空気のような本の話ー1– 高校時代、親友の影響もあり、漫画や小説を読むようになった。
とはいえ時間も金もなかったので、親友に勧められた本以外はたまに空いた時間、安く手に入ったやもらった本をちまちまと読む、それぐらいだ。
その中で、なぜか捨てられない本がある。
十五年ぐらい前に完結したシリーズもので、一冊目はバイト先の店長から貰い、その後は自分で定価で買った。
内容は日常で起きるちょっとした事件を高校生達が解決するという、学園ミステリや日常ミステリと呼ばれるもの。シリーズで出ていたのと、帯があり、どの巻も何刷りかされているので、売れていたのだろう。
そんないまだに本棚の一部を占領しているが、好きな本なのか? と言われると、そうなのかそうなんだろうなぁでもなぁ、と首を捻る。
特別、ここが好きとかはないのだ。
一冊目を読んだ時からそうだった。
だが定期的に読み返したくなるし、売る気や捨てる気にはならない本。
作者の別の本もと思い探したが、三木が知る限りない。筆を折ったのか、それとも別のペンネームか。
三木には良さがいまいちわからないが、固定ファンはいただろうに勿体無いという感想を抱くだけで、特にそれ以上、調べもしなかった。
だが久々に読み返した直後だったからか、それとも脱稿してハイになった友人に付き合い、慣れない酒なんて飲んだからか、一緒にいた友の担当編集に、つい聞いてしまったのだ。
…………っていう作家、知ってます?
一瞬、編集の目の奥が光った。編集の片眉が跳ね上がり、片側の口角があがる。
あ、しまった。
背中に嫌な汗が流れる。これは、なんか厄介なものに足を突っ込んだ。藪を突いてベビを出した。
三木がすぐに誤魔化そうと口を開いたが、編集がガシリと三木の首に腕を回した。
「なんやその作家がどうしたん?」
「いや……」
なんと答えようか。正直に話していいものか。相手は知っているとも知らないとも、何の情報もこちらに出していない。わざと言葉を選んでそう質問に質問を返したのだ。こちらの情報だけを引き出す為に。有利に立つ為に。
つまりこの編集は何か情報を持っている。その上で何かしらの駆け引きをしかけてきた。
答え次第では、何か面倒ごとを押し付けられたり、それとも関わるなと忠告されるのか。
「……」
正直に話した時のデメリットとメリット、駆け引きに乗った時のデメリットとメリットを考えーー三木は肩をすくめた。
「……何かしらの藪を突いたみたいですけど、別にその作家について何か知ってるだとか、何かよからぬ事を企んでるとか、そういう事じゃないんですよ」
駆け引きできるほどの情報を持っていない。もし何か厄介事を頼まれたとしても、あの作家との接点となるなら、それは悪くない気がした。
だから正直に話した。高校時代手にして、愛読していて、他には何も出してないみたいで、ちょっと気になっている、と。
話終わると編集は数秒、探るような目つきで三木を見たが、すぐにニカッと笑って。三木の首に回していた腕をどかすと、「なんや〜」とお猪口でグイッと酒を飲む。
「臨時編集っていっても編集らしく、あの先生の新しい原稿、ゲットしてきたとかそんな話かと思うたわ」
「…………あの、それは……」
冗談半分のように言っているが、これは違う。
「俺が先生の原稿を入手できる、そんな位置にいる……あの作家と俺は知り合いだと言ってます?」
「ハハハハ」
バンバンと編集が三木の背中を叩いた。
「俺は担当した事あらへんけど、問題起こしたわけでなく、おもろいもん書ける作家の顔と名前は頭に入っとる。頃合いを見て名刺渡して、またこっちに引き摺り込んだろおもうてな。まぁだからなんや、期待しとるで三木君」
その後は三木がいくら尋ねても、誤魔化され、何も教えてはくれなかった。
◯◯◯◯◯
誰だよ。
三木は編集に、あの作家と知り合っていると教えられてからというもの、頭を悩ませていた。
なにぶん、三木は色んな場所で仕事しているのだ。広く浅くの人間関係は新横で一、二を争うかもしれない。
しかも探すのは現役作家ではなく、約十五年前に筆を折ったか置いたかしたであろう人物。他の仕事をしているだろうし、隠したがってるかもしれない。ならば下手に探りなど入れない方がいいのか。だが気になる。
うーんうーんと悩み、悩んでいると、便利モブのオフ会で聞かれた。
「ミキサン、何カ悩ミアリマスカ?」
「え?」
本当に何のことか一瞬分からず、コントローラーを操作していた手をとめ、右側にいるクラージィを見る。
すると左側にいる吉田もどこか心配そうに三木に言ってきた。
「三木さん、この前からずっと、ふとした瞬間に難しい顔してるし、唸ってますよ?」
「えぇ? うわー、あー、マジかぁー」
なんだか恥ずかしくなって顔を手で覆い、天井を仰ぐ。
頭のどこかにこべりついて、常に気にはしていたが、顔には出していないつもりだったのに。
「……たいしたことではないので、」
気にしないでください、と続けようとするも、クラージィが言葉を遮る。
「タイシタコトナイナラ、教エテクダサイネ」
「え?」
「そうですね、大した事ないなら、ペラッと話してください」
「えぇー?」
どうしよう、どうやって逃げるかと考えていれば、右腕にクラージィの腕がからみつに、左腕に吉田の腕が絡み付いた。しかも胡座をかいていた膝には猫も乗ってくるというおまけつき。
ーーこれは、逃げられない。
三木は観念すると、話しだした。
「あ、それ僕ですね」
話が終わるなり、吉田がなんかよく分からない言葉を言った。
いや本当は理解できた。日本語だった。だが、脳の処理が追いつかなかった。
なんて?
と思っている間に、クラージィが「ヨシダサン、作家?」と純粋に聞いている。
「んー、昔はそうでしたねー」
「本読ミタイ!」
「え〜なんだか恥ずかしいなぁ。それに十五年前の日本の高校が舞台なので、クラさんには理解できないかも……」
「カマワナイ。ミキサン読ンダナラ私モ!」
「じゃあちょっと待ってくださいね。本はないんですが……」
まだ三木が固まっている中、よっこらしょっと吉田が立ち上がる。
数分して戻ってきた吉田の手にはB4サイズの160枚ほどの紙の束が。
「これは本になったのとほぼ変わらないので、クラさんが読む分にはいいですよ」
「? ア、本ノ、エー、印刷? サレテル」
ゲラ!?
見本刷り、校正紙といわれるもので、作家が書きあげた原稿を、本になる前にページやら奥付けやら全てレイアウトして印刷した物だ。
そのゲラを作家や校正、編集が読み、誤字や脱字、表現等がおかしい場所がないかチェックしていく。直してはまたゲラが刷られて、直しては刷られてが繰り返され、校了となり本となる。
「それ、直すところがメールで済む程度だったので、編集さんに送ってないんですよね。初めて本になったやつだから、なんとなく手元に残してあって、あ、クラさん、誰かに渡すのはダメですが、読んだら捨ててくれても……」
おもわず、吉田の手からクラージィに渡ろうとしたゲラを取り上げてしまう。
呆気に取られる二人に目線を向けられ、三木は思わず立ち上がって、混乱する頭で何かを叫ぶ。
「お、俺! 本持ってますから! 持ってきます! これは捨てるなら俺が貰いますね! では!」
ゲラを抱きしめて吉田の部屋を出て、吉田の本がある部屋に帰る。
ゲラをどうしようと悩み、目についた机を拭くと、その上にタオルを敷いて、ゲラを置く。
そして吉田の本を全部紙袋に入れると、引き返した。