玉響の温もり□□□□□
数日に渡る任務を無事完遂し、星核ハンターの拠点としている宇宙船まで戻ってきた刃は、帰ってくるなり見知らぬ気配がすることに気が付いた。
「あら、おかえり刃ちゃん」
刃が共有スペースに入れば、質の良い革で出来たソファに足を組んで腰掛け、湯気を立てている紅茶を飲んでいるカフカが出迎える。
しかし、刃はそれを無視して見知らぬ気配の正体――部屋の隅で縮こまっている子供を訝しげに見つめた。
十代後半のような見た目をしているその子供は両膝を抱えるように座ったまま、目を閉じている。恐らく寝ているのだろう。そもそも、何故こんな所に子供がいるのか理解出来ず、刃は視線をカフカへと移した。
「……誰だ」
「星核の容器よ」
「この子供がか……?」
星核の容器。それが近々完成すると聞いていたが、まさかこんな人間の、それも子供の姿形であるとは予想もしていなかった刃は思わず目を見開く。
「彼は穹。エリオ曰く、この子は星神によって造られた人造人間で、まだ生まれたばかりの赤子と変わらないの。お喋りすることは出来るみたいだけど、一般的な常識は全て分からないみたい。」
カフカは手に持っていたティーカップを机の上に置くと、優雅に立ち上がり眠る少年の元へと歩いていく。コツ、コツ、と軽い音を立てながら少年の元へと辿り着くと、カフカはゆっくりと身を屈めた。
「穹、そろそろ起きてちょうだい。」
カフカはそう言いながら穹の頬をするりと撫でる。子供はんん、と小さく唸ったのち、薄らと目を開けた。美しい黄金色の瞳が、ぱちぱちと瞬きを繰り返してからカフカを見上げる。
「ふふ、おはよう」
「……か、ふか?」
「あら、覚えていてくれたの?嬉しいわ」
カフカがにっこりと微笑むと、穹と呼ばれた子供の頭を優しく撫でた。子供はきょとんと目を丸くしたが、頭を撫でられる感覚が気に入ったのか、にぱーっと無邪気な笑顔を見せる。
「私はこの後任務なの。しばらくの間、この子のことを見ていてくれるかしら、刃ちゃん?」
「……なぜ俺が」
「今は銀狼もサムも任務でいないもの。まだ情緒を育てていないこの子を任務に連れて行くには早いし、かと言って一人にする訳にもいかないの」
刃は心底嫌そうな顔をしたが、確かに今手が空いているのは自分一人だけなのを理解している。
「……俺は子育てなぞしたことはないが。」
「あら、大丈夫よ。この子を絶対に一人にせず、朝昼晩温かいご飯を用意してあげてちょうだい。それと、夜にはお風呂に入れて一緒に寝てあげること。」
何故そこまでしないといけないのか、と文句が出そうになるが、赤子同然だというカフカの言葉を思い出し、刃は忌々しげに舌打ちをした。
彼岸の為ならば何でもする心積りではあったが、まさか子守りまでする羽目になるとは思うまい。
「かふか、いっちゃうの……?」
カフカが離れると知った途端、不安そうに眉を下げる穹に、カフカは優しく微笑んだ。
「大丈夫よ、穹。私はすぐに帰ってくるわ。君のところに必ず戻ってくる。だから、少しの間この人ーー刃ちゃんと待っていてくれるかしら」
刃の方を向いたカフカにつられ、穹も刃を見上げた。純粋無垢な蜂蜜は朱を射抜き、ぱちぱちと瞬きをした。
「じんちゃん……?」
「やめろ」
「ひっ……っ、ひぐ……っ」
刃にぎろりと睨み付けられた穹は小さく悲鳴をあげ、瞳にじわじわと涙を浮かばせながら嗚咽を漏らした。カフカに世話をしろと言われている手前、この子供に怖がれてはやりづらいと、刃は出そうになるため息を押し殺す。
カフカはあらあらと言いながら、ぽろぽろと零れる涙をレースのあしらわれた白いハンカチで拭った。
「言ったでしょう。この子は赤子同然で、精神は見た目より遥かに幼いのよ。もっと優しく接してあげて。」
「……ふん」
しばらくして涙が止まったのを確認したカフカは、ぺしょりと濡れたハンカチを穹に握らせて立ち上がった。
「じゃあ私は行くけれど、刃ちゃん、もうこの子を泣かせてはだめよ?大人気ないことも言わないで」
「……」
返事をしない刃に「いいわね?」と釘を刺し、カフカは部屋を出ていった。
刃はカフカのハンカチをぎゅうぎゅうと握りしめている穹を見下ろしながら、とにかく部屋にでも連れて行ってしまおうと思案していたが、きゅるる、と小さく聞こえてきた音に思考を中断した。穹は不思議そうに自分の腹を見つめていた。
「……腹が減ったのか?」
「?」
何を問われているのかわからないらしく、首を傾けている。カフカが『赤子同然』と言っていた意味を刃は正しく理解した。
「厄介事を押し付けられたものだ」
「じん、ちゃ……?」
「その呼び方はやめろと……まぁ良い。着いてこい、小僧」
刃はそう言うと、キッチンへ続く扉へと足を向ける。数歩歩き、後ろを振り返れば、子供は未だ座り込み、不安げに眉を下げながらカフカのハンカチを握りしめていた。
刃は数歩進めた足を戻し、穹の目の前までやってくると、膝を折って目線を合わせた。
「来い」
そう言って右手を差し出せば、穹は差し出された手と刃の顔を交互に見つめてから、おずおずと刃の手を握った。
刃はゆっくりと手を引いて立ち上がらせると、今度こそ子供を連れてキッチンの方へと歩いて行く。
これが、彼岸を求める男と純粋無垢な子供の初めての出会いだった。
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ちょこんと椅子に座っていた子供に、湯気の立っている器を差し出す。中身は細かめに切った鶏肉と蓮根、椎茸に長葱の入った汁物だ。
「食べろ」
「……?」
しかし、食べろと言っても分からないらしく、穹はきょとんと器の中身を見つめている。
食べ物だとわからないのか、食べ方がわからないのか。あまりの面倒さに出そうになるため息を押し殺し、刃は匙を手に取った。
「……見ていろ」
穹がこちらを見ていることを確認して、汁を掬い己の口へと入れた。分からなければ見せるしかないと思ったがゆえだ。そのままこくりと飲み込んで再度汁を掬い子供の口元へ持っていけば、ようやく理解したのかぱかりと口を開いた。一瞬躊躇ってから匙を口の中へ差し入れる。
本能で分かるのか、きちんと歯で噛んで咀嚼出来ていることを確認しつつ、刃は子供の顔を見つめた。
「ん!」
どうやら気に入ったらしい。穹は目をきらきらと輝かせた。
もう食べ方は理解しただろう、と持っていた匙を穹に手渡す。子供はスプーンを拙い手つきで握ると、汁を掬い始めた。匙の使い方は理解したようだが、持ち方が悪く若干斜めに傾いている。そのせいで汁をぽたぽたと零し、白いシャツにじわじわとシミが広がっていた。
「零さないで食べろ」
「……?」
そもそもこの子供には零さずに食べるという考え方が存在していないのだと気付き、思わず穹の手から匙を抜き取った。床にまで零されたら面倒だと思った故だ。
「……口を開けろ」
突然匙を取られた穹はぽかんとした顔をしていたが、具材と汁を掬い口元にもっていけば理解したのか言われるままに口を開けた。そこへ匙を差し込めば、そのままぱくりと食んだ。
もぐもぐと咀嚼し、再びぱかりと口を開けた穹を見て、まるで雛鳥に餌を与える親鳥の気分になる。
穹は少食なようで、少なめによそった汁一杯で満腹になったようだった。腹が満たされたからか今度は眠気が襲ってきたらしく、くわ、と欠伸をしたかと思えば、くしくしと目を擦り始める。
「ここで寝るな。寝るなら自分の部屋に……っおい、」
突然、こくりこくりと船を漕いでいた穹の身体がぐらりと傾いた。咄嗟に身体を支えたことで事なきを得たものの、穹の意識は既に手放されている。
突然スイッチが切れたかのように眠る様はまるで幼子のそれだが、子供の見た目は青年と言っても差し支えないほどのものであるから違和感が拭えない。
刃は本日何度目になるかも分からないため息を吐き出すと、穹を肩に担いでその場を離れたのだった。