兄弟喧嘩「なぁ、ツム」
「なんや、サム」
「北さん、今頃何してはんのやろな」
「…………」
治の問いかけへの侑の返答はなく、雑誌をめくる音だけが静かに響いた。
高校を卒業し、双子が二人とも実家を出た今も、実家に顔を出せば部屋にはあの頃と同じ2段ベッドが待っていた。双子が成長したからと言って、家の間取りが変わるわけではない。
「なぁ、ツム」
「なにて」
「北さ「もうわかったわ!!!」」
声と同時に上段に横になっていた侑の腰のあたりの床板が、急に盛り上がり始めた。二枚に分かれた床板の継ぎ目の部分を下段の治が器用に両足を使って押し上げているのだ。
「こらこらこらこら!やめえや!!」
侑が地元を離れて数年。いつの間にか、北さんこと北信介と双子の片割れ治が良い仲になっていた。いつの間にか、と言っても全く心当たりがないわけではない。おにぎり宮を開業するにあたって、いろいろと相談を聞いてもらっている様子だったし、おにぎりに北さんの育てたお米を使わせてもらうことはもちろん、稲刈りの手伝いや、田植え、野菜の収穫、最近では北さんのおばあちゃんのゆみえさんに店を手伝ってもらっていることすらあった。
「お前、そんなんで今までよお付き合うとること隠せとったな」
「別に隠そうとしとったわけでもないしな。あかんねん。なんか、どんどん好きが大きくなんねんもん」
「聞きたないわ。相手、あの北さんやろ」
「せやで」
当然のように答える治に、侑は一瞬言葉を失い、なんとか声を絞り出した。
「サム、お前ドMか」
「なんてこと言うんや。ああ見えて、北さんめちゃくちゃ可愛えとこあんねん。そのギャップがたまらん」
「全然想像つかんわ。なんならあの神聖な北さんを穢す罰当たりな行為としか思えん」
「よう考えてみい。北さん、ゆみえちゃんの血ぃひいてんねんぞ」
「たしかに……ゆみえちゃんか」
おにぎり宮で何度も顔を合わせたことのある、北さんのおばあちゃんの笑顔が浮かぶ。
通称『ゆみえちゃん』として、店ではアイドルのような存在だった。いつもニコニコとして、可愛らしい、太陽のような人だ。同じ太陽だとしても、北信介が目の奥に突き刺すような真夏の日差しなら、春の柔らかな陽射しのような。
「………あかんわ、逆にお前、あのゆみえちゃんの大切なお孫さんになんて罰当たりな事してんねん」
「まあ、そりゃあ、そこは、なんとも思わんことはないけどな。でも、そのお孫さんがええ言うんやからええねん」
「……なあ、サム、その足でギューてすんのやめえや言うてるやん」
「お前が俺の問いかけをスルーしよるからやないか」
「なに言うてんねん、ちゃんと会話してやっとるやろが。俺がこれで腰こわしたら責任取れんのか」
治は足の裏にかかる程良い重さだけに感覚を集中しながら、おにぎり宮を開業すると決めてから今まで、侑と些細なことで兄弟喧嘩になっては、北さんのところへ相談に行った時のことを思い返していた。
正直、喧嘩や相談の内容は毎回毎回とるに足らない些細なものだったと思う。はじめは店に関係のある内容の時だけだったのが、そのうち、自分の親戚の家を訪ねるような、大切な家族に会いに行くような、そんな気持ちになっていった。あの家を訪ねる度に、北さんやゆみえさんの拵えた旨いものを口にして、二人の柔らかな笑顔や考え方を浴びて、たくさんの旬のお土産を持たせてもらって、穏やかな気持ちで帰宅した。
目の前に置かれたものは何もかも旨い旨いと全部平らげていた自分と違って、北さんはきちんと下準備をし、食材の組み合わせや、量や温度、調理時間まで、全体を考えて一番旨いと思えるものを拵える。それはゆみえさんも同じで、彼女は特に『旬のもの』を大切にする。あの二人を訪ねるたび、旨いものへの真摯な向き合い方に、背筋がぴんとのびる。あの家を訪ねることで、沢山のことを学ばせてもらったのだ。
(侑と喧嘩せんかったら、逆に気付かんかったかもしれんな)
「おい、サム!聞いとんのか!」
どれくらいそうしていたのか、二段ベッドの上の段から、ひょっこりと逆さに顔を出して怒鳴る侑の声で我に返った。
「ああ、すまんな。悪かったわ」
「ま、まあ、分かればええんやけど」
急に素直に両足を降ろし、布団をかけ直す治の様子に拍子抜けした侑は、怪訝そうに顔を引っ込めた。
「なぁ、ツム」
「なんや、サム」
「北さん、今頃何してはんのやろな」