心霊写真夜道を危なっかしく歩く男が、往来の激しい車道へふらふらと吸い寄せられていくものだから、俺は咄嗟に男の腕を強く引いた。目の前を大型のダンプが通り過ぎ、その風圧で前髪が揺れた。
「酔っ払ってるのかよ、あんた」
男が振り返る。そうして俺を見るや、まるで幽霊にでも会ったみたいに、目をまんまるに見開いた。
「大丈夫かよ。ここから一人で、帰れるか」
俺の質問に、男は無理だと返した。なら警察に。それも嫌だ。俺の提案は食い気味に拒否される。
「仕方がないから、俺の家に来るか」
咄嗟にそんなことを口走った自分自身に驚く。見ず知らずの人間を家に招くなど、普段であればまず考えもしないことだ。けれど今はなぜか、目の前の男を助けてやることが、もっとも自然な行動に思えた。
俺の問いかけに、男はこくりと一つ、頷いた。
男は白石由竹と名乗ったので、俺は杉元佐一だと応じた。
「知ってるぜ。杉元」
「どこかで会ったことがあるか?」
「むかーし、会った。お前は忘れちゃったみたいだけど」
「そうだったのか。悪い」
「いいんだよ。あんなに古い記憶、覚えてる俺が変なんだ」
白石はそう言ってくれるけれど、俺は後ろめたい。覚えていないものは仕方がないけど、次からは気をつけて意識しよう。
近くにある自宅までは、少し歩いてすぐに到着した。部屋に入るなり、白石は奇妙なことを言い出す。
「俺は本当は妖怪なんだよ。それか幽霊。でも死んだ記憶はないから、自分ではやっぱり妖怪とか、化け物の類だと思ってるんだ」
しまった、変な奴だった。こんなやつを気安く招いてしまったことを後悔する。
「まだ酔ってるんだろ、白石。そうだよな?」
「いいや。悪いけどシラフ」
「なおのこと、タチが悪い」
頭を抱える俺を見て、信じてないだろ、と白石が拗ねたように言う。
「証拠ならあるよ。杉元、スマホ持ってる?」
「ガラケーならある」
折り畳み式の携帯電話を取り出す。まだこんなの使ってるのかよ、信じらんねぇ、化石じゃん。そりゃあ散々にこき下ろされた。白石なんてスマホはおろか、ガラケーさえ持ってない癖に。よくそこまで、自分を棚上げできるものだ。
「なぁ、杉元。それってカメラ機能はついてるよな?」
「ついてるよ。なめんな」
「なめるっていうか、もはや心配の域なんだよなぁ。まぁいいや。それで俺のこと、撮ってみて」
「いいけど。はい、チーズ」
「その掛け声も久々に聞いたな」
いちいち、小うるさいこと言いやがる。そう思いながら画像を撮る。カシャリ、と鳴るシャッターの音質は悪い。さらにいえば俺のガラケーは画質も悪い。しかし低画質ながらも、画面にはしっかり、ちょっとだけ微笑んでピースする坊主のおっさんが写っている。撮れと言われたから撮ったけど、なんだこの画像。
「保存できた?」
「あぁ」
「その画像、もっかい見てみ」
「……あれ?」
たしかに保存したはずの画像は、フォルダのどこにも見当たらなかった。
「悪い。うまく保存できなかったみたいだ」
「杉元のせいじゃないよ」
「もう一回、撮ろうぜ」
「何度やっても同じことさ」
白石の声音は穏やかだったし、表情だって柔らかだ。けれどなぜか、どこかに悲しみが潜んでいるような感じがした。
「俺はなんの記録にも、誰の記憶にも、残れないんだ」
これも黄金の呪いの一つなのかな。白石がまた、よくわからないことを言う。
それから白石は、自分の話を俺にした。少なくとも一世紀は、老いずに生きていること。幸か不幸か記録に残らない特性のおかげで、下手を打たない限りは、その事実が社会の明るみ出ることはないだろうということ。過去に杉元佐一という名の、俺のそっくりさんと出会って、一時をともにしたこと。きっとお前とあいつは一緒の存在だよ。一目みて、すぐにわかった。そんなことを言われても、俺は困ってしまうだけだ。
それから数日後、俺はスマートフォンに機種変更をした。
「俺の画像を残せないのは、ケータイの画質とか性能の問題ではなくない?」
妖怪の白石が正論で突っ込む。異常な存在のくせに、まともなことを言うな。
「うるさいな、いいから撮るぞ。はいチーズ」
やはり今回も画像は保存されなかった。けれど俺はなぜか躍起になっていた。原動力がどこにあるかは、自分にさえわからない。ただ突き動かされるような衝動があった。白石が居たってことの証明が、せめて一つくらいは形に残ってもいいじゃないか。そうでもなければ、あまりに寂しい。
「もうさぁ、杉元がそんなに必死になることねぇじゃん。俺の問題なんだから」
「露骨に迷惑そうにしてんじゃねぇよ」
「一日に何度もカメラ向けられてみろよ。飽き飽きするって」
俺、ただでさえ写真とか避けてきた人間だったんだから。白石が億劫そうにする。
「そんな態度だからうまくいかないんじゃねぇのか。白石こそもっと真剣になれ」
「やなこった。そこまで言うなら俺の気持ちを少しは味わえ」
するり、と持っていたスマホが奪われ、白石の手に渡った。慣れた手つきは鮮やかですらあった。前職はスリとかじゃないだろうな。
白石はへらへらとした笑みを浮かべながら、俺にカメラを向けた。
「ほら杉元、撮るよ。こっち向け」
「やめろ。俺の画像はいいんだよ」
「な。撮られる側って結構、小っ恥ずかしくなっちゃうだろ」
「別にそういうわけじゃない」
「ならいいじゃん。こっち向けって。ちゃんと笑えよぉ。ポーズもしろよ?」
「うるせぇな。腹立たしい」
俺は撮影されないように片手で顔を隠しながら、奪われたスマホを取り返すために白石の方へにじり寄る。白石はスマホを片手にじわじわと後退する。どんな図だ。はたから見たら滑稽だろうが、俺は至って真面目だった。
「ねぇ杉元」
「なんだよ」
「今、撮ってるのは動画でーす」
「ふざけんなよぉ」
一本取られた。奇妙なポーズを取りながらじりじりと近づく恥ずかしいさまを、動画に収められた。大変不服である。白石はケタケタと楽しそうに笑った。
「大丈夫だよ。どうせ俺の声が入っちゃったから、保存できてない」
「おお。こういうときは便利な機能だな」
「機能呼ばわりやめて〜」
気が済んだのか、白石が俺にスマホを返した。俺は念の為にフォルダの確認をする。そして、見つける。
「おい、残ってるぞ」
「は?」
「白石がさっき撮った動画が、残ってる!」
「まじで?」
ほら、と白石に画面を見せる。変な動きをする自分の映像を流すことは嫌だったが、動画が残っていることの喜びが勝った。白石の声も撮れていて、ちゃんとに聞こえてくる。
おぉ、一歩前進じゃん。姿が映らず、声だけだったらセーフってことかな。白石が他人事みたいに冷静に分析した。
一方で俺には、眩い光明がさしていた。導かれるようにして正解がわかる。
俺は衝動のままに白石の肩を引き寄せた。白石がうぎっと変な声を上げる。
「なんだよ急に。近いし痛いんだけど」
「悪い。こうしないと撮れないから」
「また性懲りも無く撮影する気かよ」
「いいからカメラの方向けよ」
「え。まさかの自撮り?」
俺はスマートフォンのインカメラを起動して、片手を遠くに伸ばす。俺と白石の顔が横に並んでいることを確認して、撮影した。カシャ。前のガラケーよりよほど立派な音が鳴る。
「やっぱり」
「だめだったろ」
「ちがう。ちゃんとに画像が、残ってる」
「嘘だぁ」
流石に白石も驚いているようだった。俺は証拠のデータを見せる。緊張で口を引き結ぶ俺と、不服そうにぶすくれる白石。写真で残すにはふさわしくない表情で並ぶ二つの顔が、きちんとフォルダに残っている。
「残せるぜ、白石」
俺は興奮で身を乗り出す。白石が咄嗟に身を引くのを、腕をつかんで引き止める。
「俺と一緒に写れば、お前のことを記録に残せるんだ」
・・・
「もういいって、杉元。さすがにやりすぎだって」
「せっかく旅行に来たんだから、記念写真はたくさん撮りたいだろ」
「だからって要所でいちいち、人に撮影を頼むのもさぁ」
「仕方ないだろ。俺と一緒に写らないと、白石の画像が残せないんだから」
俺はキョロキョロと辺りを見渡す。手持ち無沙汰にみえる親父さんを見かけて声を掛ける。
すいません、写真撮ってもらえませんか。そう、ここで。俺はパネルの隣に立ってるんで。ほら白石、早く顔出せ。
ご当地キャラのマスコットパネルに開いた穴から顔を出した白石は、どこか遠くを見つめていた。おい、ちゃんとにカメラ見ろよ。
「顔出しパネルを撮ってもらうのは、流石にかなり恥ずかしいって」
いいだろ。これだって思い出の一つなんだから。