まったりスローライフ系が溺愛系になりそうです3◆◆◆
異世界でも風呂はいいものだ
「ぁ〜〜」
人の平均体温よりも高い湯船に足先から入り、肩までつかればおっさんのような声がでた。
事実おっさんではあるのだが、伊達男を装っているので、誰かいれば出さなかった声だ。
だがこの場にはバーソロミューしかおらず、しかも泳げるとまではいかずとも、バーソロミューの身体をもってしても足と手を伸ばしてゆうゆうと入れる浴槽となれば、声もでるというともの。
「生き返る〜」
異世界に風呂文化があってよかった。あ、それともこれは渡り人用かな? なんて考えながら、この十二時間で起こった怒涛の展開を思いだす。
——まず、死んだ。
そう死んだんだよなぁ、と、ちゃぷ、と湯船から腕を上げる。
自分の腕、そして手だ。
三十を過ぎてから明確に衰えてきた身体。忙しい中、ジムに行ったり自宅で筋トレをしたりして、その衰えにあがらっている状況だった。
ボディービルダーのように自分の身体を隅々まで把握はしていないが、それでも一般の平均よりは知っている。
——自分の手だ。
女神曰く、ぐちゃぐちゃになったという事なのに。
地球からあの空間に召喚して治したなどの可能性もあるが、女神エレキシュガルの口ぶりから違うだろう。
つまりこの身体は、エレキシュガルと話していた時には“ナニカ”になっていたという事だ。
そっくりコピーか、それとも一から作り直したのか。
そしてそのナニカのままこのカルデアに渡らされた。
そう考えると少し恐ろしくもなるが、そこを考えだすとキリがないのでそこでその思考を止める。
カルデアに渡ってから騎士達と合流し……そこでパーシヴァルを思いだし、身体の芯から熱が持つ。
思考が妨害されると、頭を湯船に浸けて、必死に海を思いだす。
そう海。
いい海だった。
これからあの海のそばで暮らせるのだ。
下の中ぐらいの生まれと人生で、なんとか中に這い上がり、このまますり減って無くなっていくのだろうなと考えていたが、幼少期に使われなかった幸が中年になって使われ始めたようだ。
どこかの誰かが一生の中で幸と不幸の分量は決まっている。今、不幸ならば先の未来で幸だと言っていたが、今なら信じてやらんでもないという気持ちだ。
——よし、冷静になれたと頭を湯船から上げる。
ふはぁと息を吸って吐き、よし、と思考を再開する。
剣と魔法の世界。魔王はいないらしいが、神も魔物もいる。
私は渡り人の中でも珍しい、神の愛し子で、何か凄い力が使えるらしい。使い方を知らないが。
そして自動翻訳付き。これは自分で把握が難しく、しかも神の真名をも翻訳してしまうほど。
「いや、偽ってるならそう聞こえてくれよ……」
偽名を使っている相手の名をうっかりバラしてしまう可能性があるという事だが、これには朗報もあった。
試しにパーシヴァルに名前を偽ってもらい、そう名を呼んでみたのだが、そちらはちゃんと偽名で聞こえたし言えた。
「って、なんで神限定だよっ!」
ガウェインの推測では、何かしら力を持つ者、言葉自体に力があるものは偽れないのではとの事らしい。
ガウェインには『神聖国が欲しがりそうなスキルですね』と忠告がてら釘を刺された。どこかの国に狙われるスキルだぞと。
いらんそんなチート。
と内心毒づきつつ、わー、そうなんですねーという態度をしておいた。
その後、パーシヴァルが所有する屋敷に移動。
出迎えた使用人の中に素晴らしいメカクレの少女もおり、テンションが上がった。
屋敷に滞在中は彼女を鑑賞するとしよう。
それにパーシヴァルの屋敷は丘の上にあり、海と町を眺められ、バーソロミューは気に入った。
夕焼けも綺麗で、あと一時間もすれば日が暮れるといわれた。ではこのまま夕暮れまで眺めていれば、夕に焼けた海が見られるのだなと立っていれば、パーシヴァルに『失礼』と抱き上げられた。
そのまま風呂場の前まで連れて行かれ、「先程も何度も説得しましたが、雨に濡れて身体が冷えていますので、どうか湯船で温まってください」と微笑まれた。
◇◇◇
「隠すかしまうか守るか方針を決めなさい。野放しは彼の為にも無理です」
屋敷の客間、人払いをし、使用人が去った後、ガウェインがタオルで髪を拭きながら口を開いた。
「神の愛し子で女神エレ様の名前を言え、言語を自分の意思に関係なく翻訳でき、さらには神の真名まで見抜く。しかもまだ何か力を持っているかもしれないとなれば、私としては守りが硬い都での保護を提言します。パーシヴァル卿の意見を聞かせていただけますか?」
言葉を向けられたパーシヴァルもタオルで髪を拭きながら返す。
「……自身の心に従うのなら貴殿らの目にも届かぬところに囲って隠したい」
包み隠さぬ本音を述べれば、ガウェインやトリスタン、ランスロットも驚いた様子をみせる。
パーシヴァル自身、自分にこのような独占欲があるのだと知り、驚いているのだ。
「それを彼は望まないであろうし、それに彼のあの海に対する恋する乙女というより、はしゃぐ子供のような愛らしい姿を見てしまうと……」
海を発見して、馬から降りて走りだしたバーソロミュー。
その姿は興奮を抑えられず思わず走り出した子供のようだった。
そして海辺から館に移動した時、バーソロミューは出迎えたメカクレのメイドを早口で褒めながらも、『この庭からは海が見えるんだね』と、海の方が気になるようだった。
そのメイドが『後一時間もすれば、日が沈んで、夕日も綺麗だぞー』と言ったら、『それは是非見たいな、ありがとうメカクレメイドの君』と言って、海を見たまま動かなくなった。
パーシヴァルが雨に濡れたから、冷えるから、風呂に湯がはれるまでどうか部屋でという言葉に、生返事。視線はキラキラと海に釘付けになっていた。
それは玩具の前でテコでも動かない子供のようで、パーシヴァルは愛し気に見ながらも使用人から湯がたまったという報告を受けると、『失礼』とバーソロミューを抱き上げ、風呂場まで連れて行った。
そんな出来事を思いだし、可愛かったと微笑んでからパーシヴァルは続ける。
「隠すにしろしまうにしろ守るにしろ、海のそばでのびのびと暮らしてもらいたい。その為の最善を選ぶつもりだよ」
「その“最善”の為にも、バーソロミュー殿の力は正確に把握しなければならない」
拭き終わったトリスタンが会話に参加する。
「ステータスは見せてもらうべ……パーシヴァル卿、貴卿、戦場以外でそんな顔できたんですね」
私は悲しいと悲しくなさそうな顔で嘆くトリスタン。ランスロットが間に入る。
「パーシヴァル卿、確かにステータスを見るのは私達にとっては不愉快で不快だ。だが渡り人にとってはそうではないとも聞く。バーソロミュー殿に事情を説明し、協力を申し出れば?」
「……貴方は不愉快と感じないようなので、私は厭わしいと感じる事をさせてくれと?」
「あぁ」
ランスロットが迷いなく言い切ると、ガウェインがトリスタンをチラリと見て口を開いた。
「この半日、彼と行動を共にしただけで、いわゆる“チート”と呼ばれるものを何個見ましたか? 愛し子様である事は隠せない事もないでしょう。言語の自動翻訳は隠すのは難しくとも、そういうスキルで通せます。女神の隠している真名を他者の耳にも聞こえる言語で言い当てるは、神の名前を口にしないを徹底すれば対策できるかもしれない。言うのは簡単ですが、これから見つかるかもしれないチート全てに完璧に対策していき、町でのんびり暮らすなど現実的ではありません。それに世には鑑定スキルというものもあります」
鑑定スキルという単語に、トリスタンに視線が集まる。
トリスタンは目を閉じたまま微笑んで、「はじかれました」と悪びれなく言ってのけた。
「トリスタンッ!」
パーシヴァルが避難の声をあげるが、ランスロットが「それならば、」と話をつづける。
「並の鑑定スキルでは観破できぬだろう。普通、並じゃない鑑定スキル持ちは国や商会に囲い込まれ、港町まで旅行できないだろう」
「だがこれで、トリスタン卿ほどの鑑定が弾かれるチートをバーソロミュー殿が持つと判明しましたね」
パーシヴァル卿。
と、ガウェインがどこか優しさを含んだ声で名を呼ぶ。
パーシヴァルがガウェインを見ると、ガウェインは言葉一つ一つに怒気を込めて話しだした。
「貴卿も理解しているでしょう。バーソロミュー殿が持つ能力は今判明しているものだけでも、国同士で諍いが起きかねないと。特に神の真名に関しては、知られれば手段を選ばない国を貴方も思い浮かぶでしょう。そうだというのに翻訳と同じで、どうやら自動的に常時発動のスキルのようです。正直、真名まではその槍を持つ貴方が愛し子様の横にいる方法を考えていました。だが今は、様々な力を持つ愛し子様の横に貴方がいかにして振り落とされず立つかを考えています。いいですか? 愛し子様の気持ちが優先と口では言いつつ、裏から手を回す方法などいくらでもあります。いくら貴方がたが両思いだとしても、あっという間に引き離されますよ。そうなりたくないというのならば、バーソロミュー殿の能力を把握し、隠すものは隠し、公表するものは公表し、使えるものは使い、貴方が持つ槍や立場を主張して利用し、頼れる伝手を使って愛し子様の隣に立てるように足場を確保なさい」
「……」
パーシヴァルは怯んだ顔をするものの、真っ直ぐに目を逸らさずに、最後には真剣な顔つきになる。
「感謝をガウェイン卿。腑抜けていた。ステータスについては、私が彼に話し——」
「パーシヴァル!!」
部屋の外、屋敷の中、風呂場の方向からバーソロミューの声がする。
パーシヴァルは即座に部屋を飛び出ると、廊下を駆けて声の方向に向かう。
あの角を曲がればと、向こうからも駆けてくる気配。
パーシヴァルは速度を少し落とし、出会い頭の衝突を避けて、向こうから駆けてきた人物を走ってきた衝撃を上手く流しながら受け止める。
「あぁ! パーシヴァル、良かった」
「バーソ……ろ、みゅー」
何かあったのかい? その声は口の中で砕けて消えた。
彼の髪は濡れ、風呂から上がってすぐだと分かる。
肌を包んでいた異世界の服は今はなく、首から鎖骨にかけての筋に目が奪われ、細いさが気になるがほどよく筋肉がついた胸と腹には水滴が……
「っ!!」
その下を見る前にパーシヴァルはマントを外そうとして、体を拭く為に外した事を思いだす。
「ん?」
バーソロミューが何かに気づいたらしく、首を傾げた。
「え? ひょっとしてこの世界、肌を晒すの禁忌とかだったりする? 一応、下はタオル巻いててセーフだと思ってたんだけど……」
ほら、と腰に手を当ててタオルを主張するバーソロミュー。
パーシヴァルの視線は自然とそちらに落ち、バーソロミューに付着したお湯で湿っただろうタオルは肌にたりついてしっかりと身体の曲線を——
「これはいけない!」
と、上服を最高速で脱いで彼に被せる。
「うわっぷ!? え、えぇ? あ、君、この服の下、そんな風になってぇぇ?」
パーシヴァルはバーソロミューを抱き上げると、執事に案内され、彼の部屋に走りだした。
◆◆◆
イエスメカクレ、ノータッチ
身体も十分に温まった。
もうそろそろ出ようと立ち上がりかけた時、
「あ、よかったまだいた」
と、浴室に服のまま入ってくる少女が一人。
「タオルと着替えがあるからいるとは思ってたんだけどさ。入れ違いになったら面倒だなって」
メイド服を着た、メカクレの少女は手に何かを持ったまま、ずんずんと裸のバーソロミューに向かって歩いてくる。
バーソロミューは湯船から立ち上がりかけた体勢のまま、頭をフル回転させていた。
——少女の名は徐福と言ったが。なぜ風呂に? 貴族は身体を自分で洗わないとか? 着替えも手伝ってもらうとか?
——異世界ものの中には貴族になって風呂をメイドに手伝われそうになってという描写を見た事があるが、まさか自分がなるとは! あ、そういえば私、この少女を気に入ってるって見せてたもんな。だが三次元のメカクレはノータッチなんだよ! 挟まりたいとかはあるが、あくまでノータッチ! そこは! 紳士たる私のオタク道をもっと語っておくんだった!
——異世界の常識と私の常識のすれ違いがこんなところで起こるとは。どうする? 彼女も仕事だ。放棄しては後で怒られるかもしれない。しかも私は館の主人の客。
——まて。少女が持っているのは本? “渡り人と不死の可能性について”?
——あ、私、異世界の文字も翻訳できるんだぁ。ではないなこれは。この少女が何者かは知らないが、ただ背中を流しにきただけではない。話を聞いてみてもいいが、どうするか。
——こういうのって、隠し事を持つと後々面倒になるんだよなぁ。よし。
そこまで僅か一秒ほどで思考したバーソロミューは、息を大きく吸い込むと、ただ大きな声でこの異世界で最も信頼したい者の名を呼んだ。