゃないだろ?」
「大丈夫、大丈夫だから」
そう言ってダンデの腕からなんとか抜け出し、手に持っていた書類をダンデに押し付ける。
「俺様まだ仕事終わってないからさちょっとジムに戻るわ」
そう言ってキバナは、ダンデが自分を引き留めるのを無視して逃げるようにその場を去ったのだった。