年末年始ヒュポ。12月某日
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街はすっかり雪景色だった。温暖な気候のパプニカでこんな光景を見るのはとても珍しい。大人たちはめったにない出来事に困惑し、慣れない雪かきに疲れた表情を見せていたが、子供たちは、そんな大人たちを尻目に滅多にできない雪遊びに夢中になっている。
ヒュンケルとポップそんな子供の様子を微笑ましく見ながら大通りを歩いていた。
「もう少しで新年だなぁ」
ポップは白い息を吐きながら言った。
「ああ……そうだな」
そう言うとヒュンケルは足を止めた。
もうすぐ12月が終わる。今年もあとわずか。
「どうしたんだよ?」
ヒュンケルの顔を見上げてポップが尋ねた。
「いや……何でもない。ただ、時の流れというものに改めて驚いているだけだ」
「確かにこの数年、いろいろありすぎたもんなぁ……来年こそ平和になると良いよなぁ」
「……ああ」
ヒュンケルは小さく答えた。
本当に色々な事があった。
魔王軍との戦い、勇者ダイの帰還、ダイとレオナ姫の婚約―――――。
あの大戦から数年の歳月を経て、ようやく訪れた平和に人々は酔っていた。
けれど、それを維持することがどれほど難しいことなのか、もう二人は知っている。
アバンの使徒として大魔王バーンとの戦いに勝利しても、それで全て終わりではなかった。まだ地上には黒のコアが残り、凶暴な魔物だってまだ多く、人々の生活を脅かしている。
そんな残された多くの問題をひとつでも減らすために、ヒュンケルやポップたちは、この一年ずっと各地を飛び回っていた。そしてほんの数時間前にやっとパプニカに戻ってきたのだ。
レオナへの状況報告を兼ねた謁見を済ませ、報告書を提出して、やっと念願の休暇を手に入れたのが、ついさっきだ。
「……そういえばさ、お前年末年始ってなにしてんの?」
ふいにポップが立ち止まって訊ねてきた。
「特に決めてはいないが」
「そっか……」
ポップは何やら考え込むと、ヒュンケルを見て言った。
「じゃあさ! おれんち来ねえ?おれも休みだし」
「…いいのか?」
意外な申し出にヒュンケルは驚いた。
「もちろん!」
ポップは大きく肯いた。
「本当ならみんなで騒ぎたいところなんだけど、あの二人の邪魔したら悪いだろ?
何をするわけでもねーけど、それでもいいなら。あ、もちろん土産は期待してるぜ」
ポップは冗談めかして付け加えた。
「わかった。では遠慮なく世話になろう」
ヒュンケルは苦笑しつつ答えた。
数歩分だけ先に歩くポップの横顔を見ながらヒュンケルは思う。
ダイを探す旅を経て、随分とポップと親しくなった。
こうして二人で肩を並べて歩くのも初めてではない。いつの間にかこれが当たり前になっていた。
ポップは今の関係をどう思っているだろうか? ふいに、そんな疑問が湧いた。
今までは良き仲間で兄弟弟子だったはずだ。少なくとも自分はそう思っている。
でも今は……少し違うような気がする。
視線に気付いたのか、ポップがヒュンケルを見上げた時、目が合って……どきりとした。
ポップの瞳に隠しきれない熱があるように感じられたからだ。
(……気のせいだ)
自分に言い聞かせるようにヒュンケルは心の中で呟く。
首を振り前を向く。ポップもまた前方へと目を向けた。
その時、ヒュンケルは胸の奥底にチクリと何か小さな痛みのようなものを感じた。
それはほんの小さな棘のようなものだったけれど。
この感情が何なのか――それはまだわからない。
12月31日
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ポップの住まいは王都の外れにある、小さな庭付きの家だ。
庭では薬草などを育てているらしく、家の中に入るとハーブのような香りがした。
部屋には魔法使いらしく多くの魔法書や魔道具が置かれていたが、不思議と乱雑な印象はなくかった。
ヒュンケルは持参してきたワインと途中の屋台で購入したいくつかの料理をテーブルの上に広げた。
「まぁ、こんなものしかないが」と言うヒュンケルの言葉とは裏腹に、テーブルの上はたちまち美味しそうな料理でいっぱいになり、ポップは目を輝かせた。
「すげー!ごちそうじゃん?早速食べようぜ」
「ああ」
ヒュンケルも椅子に腰掛け、二人はグラスを手に取った。
「乾杯!」
ポップの声とともに、カチンとガラス同士がぶつかる音が響く。
ヒュンケルが買ってきた肉串を頬張りながら、ポップは満足そうな表情を浮かべていた。
「あ~うめぇ!おれ、こういう屋台の食い物大好きなんだよ。」
そう言って次から次に食べ物を口に運んでいく。
ヒュンケルはその様子を見ながら自分もワインを一口飲んだ。
「……そう言ったらラーハルトのやつ、なんて行ったと思う?」
ポップは楽しそうに、最近の出来事をヒュンケルに話して聞かせた。
もともと口数が多い方ではないヒュンケルは、時々相槌をうちながらポップの話に耳を傾けた。
ポップの話が進むのに合わせて、テーブルの食事がなくっていき、代わりに空になった酒瓶が増えていく。
「……ポップ、少しペースが早すぎないか?」
予想以上の早さで増える空き瓶の数に、ヒュンケルは流石に心配になって声をかけた。
「いいじゃねぇかよぉ。たまにはさ~」
上機嫌で答えるポップの顔は、ほんのりと赤く染まっている。
ヒュンケルは眉間にシワを寄せた。
「……お前、酔っているな」
「酔ってねーよぉ……」
「嘘をつけ」
ヒュンケルが睨むと、ポップは口を尖らせて反論する。
「うそじゃねぇもん……おれ、全然よってねぇもん…」
子供じみた口調で言いながらも、その目はどこか焦点があっていないように見える。
(……これは完全に酔い潰れるパターンだ)
ヒュンケルは額に手を当て、小さくため息をついた。
席を立ち、ポップの傍らまで行くとその身体を抱え上げる。
「わっ!?」
突然抱き上げられたことに驚いたのか、ポップは声をあげ足をバタつかせる。
それに構わず、寝室に続く廊下を歩き、部屋のドアを足で軽く蹴る様にして開けると、そのまま窓のすぐそばにあるベッドにポップをそっと下ろした。
靴を脱がせてやり、ベッド脇に置く。
ポップは脱がされた足をぶらぶらさせながら、不貞腐れたような顔をヒュンケル に向けた。
「おれまだ全然眠くねーんだけど」
「嘘をつけ」
有無を言わさずヒュンケルは言う。
「大晦日なのに…」
ポップは唇を尖らせながら言った。
「……今日は飲み過ぎだ」
ヒュンケルはポップを強引に横にすると布団をかけてやる。
「……」
ポップはムッと黙り込みヒュンケルを見上げた。
「なんだ?」
「……なんでもねぇ」
そのあからさまな態度にヒュンケルは苦笑し、ベットの端に座るとポップの髪を優しく撫でてやった。
「また明日」そう告げると、ゆっくりと立ち上がり静かに部屋を出ていった。
一人になったポップは、寝返りをうち仰向けになると、酒でぼんやりとした頭のまま天井を見た。
耳を澄ますと、遠くで教会の鐘の音が聞こえた。新しい年の訪れを告げる音。
ポップは、この音を聞くたびに、心の中で自分の歳を数える。
15の時ダイたちと出会い、16の時マァムにふられた。
18の時に行方不明だったダイを連れ戻し、今年はいろんな雑務に追われているうちに、もう年の瀬で次は20になる。
(今年もあと少しで終わる)
来年のこの日、自分は何をしているだろう? 一年後の自分の事はわからないけれど、こうして毎年同じことをしているということはきっと何も変わっていないに違いない。
―――いや、今までと違う、変わったことが一つだけあった。
ヒュンケルとの関係だ。少なくとも一年前は年の終わりを一緒に過ごすなんて思いもしなかった。
さっき自分の頭を撫でてきたヒュンケル思い出し、ポップは微笑んだ。
(あいつ、なんであんな顔すんのかな)
ヒュンケルは時々とても優しく、それでいて切ない目で自分を見る。初めて見た時は驚いたものだ。
その表情の意味を知りたいとずっと思っているけれど、なんとなく今まで聞けずにいる。
聞いてしまえば何かが変わってしまう――そんな気がしたからだ。それが怖かった。
自分の胸元にそっと手を当ててみる。
心臓がドキドキとしている。それはアルコールによるものなのか、それとも別の理由があるのかポップにはわからなかった。
寝室から戻ったヒュンケルは、テーブルの上に散らばった食器やグラスを片付ける。
ポップは、たまに一緒に酒を飲むといつもこうだった。
いつも以上に、よくしゃべり、よく笑う。そうして最後には酔いつぶれて寝てしまうのだが……不思議と悪い気分ではなかった。
椅子の上に放り投げられていたポップの上着を見つけ、片付けようとした手にした時、ふわりとポップの匂いが鼻先をかすめた。
(……っ)
とたん心臓が大きく跳ね上がる。
先ほど抱き上げた時の体の熱さや重み、そして柔らかな感触が鮮明に蘇り、思わず目を伏せた。
これは――この感情は本当に一体何なのだろう。
ポップに触れたいと、抱きしめたいと思う。
「ポップ」
小さな声でその名を呼んだ。
「ポップ」
もう一度その名前を呼ぶ。
「ポップ……」
今度は少し大きな声が出た。
「……ポップ」
何度も名前を呼び、ヒュンケルは気付いた。
「……ポップ……ポップ……」
ポップの名前を口にするたび、鼓動が激しくなる。
ヒュンケルは眉間にシワを寄せた。
なぜだか泣き出したくなるような衝動に襲われ、胸元のシャツをぎゅっと握りしめると、ヒュンケルは深く息を吐いた。
(……オレは……)
どうしてしまったのだろうか。
こんな気持ちは初めてだ。
自分の中の刺がどんどん大きくなっていくのを感じている。
この感情は危険だ。だが、その反面、もっと知りたいという欲求が無視できないほど大きく膨らんでいるのをヒュンケルは感じていた。
ヒュンケルは上着を丁寧にハンガーにかけ、再びポップの元へと向かった。
ポップはベットの上で静かな寝息を立てていた。
ヒュンケルは、ポップの傍らに腰を下ろした。
「ポップ」
小さく名前を呼んでみる。返事はない。
ヒュンケルはポップの頬に触れた。柔らかい肌。指先でそっと撫でると、ポップの目蓋が小さく震え、ゆっくりと持ち上がった。
「……ヒュンケル?」
ぼんやりとした口調で言うと、ヒュンケルの顔をじっと見つめた。
「大丈夫か?」
ヒュンケルの言葉にポップは小さくうなずきながら、両手を伸ばしてきた。
「ポップ?」
その意図がわからずにいると、ポップはヒュンケルの首の後ろに手を回し、ぐいっとその体を引き寄せた。
「お、おい」
ポップの顔が目の前にある。
「おまえ、寝ぼけてるのか」
「……」
ポップは何も言わず、ただヒュンケルの体を強く抱きしめた。
ヒュンケルは戸惑いながらポップの背に腕を回す。
互いの体温を感じる。それがとても心地よいと思った。ポップの体は温かかった。まるで子供のように高い体温。
ヒュンケルはポップの肩口に顔を埋める。
「……ヒュンケル」
ポップはヒュンケルの髪を撫でた。
「……おれさ、お前と一緒に年越しできてよかったよ」
ヒュンケルは黙って聞いていた。
「来年も一緒に年越そうぜ」
ポップは笑って言った。
「ああ、そうだな」
ヒュンケルが静かに答えると、それきりポップは黙り込み二人の間に沈黙が流れた。
しばらくするとポップの規則正しい呼吸音が聞こえ、やがて腕から力が抜けた。
「ポップ?眠ったのか」
その問いに答えはなく、ヒュンケルはポップの髪に顔を埋めると背中に回した手に力を込めた。
もうポップに対して抱くこの感情が何なのかは明白だった。自覚した途端、前よりもっと強く、激しく、ポップに対する想いが溢れてくる。
もっと触れたいと思った。抱きしめて、キスをして――それ以上の事も。
しかし、同時に怖くなった。
今の関係が崩れてしまうことが恐ろしかった。ポップを失いたくない。
ヒュンケルは、ポップの耳元に唇を寄せた。「好きだ……ポップ」
届くことのない告白。
この想いは胸に秘めておかなければならないと思った。
きっとこの想いはポップを傷つけてしまう。
だから告げない。
ヒュンケルは起こさないようポップの体を寝かせ、そっと立ち上がると静かに部屋を出た。
廊下に出ると、窓の外にはまた雪が降っていた。
その白い結晶を見ながらしばらくの間、ヒュンケルはその場に佇んでいた。