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    塩昆布

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    塩昆布

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    主祖五夏。
    『スイカ~』とから十年経った二人。
    節分デートしてるだけ。

    #2423_今夜帳の中

    湯豆腐とラーメンとセックスと 湯豆腐が食べたい。五条家の本宅の離れの広縁から箱庭にちょこんと鎮座する雪化粧を纏った角丸の四角い蹲を見ていると、無性に食べたくなったのだ。鰹と昆布のシンプルな出汁に浸かった真っ白な豆腐。酢橘の爽やかな酸味が利いたポン酢と七味唐辛子とネギだけの、これまたシンプルな味付けと薬味で食べたいのだ。想像するだけでお腹が空く。ぐぅ、と腹が鳴った。直綴の袖を捲り腕時計を見れば、午後五時三十四分を指している。通りで外が薄らと暗くなっているはずだ。ぐぅぅぅと、今度はより大きく、長めに腹が鳴った。夕飯まではまだ時間がある。さて、どうしたものか。
    「そういえば…」
     こちらへ訪れる前、呪術高専の京都校へ立ち寄った際に三輪から飴玉を貰ったことを思い出した。たまたま岡山での任務があり、ついでにと京都校から呪具を使った体術の講義を頼まれたのだ。袂を探ると、個装された飴玉が三つ出てきた。二つを再び袂へと戻し、手のひらに残した一つの封を切る。薄い琥珀色の鞠のような形の飴を口へと放り込んだ。生姜の辛みと水飴の甘さがバランス良く、何とも口の中がスッキリとする。
    「何、食べてんの?」
     白い羽織と指貫袴を着た悟が後ろから抱きついてきた。
    「わっ。ちょっとびっくりさせないでよ」
     よくあることではあるが、気配を消したまま瞬時に移動してこられてはこちらも肝が冷えてしまう。振り返ると鼻の頭を赤らめた悟が、咎められたにも関わらず笑うばかりで反省はしていないようだった。
    「仕方ないな…。その鼻、どうしたの? 無下限、張らなかったの?」
    「ちょっと冬の空気を感じたくて」
    「それなら、その薄着じゃ寒かっただろ?」
    「だから、暖めて」
     さらに密着するように姿勢を変えて抱きついてくるものだから、悟のふわふわした髪が頬に触れてくすぐったい。じわりと背中に悟の体温を感じて、私まで心地が良かった。
    「生姜の匂いがする」
    「これ」
     口を開けて舌の上に乗った飴を見せると、そのままキスをされて、器用な舌で飴を奪い取って行った。
    「まだ食べてたのに」
    「傑にしては珍しいね、飴舐めてんの」
    「乾燥で喉が痛いって言ったら、三輪がくれたんだよ」
     悟はふーんと言いながら私の顎を持ち、下へ引っ張り口を開けさせられた。
    「えー…」
     再びキスをされると、これまた器用に舌を使って飴を私の口内へ戻してきた。
    「自分が食べられないからって戻すなよ」
    「これ、辛い」
    「生姜なんだから仕方ないだろ。っていうか、分かってて食べたんだから自業自得だよ」
     悟は文句を言う代わりに、下唇を突き出してブー垂れている。
    「アラサーがそんな顔しても可愛くないよ」
     さらに頬を膨らませるという子供っぽい表情をしたかと思えば、「うるさい。黙れよ」と私の口を大人のキスで塞いできた。舌を絡ませ、上顎を舐められる。十代の頃から変わらない手順なのに、短くはない時間を掛けて丁寧に深く快感を刻み込まれたおかげで条件反射で身体が疼いてしまう。このまま流されてもいいかな、なんて思っていたら、外から雅楽と子供の声、女性のアナウンスの声が聞こえ始めた。
    「追儺式、始まったな」
     私が外に向けて耳をそばだてているのに気づいた悟が口を離して教えてくれた。
     五条邸は市内の東側にある低山(というより、もはや丘)の山頂にある。麓近くには平安の頃から続く神社があり、五条家が金銭的にも援助をしているらしかった。今日は節分の神事を行っているようで賑やかしい。
    「鬼遣らいだね。私、見たことないから見たいんだけど」
    「いいけど…、人多いぞ」
    「もう大丈夫だよ。あの頃から何年経ってると思うのさ」
     高専三年生の時に一度、道を踏み外しそうになったことがある。ど田舎の閉鎖的な村で幼い術師が非術師から虐待されている現場に居合わせてしまい、怒りに任せて村民すべてを皆殺しにしそうになったのだ。いや、怒りに飲まれたわけじゃない。それまでも消費され続ける術師と呪霊を生み出す非術師の関係に反吐が出るほどに辟易していたのだ。それに呪霊玉は不味いし心身ともに疲労困憊、とにかく疲れていた。全部壊してしまえ。理性がぶっ壊れて心の声のままに行動へ移そうとした時、悟が止めてくれたのだ。ただ無言で暴れる私を後ろから抱き込んで、止めてくれたのだ。怒りの奔流も時間が過ぎれば凪いでいく。
    「殺す以外の方法はきっとある」
     私の考えなどお見通しだったのだろう。悟は現状を変えていくことは出来ると小さな声で言ってくれたし、私もそうであって欲しいと頷くしかなかった。
     その後、私はあの村で廃れていた寺を復興し住職に収まった。神仏などまったく信じていないが、虐げられ身寄りのない術師の子供たちの生活を支えるべく、養護施設を経営するには丁度良い〝箱〟だったのだ。とはいえ、それだけでは預かっている子供たちを食べさせていけないため、高専の非常勤講師やフリーランスの呪術師としても働いている。
     そうとはいえ、あの一件以来、しばらくの間は非術師を苦手としていた。悟が心配するように今でも人混みを好んではいないが、昔ほど嫌悪感はなくなっている。だから大丈夫だと、悟の手を握った。
    「さ、早く行かないと終わっちゃうよ」
    「この格好だと目立つから、着替えて行こうぜ」
     悟は立ち上がると、握ったままの私の手を引っ張り上げて立たせた。
    「高専のジャージしか持って来てないんだけど。悟、服貸して」
    「ハイハイ」
     手を繋いだまま、二人でクローゼットのある寝室へと向かい着替えることにした。

    *****

     悟と二人、神社の参道を並んで歩く。両サイドには露店が並び、地元の人たちで賑わっていた。物凄い人いきれで、息が詰まりそうになる。
    「こっち、寄ろう」
     私が苦虫を噛み潰したような顔をしていたためか、悟が人混みを避けるように端へと誘導してくれた。そして少しだけ袖を摘んで無下限の内に入れてくれた。
    「ありがとう」
     大きく深呼吸して、新鮮な空気を体内に取り入れていく。
    「無下限って、まるで空気清浄機だね」
    「どういうこと?」
    「まんまだよ。この中は空気が澄んでる」
    「まあ、粒子レベルで遮断出来るからね。そういう使い方もアリか」
    「あとはマイナスイオンでも出れば完璧」
    「それは僕の存在自体が癒やし効果だし、問題ないでしょ」
    「……、歌姫先輩や硝子が聞いたらウゲェって吐きそうだね」
     にんまりと笑う悟の顔は憎たらしいったらない。冗談なのか、ムカつかせているのか。こういう子供っぽいところが好ましいのだから私の目も腐っているな、と苦笑いしてしまう。
     掴まれた袖を引っ張られ、互いの腕が触れ合うまで距離を詰めると、歩幅を合わせて歩いて行く。鳥居を潜り階段を昇り切ると、本宮の前で殿上人が矢を放っているところだった。歓声が沸き起こるとともに、鬼たちが退散していく。
    「少し遅かったな。鬼退治、終わってる」
    「残念。もう少し、鬼見たかったな」
    「あんな作りモンよりエグいのいつも見てんじゃん」
    「そうだけどさ」
     厄除けの祭事にも関わらず漂っている低級呪霊を指先で祓いながら、動き出した人の流れに乗って私たちも歩き出した。
    「あ、あれ何?」
     境内の一角を占める小屋に人だかりが出来ていた。
    「あぁ、福豆だよ」
    「節分だから?」
    「そう。で、福豆買ったら抽選券が付いてくんだけど、それが当たれば豪華賞品がもらえるってやつだよ」
    「宝くじみたいなもんだね」
    「そっ。買う?」
     どうせならと一袋三百円の福豆を互いに一つずつ購入した。販売をしている巫女の後ろには、家電製品や食品、旅行券、一番の当たりであろう車の名前が書かれた張り紙まであった。
    「抽選結果っていつ発表されるの?」
    「八日だったかな? ホームページとか地元の新聞に当選番号が出るはず」
    「態々、こっちに来なくても分かるんだ」
    「別に態々、こっちに来て僕ん家に泊まってくれてもいいんだけど」
    「本家に寄らないでいいなら」
     五条家にとって招かれざる客である自覚はある。男で、世継ぎを産めない自分のことを良く思っているはずがなく、それでも悟の恋人であると周知されてはいるため出入りを許されているだけだ。悟は私の返答に少しだけ悲しげな顔を見せたが、「屋台で何か買って食べようぜ」といつものやんちゃそうな笑顔に戻った。ちょっと嫌味が過ぎたか。困らせるつもりも悲しませるつもりもないが、心の底では現状を僻んでいる自分がいるのも確かだ。小さく「ゴメン」と呟くと、悟はしっかりと目を合わせて優しく笑ってくれた。そんなに甘やかすなよ。そう口に出すのが何だか恥ずかしくて、言葉を飲み込んだ。


     参拝を終えて、本宮から階段を降り切ったところで「湯どうふ」と書かれた看板を掲げたテントが見えた。
    「悟、あれ食べたい」
     先ほどまでの空腹を思い出した途端、またしてもぐぅとお腹が鳴った。悟にまで聞こえたのか、ニヤニヤとしている。
    「食欲オバケが湯豆腐ぐらいで足りんの?」
    「足りない。でも湯豆腐が食べたいんだよ」
     〝が〟の部分を強調しながら訴えると「分かった、分かった」と呆れている。嫌なら食うなとでも言ってやろうとしたら、悟がそそくさとテントの入口へと歩いて行った。
    「いらっしゃいませ。どちらにしましょう?」
     中年の店員が張り紙を指差している。【名物ゆどうふ】と【招福立春大吉ゆどうふ〜白味噌仕立て〜】。先ほどまではポン酢で食べたかったのに、白味噌仕立てにもそそられた。何とも悩ましい。どちらともを食べられるだけの胃の容量は十分あるが、他の屋台でも食べ歩きをしたいし…。
    「どうすんの?」
     そうか。幸いにも悟がいる。
    「悟、普通の頼んでよ。私が白味噌の方を頼むから、食べ比べようよ」
    「別にいいよ」
    「じゃ、名物と大吉と一つずつお願いします」
     互いに財布から五百円玉を店員に渡して注文すると、隣の机から「こちらどうぞ」と発泡スチロールの容器に入った湯豆腐と割り箸を手渡された。
     テントの奥へと進むと、折りたたみ式の長机が前後に五台ずつ、二列並んでいた。列の間には石油ストーブが二基。満員ではないが、まずまずの客の入りようで、空いている席は真ん中ら辺の長机しかなかった。
    「いただきます」
     二人とも丁寧に手を合わせて挨拶すると、早速、湯豆腐に箸を付けた。白味噌仕立ての湯豆腐は、具は豆腐と九条ねぎのみ。まずはお汁から飲んでみる。美味い。昆布と鰹の出汁にほのかに甘い白味噌がまろやかで胃袋に染み渡っていく。豆腐の真ん中に箸を入れて、均等に二つに割る。箸で豆腐を挟み上げると、崩れることもなく口まで運べた。ちゃんと大豆の味がする。白味噌に負けない濃厚な豆腐だった。にっこりと笑みが零れてしまう。
    「美味い?」
    「うん。そっちは?」
     悟は笑顔のまま、自身の食べていた方の器をこちらに差し出してきた。私も代わりに白味噌の湯豆腐の入った器を悟へと渡した。さて、こちらはどんな味かな。半分に残されている豆腐をさらに半分にした。さっきは一口で食べてしまったが、食べたからこそ、一口で雑に食べてしまうには惜しい気持ちになったのだ。箸で掬い、豆腐を食べてみる。
    「うんっまい!!」
     さっぱりとしたポン酢が濃厚な豆腐の輪郭をハッキリとさせている。加えて九条ねぎも瑞々しくて甘くて味がしっかりとしている。白味噌仕立ても美味しかったが、私は断然、ポン酢の方が好ましかった。器を見れば、最後の一欠片。ああ、これを食べると終わってしまう。残念な気持ちになりながらも、湯豆腐を味わって食べた。隣では悟が楽しそうな笑顔を浮かべてこちらを見ている。
    「何?」
    「美味しかった?」
    「うん」
     悟は「そりゃ良かった」といつにも増して優しい笑顔を向けてきた。
    「何、その顔。だらしないよ」
     凄く照れ臭くて、つい難癖をつけてしまう。それなのに「傑が美味しそうに食べてるから嬉しいんだよ」なんて、恥ずかしげもなく悟が答えるもんだから、どんどん顔に熱が集まっていく。
    「嬉しいって…。そんなにいつも不味そうに食べてる?」
    「まぁ、普通の食事の時はそんなことないけどね。呪霊を取り込む時は、見てるこっちが辛くなるから」
     少しだけ苦しそうに笑っている。そんなに困らせていたのだろうか? そう顔に出ていたのか、悟が慌てて「傑は悪くないから」と言葉を重ねてきた。
    「僕が勝手に辛くなってるだけっ…て、それも傑の術式に対して失礼だな。ただ、恋人がしんどい思いしてるんなら、どうにかなんないかなとか、でも何も出来ないなとか……。要するに僕が一人でジタバタしてるだけ。うん……、傑は悪くないから」
     喋っているうちに、どんどんと声が小さくなっている。十代の頃には想像出来ないほど、周りに対して気を遣えるようになった悟の様子が可愛らしいやら嬉しいやらで、思わず笑ってしまった。
    「笑うなよ」
    「ゴメン。私も悟が当主になって、そっちに関しては何も手伝えないしバックアップもしてやれなくてって、そういう遣り切れ無さはあるよ。だからお互い様だ」
     高専の教師になった二年後、悟は家督を継いだ。御三家として総監部での仕事、教師としての仕事、特級術師としての仕事。悟は日々忙殺されている。それでも私との時間を大切にしてくれているのは分かったし、私もなるべく負担にならないようにと努めている。
     空になった容器を見つめながら私の言葉を聞いていた悟が、少しの間を置いて顔を上げた。
    「なぁ。一緒に暮らさね?」
    「今でも暮らしてるようなものだろ?」
     忙しいのは私も同じため、東京の家には互いの日常必需品が常備されており、必ずどちらかの家で寝食を共にするようにしている。半同棲のような状態に不満でもあるのだろうか。
    「そうなんだけど、そうじゃなくて。俺たち付き合い出して、そろそろ十年だろ? 養子縁組にはなっちゃうけど籍入れて、家族になりたいってこと。で、東京で新しく家買って、こっちはセカンドハウスとしてマンションを買うか借りたらいいかなって思ったわけだよ」
     一人称が僕から俺に変化している。それほど必死ということか。真剣さは伝わったし、悟の言う通り交際十年目は確かに節目になるかもしれない。こんな怪我も殉職率も高い職業で、呪術協会の年金制度があるでもなし、健康保険も三割負担の公的なもので労災も下りないだろう、福利厚生がボロボロな環境ではあるが、万が一に互いに何かあった時の決定権を伴侶として持ち得たいとは常々思っていた。それが社会の仕組みとして養子縁組しか手がないのなら、最強の術師とはいえ家族になるためにその仕組みに則るのは仕方がないことだ。……、というかこれって、
    「プロポーズ…」
    「そうだよ、プロポーズだよ!」
    「どんなタイミング…」
    「いや、俺だって考えたって。でも分かんなかったんだよ! 傑、別にサプライズとかムードとか気にしないタイプだろ?」
    「うん。むしろ、そんなことされたら引く」
    「だろ? そうなると、もうタイミングとかシチュエーションとか訳分かんなくなったんだよ。クリスマスはお互い仕事だったし、年末年始も俺は家のことやらなきゃだし、傑も美々子と菜々子や施設の奴らと正月旅行行ってたし。そうなると、もうお前の誕生日ぐらいしかタイミングないじゃんってなって。で、今日もずっっっっっと考えてたら、話の流れ的に今かなって。で、どうなんだよ。俺の籍に入ってくれんの? あ、俺がお前の籍に入った方がいい? 別に家は他のヤツに継いで貰ってもいいんだけど。今時、実力主義って時代でもないと思うんだよね。何やるにも金はいるし。俺じゃなくてもっと上手く立ち回れて経営に長けたヤツがやればいいんだよ」
     悟は一気に捲し立てると、はーっと息を整えている。私も同じように長く息を吐き出した。どう返事したものか。共に生きたい、法的にも家族になりたい。そうは思えど、ハイハイと二つ返事で決めていいものなのか。
    「傑、場所移そう」
     こちらが思案しているというのに、構わず立ち上がると互いの手元の空の器を重ねて、さっさと備え付けのゴミ箱へと入れている。慌てて、私も立ち上がり悟の後を追った。
    「え? 返事はいいの?」
    「良くないけど、聞くならここじゃない」
    「どこ行くの?」
     ぐぅぅぅ。珍しく悟の腹の虫が鳴った。
    「とりあえず腹を膨らませよう」
     悟は私の手を握ったまま歩き出した。テントを出て、出店の立ち並ぶ参道を早足で通り抜ける。大通りへ向かう途中で見たK大の時計台は、午後九時を報せていた。

     現代最強の術師とはいえ、どうにもならないことはある。節分会の影響なのか近隣の飲食店は軒並み行列が出来ており、入店出来ないでいた。ここらは複数の大学が点在しているため、飲食店は大衆向け、且つ学生向けで五条の名前など何の効力も持たない。地位も富もあれど、夕飯にありつけないとは何とも滑稽だ。空腹に耐えながら店を探し歩き、ようやく見つけたのは東京にもチェーン店舗を出すラーメン屋だった。
     派手な電飾で彩られた看板の下、自動ドアを開けるとむあっとした熱気と鶏ガラの濃い匂いに包まれた。カウンターだけの店内は、トイレの入口横の二席だけ空いている。
    「やっと食べれる」
     二人して安堵に肩を撫で下ろした。「すいません」とカウンターに並ぶ客の後ろを謝りながら通り、上着を脱いで着席する。二人で一つのメニュー表を見ながら、まずはテーブルに置かれているコップにピッチャーから水を注いだ。
    「なぁ。傑、唐揚げ頼まない? 俺、餃子頼むし分けっこしよう」
     〝分けっこ〟というフレーズに思わず、口角が上がってしまった。時折、悟は可愛らしく幼い言葉を使う時がある。それは十代の頃から変わらない。一人称の〝俺〟と同じで育ち方を伺い知れる素の部分だと感じてしまい、心を許してくれているのだと私も嬉しくなってしまう。
    「いいよ。じゃ私は唐揚げのセットにするね。あ、すみませーん!」
     店員を呼び、ラーメンとキムチチャーハとン唐揚げのセット、ラーメンとチャーハンと餃子のセットを頼んだ。
    「やっとご飯にありつけるね」
     店内に漂うスープとラードの匂いに胃が刺激されて、限界を訴えている。
    「どこも満杯だもんなぁ…。席、空いてて良かった」
     スマートフォンの画面を見ると、もう午後十時近かった。水を一気に飲み終えると、再度、ピッチャーから水を注ぎ入れた。ふぅ、と落ち着いたところに早速、注文した料理が運ばれる。さすが人気チェーン店だけあって、料理を提供するまでのスピードが早い。
     目の前に置かれたラーメンは鶏ガラと野菜で白くこってりとしたスープで、キムチチャーハンからはキムチ特有のニンニクと魚介エキスの匂いがして食欲をそそった。
    「半分こ」
     悟の前に置かれたチャーハンの皿に唐揚げを二個置いた。
    「ありがとう」
     悟もまた餃子を三つほど唐揚げの皿へと置いてくれた。
    「いただきます」
     目の前で手を合わせ、二人で声を合わせて本日二度目の夕食の挨拶をすると食べ始めた。私はラーメンを、悟はチャーハンからがっついていく。こってりとしたスープが麺によく絡み美味しい。見た目のようなしつこさは一切なく、むしろあっさりとして食べやすい。大きな口で二口目を啜ると、あっという間に三分の一ほどになってしまった。大盛りにすれば良かったかなと思いつつ、一旦、ラーメン鉢を置き、キムチチャーハンへと取りかかる。豚バラ肉の脂とキムチの相性は抜群で、これまた大きな口へ次から次へとレンゲを運んだ。
    「久々に食べたけど美味いな」
     悟もチャーハンをこれでもかと口に詰め込んでいる。
    「美味しいよね。ペロリだよ」
    「傑、足りんの?」
    「さすがに足りるよ。もう学生の頃みたいには食べれないし。っていうか、さっきから人のことを食欲魔神みたいに言ってんの失礼じゃない?」
    「魔神とは思ってないよ。オバケとは思ってるけど」
    「魔神とオバケってどう違うのさ」
    「かわいげ」
     なるほどとも同意しづらく答えに困ってしまった。それにオバケの方がかわいげがあったとして、それがどうしたというか何のこだわりなんだ?
    「意味分かんない」
    「僕も分かんない」
     ラーメンの麺を吸い込むのと同時に呟いたのにしっかりと悟の耳には届いていたらしく、間髪入れずに突っ込まれてしまった。その悟もラーメンの麺をズズーズズーズズーと勢いよく吸い込んでいる。なんじゃそりゃ。でも、この意味の無いくだらない会話はラーメン屋で話すのには最も相応しい。何だかおかしさと愛おしさが込み上げてきた。口元がだらしなくニンマリと歪むのを隠すように、ラーメン鉢を持ち上げてスープをズズズと三分の二ほどの啜った。

    「これからどうする?」
     最後の餃子を頬張りながら、悟に問いかけた。正直、餃子はそこまでだ。もちろん、値段相当、及第点を付けられるが記憶に残るような味ではなかった。
    「いや、それはこっちの台詞。傑の返事は?」
     うん? 何の返事だ? 悟と視線を合わせると、向こうも「うん?」と首を傾げている。
    「何か質問されてたっけ?」
    「質問っていうか、プロポーズのことだけど」
     なるほど。私の「これから」は家に帰るのかとかそういう類いの次の予定についてだったが、悟にとっての「これから」は二人の将来についてだったか。物凄い齟齬だ。というかプロポーズの返事を聞くのに、湯豆腐のテントは相応しくなくてラーメン屋は相応しいのだろうか。
    「で、どうなの?」
     再び問われ、ふーっと深呼吸をすると改めて二人の将来について考えてみた。二人での日常を想像してみたが、今と変わらないだろう。しかも二人で一カ所に住むのだから家賃の負担も今の半分だ。いっそ二人の愛の巣を購入してもいいかもしれない。特級術師の二人にはお金の心配は無いし、ちょっと片田舎に土地も買ってしまおうか。そして美々子と菜々子が帰省した際には泊まれる部屋はもちろん、硝子が訪ねてきても大丈夫なようにゲストルームも作って、硝子と七海のためにワインセラーも置いて、あ、キッチンは二人の身長に合わせた高さにオーダーメイドにしなければ。それと別に土間に竈を作ってもいいかも。白米が好きな灰原に羽釜で炊いたご飯を食べさせたい。あと、ガス乾燥機は絶対だな。それともどうせなら洗濯物を室内に干せるようにサンルームもいいかもしれない。風呂場の横にサンルームを作って、そこにはアイロン作業が出来るようなスペースも作って。……、そうなると隣に寝室とウォークインクローゼットも作って、乾いた洗濯物をスムーズに収納するような動線でもいいんじゃないかな。
    「傑くーん、戻ってきてー。僕を独りにしないでー」
     おーいと呼ばれて、思考の海から浮上した。
    「ねえ。悟は買うならマンションがいい? 私は一戸建てがいいと思うんだけど。都心に近い方が便利だけど、出張も多いし新幹線か空港までのアクセスがいいところなら地方でもいいかなって思うんだけど」
     先ほどと同じ角度で悟が「うん?」と首を傾げている。あ、まだ返事してない。先走ってしまった自分が恥ずかしい。えっと、と口を開こうとしたら、「僕は、」と悟に先を越されてしまった。
    「傑と一緒ならどこでもいいってのは大前提だけど、一軒家いいね。確かに場所は悩むな。東京なら品川辺りが妥当だろうけど、傑の言う通り、東京から完全に離れちゃうのも手だよな。品川以外で新幹線と空港の両方が近いとなると博多か大阪か神戸か」
     福岡はともかく、大阪か神戸はな…。うーん、それだと悟の実家と近過ぎるというか。御三家とも近過ぎるというか。ちょっと嫌だな。
    「いっそのこと、札幌! それか沖縄!」
     嫌なことが表情に出ていたのか、悟がおどけた口調で提案してきた。
    「極端だね。日本全国、出張に行くことを考えたら羽田が基点になるか…。やっぱり東京からは離れられないね」
    「まあ、僕もお前も東京校での仕事があるしね。それはいいけど、さっきの返事は?」
     コップに残っている水を一気に呷っているあたり、平静を装いつつも内心は緊張しているのかもしれない。空になったコップを両手で挟んで揉むように遊んで所在なさげにも見える。
    「いらっしゃいませぇ!! 今、満席なんで少しお待ち頂けますか?」
     カウンター越しに店員の威勢のいい声が聞こえた。出入口を見れば、数人の待ち客が並んでいる。ラーメン屋で長居は厳禁だな。
    「悟、出よう」
    「返事」
    「駄々こねない」
     悟はチッと舌打ちをすると財布から二千円を取り出して私に渡すと、渋々席から立ち上がった。
    「すみませーん!お会計お願いしまーす」
     店員に負けない大声で呼び、自分の財布からは千五百円を取り出して二人分を精算した。


     時間を追うごとに寒くなっているようだ。鼻や耳が痛い。
    「手、繋いでいい?」
     二十年来の付き合いだというのに、何とも初々しいお願いだ。ポケットから手を出すとギュッと握られて、悟のコートのポケットに一緒に仕舞われてしまった。温かい上に、自分という身体の輪郭を悟の呪力で包み込まれていくのが分かった。
    「無下限、ありがとう」
    「いえいえ、どういたしまして」
     大きな通りを逸れて、大学横の道を歩く。その道の方が五条邸には近道だからだ。大学が近いために単身用のハイツやマンションが建ち並ぶ路地はひっそりとしていて、ぽつん、ぽつんと街灯があるだけだった。雪が降りそうなシンとした空気の中で、軽口を叩く気にはなれない。二人無言なまま、ただ夜道を歩く。
    「なあ。いい加減、返事欲しいんだけど」
     悟が立ち止まったので、私も歩みを止めた。五条邸へと続く坂道の手前、神社への北側入り口にはすでに人気が無く、心音まで聞こえるのではないかと思えるほどの静寂だ。
    「……、私さ、ほぼ毎回セックスの最中に涙が出るでしょ」
    「はぐらかすなよ」
    「はぐらかしてないし、聞いて」
     少しだけムッとした表情を見せたものの、首肯すると大人しく黙った。
    「悟だけなんだよね、涙出るの」
    「………、うん。それって他のヤツともセックスしてるって告白か?」
    「馬鹿、そうじゃない。っていうか、元カノがいたの知ってるだろ? 仕方ないでしょ。悟と出会う前なんだから。そんな過去にまで焼き餅焼くなよ」
     不機嫌を全面に押し出した顔で無言で頷いている。
    「で、何が言いたいかっていうと、アレはオーガズムじゃなくて、悟への愛してるって気持ちがいっぱいいっぱいになって溢れ落ちる感じなんだよ。幸せとか優しい気持ちが心も身体も細胞も支配しちゃって、生きてる! って叫ぶ代わりに涙を流してるんだ」
    「……、うん。言いたいことは分かんだけど、それとは別に俺、セックス下手? オーガズムじゃないってことはイッてる振りしてるだけ?」
     悟が何とも悲しそうな顔をしたもんだから、慌てて「違うって」と否定した。
    「言葉のあや。ちゃんと感じてる。そうじゃなくて、いや、それだけじゃなくて、心が満たされてるから泣いてるって話なんだけど」
     黙って頷いているが、サングラス越しにも目に不信の色をまとっているのが分かるようだ。不用意に言葉にした自分の落ち度だけに、仕方ないか。
    「もう、そんな顔するなよ。分かったから。あとで確かめたらいいだろ?」
    「どうやって?」
    「生で挿入したら、より分かるだろ?」
     静か過ぎて、どんなにボリュームを絞っても声が響いている気がする。内容が内容だけに恥ずかしくなってきた。
    「明日、休みだよな?」
     軽く頷くと「よっし!!」とガッツポーズをしている。そんなに喜ぶことだろうかと思ったが、そう言えばセックス自体が二ヶ月ぶりだなと思うと私自身も行為を期待してしまった。
    「離れ、人払いしとくから。生とか久々過ぎて、どういうテンションでいたらいいか分かんないんだけど。やばい。想像するだけで勃ちそう。早く帰ろう」
     高校生のような張り切り方をする悟は、ポケットの中の私の手を力強く握った。そして家へと続く階段を登ろうとしたので、「ちょっと待て」と制止した。
    「何?」
    「ちゃんと返事してない」
     悟は間抜けな顔で「あっ」と言った。サングラスの黒いレンズと口の配置が『もののけ姫』の木霊に似ている気がした。そんな抜けた顔も可愛いと思えるのだから、私も大概浮かれている。
    「で、返事は?」
    「これから死ぬまで、よろしくお願いします」
    「嬉しいけど、死ぬとか言うなよ」
     生粋の呪術師で自分の生死すらも神様みたいな視点で達観しているくせに。私には“死”という言葉すら、下唇を突き出して不満を言う。悟の中で私が自分とは別の人間として存在していると、まざまざと思い知らされた気分だ。
    「言葉のあや。分かった。これから先、二人で生きて生きて生き切ろう」
    「今日、言葉のあや、多くない?」
    「悟と一緒だからじゃない?」
    「俺のせいにすんの?」
    「そう。気を張らずにリラックスしてるから、頭を使わないで反射で喋ってるのかも」
     またしてもポケットの中で手を悟にぎゅうぎゅうと握られた。顔を見れば、へにょへにょな笑顔になっている。顔も手も「嬉しいです」と伝えてくるようだ。超がつくほどの絶世の美男子が台無しだが、私だけが知る悟はこれでいい。思わず、私の口角も上がった。
    「で、悟の返事は?」
     ポケットから手を出すと、両腕を回して力いっぱい抱きついてきた。私の肩へ頭をグリグリと押し付けている。
    「何?」
    「傑の涙と一緒。ずっとお前に引っ付いていたいのに、嬉しくてじっとしてらんない。もう生理現象みたいなもんだよ。……、傑も身体で確かめてよ。俺がどんだけお前を愛してるか」
    「いっぱい泣かせてよ」
     まだ顔を埋めたままの悟からくぐもった声で「愛してる」と聞こえた。
    「私も愛してる」
     私も悟の背中に手を回して、力の限り抱き締め返した。
    「痛い、痛いって!」
     生徒たちにゴリラと揶揄されるほどのフィジカルだ。悟相手に手加減なんてしていない。そりゃ痛いだろう。ようやく離れた悟が「馬鹿力」と文句を言う。
    「褒め言葉、ありがとう」
     片眉を上げて、にっこりと笑うと、悟はまたしても下唇を突き出して「どーいたしましてー」と不満げに答えた。その様子が可笑しくて、もっと笑みを深くしてしまう。
    「さ、帰ろう。身体冷えちゃった」
     悟が一層、目を大きくすると、何かを思いついたのかニタリといやらしい笑顔を浮かべた。
    「俺が芯から温めてドロドロにしてやるよ」
     私の腹あたりを手でさすってきた。セックスで温めてやるってことか。
    「悟もオジサンになっちゃったんだね…」
    「お前もオジサンだろうが」
    「人の振り見て我が振り直せ。私も気をつけないとね。帰ろ、帰ろ」
     ひとり階段を登って行くと、悟が肩に腕を回してきた。隣から頬へとキスを落としてくる。お返しに私も悟の頬にキスをする。また悟がキスする。そうやって離れの門戸に着くまでキスを繰り返した。 
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    塩昆布

    DOODLE主祖五夏。
    『スイカ~』とから十年経った二人。
    節分デートしてるだけ。
    湯豆腐とラーメンとセックスと 湯豆腐が食べたい。五条家の本宅の離れの広縁から箱庭にちょこんと鎮座する雪化粧を纏った角丸の四角い蹲を見ていると、無性に食べたくなったのだ。鰹と昆布のシンプルな出汁に浸かった真っ白な豆腐。酢橘の爽やかな酸味が利いたポン酢と七味唐辛子とネギだけの、これまたシンプルな味付けと薬味で食べたいのだ。想像するだけでお腹が空く。ぐぅ、と腹が鳴った。直綴の袖を捲り腕時計を見れば、午後五時三十四分を指している。通りで外が薄らと暗くなっているはずだ。ぐぅぅぅと、今度はより大きく、長めに腹が鳴った。夕飯まではまだ時間がある。さて、どうしたものか。
    「そういえば…」
     こちらへ訪れる前、呪術高専の京都校へ立ち寄った際に三輪から飴玉を貰ったことを思い出した。たまたま岡山での任務があり、ついでにと京都校から呪具を使った体術の講義を頼まれたのだ。袂を探ると、個装された飴玉が三つ出てきた。二つを再び袂へと戻し、手のひらに残した一つの封を切る。薄い琥珀色の鞠のような形の飴を口へと放り込んだ。生姜の辛みと水飴の甘さがバランス良く、何とも口の中がスッキリとする。
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    「そういえば…」
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