あの日の正解よりこの先の永遠を考えろ あの二人に何を見ているのかわかる。晴れ渡る空を数滴垂らしたシトリンの瞳の先、そこには決して離れ難さに苦しむ若者たちだけがいるのではない。栄光の時代の残骸。夢の終わりを重ねている。
確かにブラッドリーも嫌というほど意識させられた。馬鹿馬鹿しいくらい似ているのだ。相棒の思いから目を逸らし、何も言わせまいと殊更に明るく振る舞い隣に縛りつけようと必死のセシリオ。大切だからこそ一緒にはいられないと理解していて、別れの言葉を告げないまま消えようとしているルーベン。
どこかで見た景色じゃねえか、とうんざりする。あいつらのように生やさしいやりとりではなかったが、質の悪い過去の再演を観客席から眺めている気分だ。胸糞悪いからさっさと席を立ちたいのにそれも叶わず、嫌々舞台を見つめる。結末がわかりきっている舞台など何の面白みもない。
認めたくないだけでもう答えは出ていて、ただ寂しくて堪らないから往生際悪くもがいているだけ。苦悩の果てに二人は別れを選ぶ。そこに行き着くまでの過程は比較的穏やかなのかもしれないが、結局は離れずに生きるという、たったそれだけのことを成し得ないのだった。かつてのブラッドリーたちのように。
だからこそ積極的に関わる気にはなれなかったし、普段とは打って変わって踏み込んでいくネロが許し難かった。
いつもの信条はどうした? 誰が相手でもきっちり線を引いて、内側に入れることも入ろうとすることもない。慎重に他人と距離をとり、その境界線を越えようとさえしなければそいつに必要なだけ優しさや労りなんかを与える。それがネロ・ターナーという男だ。
でも今回はやけに入れ込んでいる。理由は明快だった。ネロは二人を通して考えているのだ。あの日の正解を。どうすれば綺麗に別れられたのかということを。
ブラッドリーは悩める若者たちの力になろうとする連中の輪から早々に抜け、一人で過ごした。最低の気分だった。
未だに振り返って「どこで間違えた?」と思うことくらいブラッドリーにもある。だけどそれは「いつ何を選択していればおまえに手放されなかった?」という未練で、「ちゃんとさよならを言いたかった」と悔やむネロとは根っこの部分が真逆なのだ。もう過ぎてしまったことを考えるときでさえ、自分たちの思いは重ならない。
別れ方に綺麗も汚いもあるかよ。ブラッドリーは舌打ちする。俺はてめえにどう言われても納得できなかったし、今だって少しも諦めてねえよ。
逆転劇など起こらない、予想通りの幕切れだった。まあ当然の結果だ。セシリオが生きるにはこの村は狭すぎたし、ルーベンが無理に中央へと行けばいずれ心が壊れただろう。
二人はどうしても一緒にいられない現実を受け入れて散々泣いた。泣いて泣いて、泣き続けて、そのまま枯れてくたばりそうな具合だ。しかし最後の意地は見せた。セシリオは一人で中央の国に行くと決め、ルーベンは村に残るとセシリオに伝えた。
「セシリオ……。無茶するなよ……するんだろうけど!」ルーベンは荷馬車を追いかけながら言った。「元気で……。さ……」
ぐっと寂しさも苦しさも堪えるように、ルーベンは一度口を噤んだ。ややあってから、湿っぽい声で荷馬車に向かって叫ぶ。
「さよなら……!」
速度を上げ始めた荷馬車に向かって、負けずに駆けていく若者の背中を見つめる。これがそうなのか? 胸のうちでブラッドリーは問うていた。これこそが、おまえにとって理想的な、綺麗な別れ方ってやつなのか?
だったら俺は、あの最後でよかった。遠くから幸福を祈るように、さよならと言ってしまえるおまえを許せるはずがない。ブラッドリー・ベインのための選択としてネロが取るべき最適解だとしても、それは決して本当にはブラッドリーには何の意味もないのだ。そんなこともわからない。自分の価値を理解していないやつはこれだから腹が立つ。
ブラッドリーを殺せる魔法使いはオズを筆頭にちらほらいる。が、ブラッドリーを心底打ちのめし、傷つけることができるのはこの世でただ一人だというのに。
「馬鹿!」
大きな声が響き渡ってはっと我に返る。セシリオだ。荷馬車から身を乗り出し、ルーベンをもどかしそうに睨みつけている。
「またな、だろ!」セシリオは泣きながら叫んだ。「俺は無茶するから。会いに行くよ、おまえに。この村にだって、顔見せるよ。国境なんて、何度でも越えてみせるよ!」
おまえの相棒を舐めんなよ、と村中に響き渡るような声量で怒鳴るセシリオに、ルーベンは小さく肩を震わせていた。だから無茶するなって言ってるのに、と言い返す声にはすでに涙が滲んでいる。
「待ってるよ! 馬鹿セシリオ!」
やがて荷馬車は道の向こうに消えていった。もう声も届かない。立ち尽くして泣いているルーベンの背中を、ネロがそっと撫でていた。何度も、何度も。その優しい手つきを眺めているとき、不意にネロはルーベンを見つめた。それはもう眩しそうに。
「……俺は、泣けたんだったけな」
そう呟くのが聞こえて、ブラッドリーは二人に背を向けた。何でもない様子を装い、談笑する魔法使いたちに適当に混ざる。いつものように話し、いつものように笑い、だけど心がやや強張っていることは認めざるを得なかった。
泣いただろうな、とブラッドリーは思う。そりゃ泣くだろ。おまえはそういうやつだよ。手放されたのは俺なのに、手放すおまえが泣くんだ。泣くぐらいなら一緒に生きてくれりゃよかったのに。
ブラッドリーは目を伏せる。でも、まあ、おまえだけのせいじゃねえよな。俺はおまえに何も言わせなかったし、おまえが限界になるまで無理に縛りつけた。ああいう形で終わらせるしかなかったんだろう。だからって、離れずに生きる方法は本当になかったのか、って、まだ時折考えるけど。
さよなら、ではなく、またね、と言った若者たちは、きっとこれが今生の別れにはならない。恐らくこの先、何度だって会う。違う場所を選んでも、一緒に生きることはできるのだろう。
だったら、「さよなら」も「またね」も言えずに別れた自分たちは? 賢者に何を言われたのか、腹を抱えて笑っているネロにさりげなく視線を遣る。少なくともネロの方はあれっきりだと思っていたはずだ。もう一生会うことはないと覚悟して姿を消したのだ。だけど、そうはならなかった。ならなかったのだ。
「よお、盛り上がってるじゃねえか」
他の連中を引き連れて、ネロたちと合流する。夕飯は何がいいかと賢者が訊ねると、それぞれが口々にリクエストをする。デザートの件で一瞬だけ揉めそうな雰囲気になったが、ネロが両方作ってやるからと宥めて丸く収めていた。
その後も他愛のない会話が続いた。ごくありふれた、賑やかで平穏な時間が流れる。あまりにもほのぼのとしているものだから、今日はもうこうやって気楽に過ごししてえな、と思う。毎日がこんな調子では退屈だが、たまには悪くない。
隣にいるネロの様子をそっと窺うと、涙のあとが残るものの、晴れ晴れとした笑顔のルーベンを見つめていた。ぼろぼろと泣く背中を撫でてやっていたときと同様の眼差しで。
満足か、などと意地悪く訊ねる気にはならなかった。風通しの悪い胸に、めずらしくちゃんとさらさらと風が吹いている。優しく眇められた瞳を見れば一目瞭然だ。諦めや憤り、悲しみや苦しみ、そういった痛みを今だけは感じていない。ネロがめずらしく一点の曇りのない笑い方をしているので、つい見入ってしまう。
普段からこういう顔だけしてくれりゃいいんだけどな、と思うけど、それはできねえやつなんだよな、とも思う。今はまだ束の間の晴れ間だが、少しずつ晴れの日が増えればいい。
その上で、もう一度一緒に生きるための方法を見つけてやるのだ。次こそはしくじらない。厄災戦後、石になんかするものか。北の魔法使いとして正しくない道を行っているとしても、ブラッドリー・ベインとしてはこれが正解なのだった。
「……なんだよ」
視線に気がついたネロが、若干気まずそうに訊ねてくる。
「別に?」
適当にあしらうと、何を勘違いしたのか、面倒臭そうにネロは眉を寄せた。駄々を捏ねる子供を見るような目だ。
「わかったよ。夕飯、フライドチキンも揚げてやるから」
こいつ人のこといろいろ言うけど、てめえも大概だろと思う。本当に肝心なことだけは何もわかってねえよなあ、と呆れつつ、おう、とだけ返した。