一番は譲れない 11月28日。
朝早くから始まった撮影は、日付を超えるギリギリ前に終わった。誕生日を迎えるトウマへの配慮なのか、全員がなんとか今日中に終わらせようと奔走した1日だった。
スタッフたちのお疲れ様でしたという声を浴びながら、お疲れ様でしたとありがとうございましたを繰り返し口にして、軽く会釈をしながらトウマはスタジオを出た。
手には日ごろから付き合いのあるスタイリストやメイク、撮影に関わるスタッフたちからもらったプレゼントの山。
マネージャーの宇都木が用意した大き目の紙袋から、こぼれ落ちそうなほどもらっている。
宇都木が事務所に一旦持ち帰ろうかと提案したが、嬉しいからすぐ持って帰りたいと笑って、トウマは大荷物で歩いていく。
左手にはプレゼントがぎゅうぎゅうに詰まった大きな紙袋、右手には撮影スタッフ一同からのお祝いの小ぶりな花束。
新曲発売プロモーションの一環の撮影なのに、ドラマの撮影終了なみに送り出された。
虎於はその背中を見ながら、受け取った贈り物はトウマの受けている好意の数だと感じる。
日頃から楽屋に挨拶に来た女性アイドルや歌手たちからアプローチを受けながらも、トウマは毎度全然気がつかない。鈍感が服を着たようなこのリーダーは、今日もメイクのアシスタントスタッフに熱っぽい視線を向けられているのに微塵も気づいていなかった。
スタッフにねぎらいの言葉を送りながら虎於が後ろについて歩いていると、エレベーターホールに着いたところでトウマが振り返った。マスクを少しずらしてにかっと笑う。
「あれ、トラも宇都木さんに送ってもらわないのか?今日、車?」
マスクもキャップも着ているブルゾンまで黒で、先ほどまでの華やかな衣装を纏ってスポットライトを浴びていた姿はすっかりなりを潜めている。
悠と巳波の未成年二人は深夜までそう拘束していられないので、早々とマネージャーに送られていった。残るメンバーはトウマと虎於の二人だけ。
長時間の撮影の疲れも見せないトウマの笑顔に、虎於はそっとため息をついた。これを見られるのは限られた人間だけだという思いが抑えきれず、心が浮き立ってしまう。
「そうだ。撮影が長引くかもと思ったけど……」
虎於はそこで言葉を切って腕時計を見た。
「けど?」
トウマは小首を傾げて続きを待つ。
あと数秒。虎於はごく短い時間を待っている。
エレベーターが到着して扉が開くその瞬間、ちょうど0時を回った。
「誕生日おめでとう、トウマ」
「……え?もしかしてタイミング測ってた!?」
目を丸くしたトウマを見て、虎於は満足そうに笑う。
「一番最初に祝いたくてな。誰よりも早かっただろ?」
「そ、そうだけど……わ、マジか。すげえな、ぴったり0時じゃん!」
ポケットからスマホを取り出して時刻を確認すると、トウマは心底感嘆した声を出す。
「ありがとなトラ!めちゃくちゃ嬉しい!」
「上手くいってよかった。あと、渡したいものがあるんだが……ちょっとその袋貸せ。」
渡したいもの?と疑問符を浮かべながらもトウマは持っていた紙袋を虎於に渡す。
受け取った袋を持ち手に腕を通して下げると、虎於は着ていたコートのポケットから何か小さなものを取り出した。
「トウマ、手を出せ。」
「ん、こうか?」
ぱっと手のひらをを広げて差し出すと、虎於はその手首を軽く握った。
反対の手に持っていた何かがキラリと光を反射して、小さな丸いそれはトウマの左手の小指にはめられた。
「えっ指輪!?」
「そうだ、他のものに見えるか?」
自分の顔の前に手を広げてまじまじとリングを見つめるトウマに、虎於は心底楽しそうに笑った。
「シルバー、か?え?すげえ綺麗なんだけど……これ、めっちゃ高かったりしない、か?」
「どう思う?」
「いや、質問に質問で返すなよ。なんかすげえ高い気しかしないんだけど……」
怯みながらもトウマの視線はずっと小指に光るリングから外れず、いろんな角度から口を開けたまま見つめている。
気に入ってもらえたかなと、虎於は心の中でそっこり胸を撫で下ろした。
「トウマ、知ってるか。幸運は右手の小指から入って左手の小指から出ていくって話。左手小指のリングは幸運を引き寄せる、らしい。」
言いながら、虎於はリングのはまっているトウマの手を取る。指先でくすぐるような軽さで小指のリングを撫でながら、ついでのように隣の薬指の付け根に触れた。
「本当はここでもよかったけどな。」
左手の薬指。触れる指先にグッと力が入った。
「なっ!?」
そこにはめる意味に思い当たった瞬間、トウマの顔が一気に真っ赤になった。
「まだお預けだ、な」
本気なのか冗談なのかどちらとも取れる口調で虎於は笑う。
行くぞ、と固まっているトウマの背をポンと叩いてエレベーターのボタンを押すと、フロアに止まったままだったらしくドアはすぐ開いた。
先に乗り込んだ虎於がボタンを押して、なんだ乗らないのか、とからかうと、ちくしょうと小さく呟いたトウマは小走りで駆け込む。
まだ頬が赤いままのトウマと、目が笑ったままの虎於を乗せてドアは静かに閉まった。
*****
「トウマ、その小指にしてるやつさ、もしかして虎於からもらった?」
数日後のとある音楽番組の楽屋。
スマホを見ていたトウマの左手に光る指輪を見つめながら悠が問いかけた。
虎於はまだ到着していない。
「ああ、これ?そうだよ、トラがくれた。なんか幸運のお守りってやつらしくてさ」
「……どこのブランドとか知ってる?」
「それが直接指にはめてきたからわかんないんだよなあ。トラも教えてくれなかったし」
「……へえ…」
悠は目を細めてそれ以上口にするのをやめた。
少し離れたところで聞いていた巳波が口をはさむ。
「まあ、世の中には知らない方がいいこともありますものね。」
手を広げて指輪をまじまじと見ていたトウマが、びくりと肩を震わせる。
「えっ…やっぱこれ、すっげー高いやつだったり、する?」
さあどうでしょうね、と巳波はフフッと笑った。
そんな巳波を見て悠は肩をすくめる。
トウマと虎於は気づいていなかったが、番組やSNSにあげられる写真でトウマの左手小指にはめられている指輪の話題で一部のファンが騒然としていた。
結婚指輪で人気ランキング上位にあげられるとある海外ジュエリーブランドの指輪にそっくりと、画像つきで特定班に上げられていることを、悠と巳波は黙っていようと無言で視線を交わして誓った。
虎於から贈られたものと知らなかったマネージャーにもしかしてあのブランドですか?と何気なく聞かれ、うっかり調べたトウマが声なき悲鳴を上げたのは、またしばらく後の話である。