春日本は世界でも珍しい春夏秋冬がハッキリとしている国である。
これは様々な植物が芽吹き始めた心地の良い春のお話。
暖かな陽の光が射し込むある日
「乙和、ちょっと出かけない?」
それは同居人からの珍しいお誘いだった。
「…うん」
普段はあそこに行きたい、ここに行きたいと駄々をごねる乙和と何だかんだ言いながらも渋々付き合うノアの関係性。だからノアからのお誘いというのは珍しく誘われた乙和も二つ返事で引き受けながらも驚きから返答までに多少の時間を費やし、答えた後もまだキョトン、ポカンとしていた。
「…えいっ」
そんな困惑する乙和にノアは軽くペチンと一叩き、叩かれた乙和はハッとしながらも抗議する。
「痛っ!?えっ!?何で今叩いたの!?」
「いつまでもボーッとしてるからでしょ、ほら早く準備してほらほらほら」
「えっ?えっえっ、いやいやちょっとノア!?」
まるで普段と立場が逆転、ノアがこうしてグイグイ来るのも珍しく果たしてこのノアは本当に知っているノアなのかと不安を覚えてしまう乙和、そんな考えすらも見通しているのかノアは再び一つペチン
「ま、待ってって!?分かったから、分かったから叩かなくても!?あぁ!?」
自室へ押し込められた乙和と既に準備を済ませて今か今かと玄関でソワソワしているノア。あまりにも唐突、そして普段とは違うノアに戸惑いながらも誘われている以上はいつまでも待たせるわけにはいかないと急いで準備を始める。
「財布、スマホも持った…うん良し」
「乙和ー、まだー?」
「ごめんってノア!!ほら行こう!!」
家から出ると暖かな風にのって桜の花びらが舞っていた。隣を歩くノアの表情はとても穏やかな微笑みを浮かべていてかわいいよりも綺麗だった。
「………」
「乙和、そんな見ないでよ…流石に恥ずかしいから」
「あっ、ご、ごめん!?」
一緒に居続けて来たはずなのにまだまだノアの知らないことはあるみたいで少しドキドキしている乙和。歩いてしばらくして辿り着いたのはノアの実家、和菓子屋だった。
「ちょっと待ってて」
「え?一緒に行かなくていいの?」
「うん、そんな時間掛からないし待たせるつもりもないから」
そう言うとノアは乙和を置いて店の中に入っていった。だが時間にして分あったかどうかというぐらいですぐに出てきたノア、その手にはちょっとした重箱があった。
「行こう」
「う、うん」
特に何をしていたのかを答えないノアだが、乙和はも乙和で何でもかんでも聞くのは野暮かと思いあえて黙ることにした。
着いたのは最寄りの駅、ICカードを使って電車で数駅先へ移動。再び歩いて辿り着いたのは桜が満開の公園だった。
「綺麗…」
「乙和、置いてくよ」
「あ、待って!」
公園に入ってから少し外れた人通りのあまり無い場所に着くと徐ろにシートを敷いて水筒や重箱を広げて置き始めた。
「もしかして…」
ここに来て乙和はある事が頭に過ぎった。それは遡ること数週間前だ。
〜数週間前〜
「何を熱心に見てるの?」
「ノア、桜の名所スポットを見てるんだ」
「へぇ?乙和がそんなのを見てるなんて、どちらかといえば春のスイーツとかそっちだと思ってたんだけど?」
「バカにしないでよね!?乙和ちゃんだって日本の四季を大切に感じるジャパニーズピーポーなんだよ!?」
「うわぁ、ピーポーって何か発音からして怪しいというか…」
「もぉぉぉ!!からかうならあっち行って!!」
「ごめんって、ちなみに乙和はどんなところがいいの?」
「うーん…それこそ有名所とか行きたいよ?例えば五稜郭とか弘前城とかあと吉野桜とかも有名なんでしょ?」
「全部その本に書いてある場所ね、でも有名所はどこも遠いじゃない。近場は?」
「別に近場でも良いよ?行くならノアと行きたいし」
「私と?」
「ノアの手作り和菓子とお茶でまったり静かにお花見って良くない?」
「…乙和と一緒だとまったりも静かにも出来ないかもね」
「またそういうこと言う!!」
〜数日後〜
「違う、多分乙和だったらこれよりも…」
「うん、桜の葉っぱも良い具合に味が染みてるしあとは…」
「折角だしこういうのも…」
「これで良し…と」
〜現在〜
「…もしかしてノア」
「どうかしらね?」
口ではそんなことを言いながらも重箱の中にはやはり様々な和菓子が詰め込まれていた。中には一風変わったものも含まれている。
「えっ、クレープ!?」
鮮やかな薄いピンクの生地に包まれているのはカットいちごとつぶあん、そして乙和が驚くようにその包まれ方はまさにクレープの包まれ方だった。
「クレープ風の桜餅よ、こういうの好きでしょ?」
ノアの問い掛けに対して乙和は目をキラキラさせながら首を縦に何度も何度も振っていた。ノアの美味しそうな手作り和菓子が待ちきれないのか視線はお菓子一点に身体を左右に揺らしている。
「はい、お茶。好きなのどれでも取っていいわよ」
「いただきまーす!」
ノアからの許可も出て早速乙和はクレープ風桜餅に手を伸ばした。口いっぱいに頬張りながらもじっくりじっくりと味わう乙和
「こら乙和!そんな口いっぱい頬張らないの!」
と普段のノアならば言うだろうがこの日はどこか神妙な面持ちで乙和をジッと見ていた。
「ーッ!美味しーい!!」
一口、また一口と食べ進めていく乙和は食べるたびに表情をほころばせる。
「いっぱいあるし私は取らないからゆっくり食べなさい」
「本当!?ありがとう!」
乙和からの満面の笑みと感想が出た瞬間、ようやく表情は緩みホッと安堵した。実はまさに乙和の口からこの言葉を聞くまでノアは不安だった。
折角作った乙和の為の和菓子が口に合わなければ今までの頑張りが無駄になりかねくなるだけでなく、今までずっと居ておきながら乙和の事を何も知らないという自責の念に覆われかねなかったからだ。
そんな不安も杞憂に終わった今、ノアはいつものように乙和の世話をする。口にあんこをつけていれば取ってあげてお茶を欲しがれば淹れてあげる。
普段は何だかんだありながらも結局は乙和の事を誰よりも大切に思っているし、誰よりも守ってあげたいと思っていた。だからこそこうして乙和が喜んでくれていることがノアにとっては幸せの一つだった。
「あ、桜…」
時より吹いてくる風で近くの桜の木からヒラヒラと舞い落ちてくる花びら、乙和のお茶の中に静かに入った。
「なんかさ、こういうのもまた一つの風流ってやつなんだよね」
「へぇ、風流なんて分かるんだ」
「ちょっと!私は四季を愛する乙和ちゃんなんだよ!?風流ぐらい分かるよ!!」
「夏の風流は?」
「海辺でスイカ割り!かき氷!!」
「秋の風流は?」
「落ち葉で焼き芋!松茸にサンマの塩焼き!」
「冬」
「こたつで雪見だいふく!!」
「風流じゃなくてただ季節感での好きな食べ物を食べるシチュエーションじゃない」
「ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
ノアに呆れ顔で笑われる乙和はすぐにバカにされてると気付き、ポコポコと叩く。当然ながら本気で叩いてるわけもなく痛くも何ともないじゃれ合いだ。
楽しく陽気な春の一日はまだまだ続く。