「龍之介!」
「虎於ちゃん?」
とある局のTRIGGER楽屋前、収録も挨拶も終え出てきた龍之介を呼び止めたのは虎於だった。控えめに手を振り毎日手入れを欠かさない長く美しい自慢の髪を靡かせながらとたとたと駆け寄ってくる彼女はなんだか妹を思い出す。おにぃ!まって!と龍之介の背中を追いかけていた故郷の家族は元気だろうか、と虎於を見る度に龍之介はそう思っていた。妹みたいでかかわいい虎於、龍之介に懐いてくれていてつい世話を焼きたくなってしまうし構ってあげたくなる。龍之介の後輩の中でも特に可愛い他の誰よりも世話を妬いてしまうのが虎於だった。
「龍之介!いまから帰りか?」
「そうだよ、ちょうど帰りの挨拶を済ませてたから帰るところ。」
そうか!と嬉しそうに虎於がふわりとほほ笑む。その柔らかく可愛らしい笑みにきゅんと龍之介の心は締め付けられる。かわいいはもちろんそんな虎於を守りたいそうも思う気持ちと自分だけのもの俺だけに向けて欲しいとも思った。この気持ちの、この感情の正体に気づいてはいたが龍之介は気付かぬふりをした。相手は妹のように可愛がっている後輩なのだ、そんな彼女にこんな黒くて重たい感情をぶつけられなかった。たくさんのファンや素敵な仲間がいるのに自分だけにだなんて、自分のことを慕ってくれてる虎於の前では優しい良い先輩でいようとした。
「あ、今日車で来てるから送っていくよ」
「ありがとう、…っ龍之介、良かったらこの後…」
「ぁあ!御堂さん!」
何か言いたげな虎於の言葉を遮って声をかけてきたのは最近人気急上昇中の新人アイドル。九条天とはまた違う甘いルックスと優しい物語に出てくるような王子様みたいな彼に虜になる女の子が大勢いた。彼は礼儀正しく龍之介含め色んな先輩アイドルたちが可愛がっていた。
「あ!十さんもお疲れ様です。あの、御堂さん、さっきはありがとうございました!御堂さんがフォローしてくれたおかげで助かりました!」
「そんな、礼を言われるほどのことはしてないよ」
「? ……なにかあったかい?」
「はい…収録でMCの方に答えにくいことを質問されて困っていた所を御堂さんがフォローしてくれたんです。」
「あの人は芸歴だけの奴だよ、それだけで偉そうにして……他のアイドルにパワハラやセクハラをする奴に私もイラついてたから」
ふん、と髪を手で翻し虎於は不満そうに愚痴を零す。虎於ちゃんは何もされてない?と聞くと当たり前だと返してきた。芸能界の中でいい噂を聞かない長くこの世界にいる男性芸能人、その男性芸能人は若手をいじめるのが趣味なのか収録でも生放送でも回答しにくい事ばかりをよく質問としてると龍之介も良くないことを聞いてきていた。そして若い女性アイドルには手を出している噂もあった。そんな彼を今日虎於が言い負かしたという。誰にも負けじと対抗し己を貫く彼女はかっこよく美しい虎於に龍之介はヒヤヒヤしてしていた。今回は何ともなかったがもし何かあり虎於が泣かされることや襲われることがあったら、自分のいない所では守ってやれない。と思っていた。
「あの、お礼と言ってなんですが…お食事行きませんか?もちろんご馳走させて頂きます!」
「…ふふ、そんな礼を言われるような事じゃないのに」
お礼を兼ねてと食事に誘われる虎於は照れくさそうにも優しくほほ笑んだ。先程まで龍之介に向けられていた笑みはいまはもう龍之介ではなく目の前の違う男に向けられていた。
(その笑顔は俺だけのものなのに、)
そのとき、龍之介の中にあった龍之介自身が目を背けていた真っ黒な感情が爆発した。閉じ込めていた感情は抑えられなかった。
「っ、龍之介?!」
虎於の華奢な肩を抱き寄せ腕時計を見るふりし状況が分からず驚く虎於をそのままに声をかける。抱き寄せた虎からはサボンの、虎於の香りがした。
「っ、虎於ちゃん!この後、急がないと」
「ぇ?」
「あっ、と…今日は俺と食事に行こうって言ってたよね?予約してるから急がないと!」
「ぇ、うん…?」
「じゃぁ!俺たち先に行くね、もしまた困ったことあったらなんでも行って、俺で良かったら相談乗るからね!」
そういい返事も聞かず彼1人をその場に残し龍之介は戸惑い続ける虎於の腰を引き足早にその場を去った。
約束なんてしてなのに、もちろん予約だってしていない。その場でついた嘘だ。なんで嘘をついたんだろう、そんなこと本当は分かりきっていた。2人っきりにさせたくなかった、自分以外の男に微笑んでほしくなかった。俺だけに笑ってほしかった、それだけだ。
駐車場に着きどうぞ、と助っ席の扉を開け頭をぶつけないようにと虎於をエスコートする。バタンと扉を閉めて龍之介も運転席へ乗り込んだ。車内では少しのあいだ2人に沈黙が流れる。
連れてきたはいいけどどうしようか、驚いてるだろうな。もしかしたら虎於は先程の彼と食事に行きたかったのかもしれない。
「…龍之介、」
「、ごめんね!いきなり連れてきちゃったりして!びっくりしたよね!ちゃんと家まで送るから、」
「ふふ、あははっ」
戸惑ってる龍之介を虎於は笑った。
あ、その笑顔だ。俺だけに向けてくれる無邪気で可愛い、守りたくて俺だけに笑っててほしい、あの笑顔。
虎於から龍之介は目が離せなかった。
「私が彼と食事に行くと思ったか?」
「ぇ…うん。連れてきちゃったけど本当は彼と食事に行きたかったのかと思って……」
「思ってないよ、龍之介と行きたいんだ」
「…ほんとに?」
「そうだよ、最初から龍之介を誘おうと思ってた。」
「龍之介、この後私と過ごさないか?」
「っ、もちろんだよ。虎於ちゃんに最高の夜をプレゼントするね」
それは楽しみだ、とまた虎於は微笑んだ。その笑顔は龍之介だけの、龍之介にしか向けられない最高の笑みにだった。