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    san_ph029

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    san_ph029

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    新刊に収録予定のお話の断片です。よく書けたと思うので見て見てします。BotWの記憶その16に繋がるシーンとなります。

    幕間 木々の隙間から落ちてきた雨粒が、ふたりを叩いている。冷え切った肩を抱く手もまた冷たく、手のひらに僅かな温もりが残るのみだ。泥濘んでぐちゃぐちゃになった地面を見つめながら、ゼルダは考えるのをやめてしまった。身体が疲労に抗うことを拒否し始め、段々と重たくなっていく。
     不意に、肩を抱く手に力がこもった。俯いて泥を見つめていたゼルダは、不思議な引力によって顔を上げた。時雨によって烟り、色彩を落とした森の中で、いっとう明るく、青く、美しい瞳。真昼の海のような色をしながら、その瞳は炎のように燃えていた。
    「――お慕いしております」
     そう言って、リンクは今一度、ゼルダを抱き寄せた。――今、彼は何と言ったのだろう。理解が追いつかず、ただされるがままになっている彼女に、彼はゆっくりと言い聞かせるように、話し続けた。
    「許し難いことばかり起きます。決起奮戦した同胞のほとんどは城で死に、俺は貴方の大切な方も守れず、貴方は御自分を責めて泣いておられる。ままなりません。ひとつも良いことがない。最低な日です。……ですから、もういいかと思いました」
     リンクの身体をそっと押して、離れて彼の顔を見上げる。彼は泣き出しそうな、それでいて笑ってしまいそうな、ひどく奇妙な顔をして、ゼルダを見つめている。
    「貴方をお慕いしております。これほど許されないことばかり起きるのだから、もう俺が許されなくたって構わないと思いました。貴方が好きです。だから、貴方を御守りします。命に換えても。貴方を、死なせはしません。俺を信じてください」
     場違いなほど明るい青い瞳が、じっとゼルダを見つめている。彼女は射抜かれたように、身動きすることができない。
     ――このひとは、
     なんということを言うのだろう。こんな状況で、暴走したガーディアンに追われていて、この先例え逃げ通したとしても、もはや攻勢に出るだけの兵力などなく、しかしただ彼女が生きていれば良いと言い、そのために彼は命を投げ出しても構わないという。その理由は、彼が騎士だからではなく、ゼルダのことが好きだから。護衛騎士としての職務など忘れてしまったかのように、リンクは自分が仕える主に、本来ではあり得ない口調で口を利いて、あり得ないことを伝えた。
     リンクは、知っていたんだろうか。ゼルダの気持ちを。カラカラバザールの一件で命を救われて以来、懸命に彼を理解しようと努めるうちに、ただの側近に抱くべきではない気持ちを抱いていたことを。冷たい石壁の城の中で、出来損ないの姫と謗られ、父王にすら厳しい顔をされた日々の中で、それでもリンクが常に傍にいることが、何よりも彼女の支えだった。許されないことばかり起きたからと彼は言う。今なら口にしてもいいのだろうか? この最低なことばかり起きるこの日に、たくさんの人が彼らを守るために死んでいったこの許し難い日に、許されないことをもうひとつだけ、願ってもいいのだろうか?
     ゼルダが口を開きかけたとき、リンクが鋭い目で森の奥へ目をやった。追手が近づいてきているのだろう。立てますか、走れますか、と言って彼が手を差し出す。泥だらけの手だ。ゼルダは迷わなかった。立ち上がり、その手を取る。雨に濡れて滑りかけた手を、離すものかとリンクが力強く握り直した。彼女は、もう一度泣きたくなった。
     ノッケ川のほとりを双子山に向かってふたりは駆けた。足元の状況は悪く、幾度かゼルダは転びかけた。ただ、その握った手だけは離さなかった。転倒すればリンクも一緒に倒れてしまうのに、離すことができなかった。
     山の間の切り通しまでくると、明らかに背後に迫るガーディアンの気配が近くなった。湾曲したところのほとんどない川面を通じて開いた視界には、こちら側に向かうガーディアンの個体と、バウメル高地を乗り越えていく個体のそれぞれが見えた。どちらも夥しい数だ。ゼルダは前を見た。いや、顔を背けた。高地の向こうには村があった。これからまた、たくさんの人が死ぬ。ゼルダには何もできない。
     ひた走る。彼に手を引かれて。村にはガーディアンが侵入し、全てを焼き尽くしていくだろう。ゼルダは走りながら泣いた。嗚咽すると呼吸が苦しくなり、窒息するような気持ちで走った。リンクはこちらを振り返らない。ただしっかりと手を握って、彼女を離さなかった。
     心臓へ流れ込む血液が熱い、握られた手のひらが熱い。ゼルダは恐ろしい思いに駆られていた。ずっと、逃げ続けられたらいいのに。そうしたら、ずっとリンクと一緒にいられるのに。何もかもが許し難い世界で、今この瞬間ふたりが許されなくたって、誰にもわからないのに。こんな状況でそう思ってしまう自分が怖い。たくさんの人が今も死んでいるのに、この手をずっと握っていたいと思ってしまう自分が恐ろしい。
     ――ああ、女神様! だからなのですか! こんなにも私が愚かだから、貴女は私を訪ってはくれないのですか! こんなにたくさんの命が奪われても、この気持ちを捨てられない私が、愚かで、卑しい存在だから!
     心を掻き乱されながら、胸をぎゅっと押さえつけた。ふたりは走る。尖った小石を踏みつけ、足の裏に痛みが走っても、ゼルダは止まらない。走ることしかできない。止まればリンクの信を裏切ることになる。彼を信じる気持ちを捨てたくない。頬が燃えるように熱い。流れる涙が風に紛れて千切れていく。膝がじくじく痛む。喉が狭まって呼吸が苦しい。全身がバラバラになってしまいそうだった。――でもこの人が好きだ。リンクが好きだ。どうしようもなく。
     力を振り絞って、握られた手に力を込めた。それに応えるように、リンクは痛いぐらいに握り返してくれた。こんなに悲しくて辛いのに、ゼルダは死んでしまいたいほど嬉しかった。
     ふたりは双子山を抜けて、クロチェリー平原を駆けていく。すぐ背後からは、ガーディアンが迫っていた。
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    san_ph029

    PROGRESS2月新刊(予定)の進捗。たぶん全部で七章ぐらいになるお話の一章冒頭部分で、もう少し書き進んで文量がまとまったら、一章丸々をサンプルとしてどこかに公開します。
    1.“足りない”と“充分”

     あの日、私を覚えていますか、とゼルダが尋ねたとき、彼が曖昧に微笑んだのをよく覚えている。かけるべき言葉を間違えたのだという後悔と、初めて見る彼の表情にどうしようもない寂寥を覚えて、彼女もまた、曖昧に微笑みを返した。


     ****


    「結論から言うネ。リンクは単に百年前の記憶以上のものを失っているヨ」
     ハテノ古代研究所の小さな所長は、ゼルダにそう言った。
    「回生の長い眠りで記憶喪失になることは予想通りだったけど……我々は、その記憶の定義を少し甘く見ていたのかもしれない。脳が記憶しているのは単純な、いわゆる思い出だけではないはずだから。人が生活する上で必要不可欠な日常動作なんかは、身体が覚えているから問題ないケド、物事が意味するところ、いわゆる知識に相当する部分に大きな欠落が見られる。例えば、リンクが近衛騎士として侍っていたころの行儀作法とかは全然覚えてないんじゃないカナ? 一番影響が大きいのは……言葉の知識だネ。発話で使用可能なのは通常成人が知っている単語の数よりずっと少なくて、文章の読解はそれ以下。文字を書くことは極めて困難な状況」
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