神父と淫魔 №11「南風」
道で歩いている南風を見かけて扶揺は飛びつくように近づいて、素早くその腕に自分の腕を回した。
上目遣いで少し甘ったるい声。
でも南風はただ笑って
「やあ、扶揺。散歩中?」
と言うだけだった。
少しは意識しろと思うが、いつもどれだけ思わせぶりな事をしても言っても南風はただ穏やかに笑っているだけ。
今まで狙った男を落とせなかった事が無い扶揺にとってはとても面白く無い。
みるみる不機嫌な顔になる扶揺に南風はクスリと笑った。
笑みの種類が変わったことに気付いた扶揺が怪訝な顔になる。
「何だ、私の顔が面白いのか」
「面白いというか可愛いなと思って」
「えっ?」
自分でも不機嫌な顔になっている自覚がある。それなのに可愛いとは?
少し混乱している扶揺に南風は機嫌が良さそうだ。
「今の顔の方が自然だ。作り笑いより不機嫌な顔の方がずっといい」
「っ!」
思ってもいない言葉だった。
扶揺は自分の外見が良いことは自覚している。でも、同じぐらい自分の性格がお世辞にお良いとは言えないことも自覚していた。
表情は心の鏡だ。
籠絡するための作った表情以外はきっと扶揺のきつい性格が出てるはずだ。
それなのに南風は自分に対しての好意的な色を感じさせる綺麗な外面より、自尊心の強そうな可愛げの無いだろう表情を可愛いという。
「な……んだそれ」
思ってもいなかった事を言われて扶揺の顔がどんどん赤くなっていく。
「照れてる顔の方がもっと可愛い」
「お前、私をからかってるな」
「とんでもない。本心だ」
そう言って笑う南風の腕から手を離し、扶揺は南風の背をバンバンと叩く。
「痛い痛い」
言っている割には全然痛くなさそうで相変わらず笑ってる。
それが扶揺には面白く無い。
でも、何もしなくてもただ黙っているだけで、色欲目当ての人間に寄ってこられる扶揺にとっては色仕掛けに興味がなさそうな南風がひどく新鮮で、なんだかこそばゆくて少し嬉しかった。
それから扶揺の南風への態度は変わっていった。
媚びる様な仕草は無くなって、たまに誘いじみた態度を取ってもそれはからかっているだけで下心は無くなった。
何も繕わずただありのままで過ごす時間が楽しくて、南風を食料として見ることは出来なくなった。
教会に集まった子供達と言い合って「口が悪い」と窘められたり、喜んで欲しくて作っていたお菓子を「余ったから食べさせてやってもいい」と差し出したら、嬉しそうに食べて「ありがとう」「おいしい」と言われるのが心地よくて。
『一緒にいるのが楽しい』から『ずっと一緒にいたい』に変わるのに時間は掛からなかった。
このまま南風の側で平和で穏やかに過ごす。そんな夢みたいな事が夢ではなくなるのではないかなんてあの時までは思って居た。
南風の兄、風信神父が戻ってきたあの日、神気にあてられて動けなくなった瞬間、自分が平穏とはかけ離れた存在であることを思い知らされた。
だからこそ、扶揺は気持ちのない誰かに触れることも、人を食べることも嫌になった。
それは淫魔にとっては致命的だ。
行き着く先は死しかない。
もう何もかもがどうしようも無かった。
でも、それでも、せめて最後までただの扶揺として南風の側にいる、そう決めていたのに。
「扶揺は体調が悪くて寝ている」
扶揺の家の扉の前で南風は慕情にそう言われ、訪いを断られた。
「寝顔を見るだけでも駄目ですか」
南風が必死に食い下がるも
「扶揺がそんなこと喜ぶと思うか?」
慕情の言葉に南風は次の言葉に詰まった。
「起きたら、お前が見舞いに来たことは伝えてやるから、今日はもう帰れ」
それ以上何も言えない南風はそれでもしばらく立ち尽くし、ようやく諦めて慕情に頭を下げると背を向けた。
背後から扉が閉まる音がする。
振り返って、二階の扶揺の部屋の窓を見上げる。
扶揺が顔をだしてくれるのではないかと待ってはみても、窓は開くことは無かった。
南風は後ろ髪引かれる思いで帰路についた。
そんな様子をカーテンの隙間から扶揺は見ていた。
「本当に会わなくてよかったのか」
扶揺の部屋の扉に背を預け腕を組んで立っている慕情が言った。
「こんな顔では会えない」
慕情の方へ振り返った扶揺の目は泣きはらして真っ赤だった。
「それに、今会ったら私たちの正体がばれてしまうかもしれない」
「それについては、もう今更かもしれないが」
「えっ?」
「いや、なんでもない」
何も考えたく無い扶揺は慕情の言った事を追求せず、再び窓の外をみた。
何度も立ち止まっているようで、まだ南風の姿が見えた。
それが無性に悲しくて、扶揺の目からまた涙がこぼれる。
何がしたいのかどうしたらいいのか分からなくて扶揺は泣くしか出来なかった。