あるよる「北さん、順番につくりますんで、もうちょっと待っとってくださいね。はいこれ、いちばん美味しいとこ」
おにぎり宮。
治はひっきりなしに入る注文を切り盛りしながら、焼きたてのだし巻き玉子や、炙ったたらこ、漬物などの端っこを綺麗に盛り合わせた小皿を信介に差し出した。
「ありがとう。よう繁盛しとるやんか」
「ありがたいことです」
「こんな忙しい時に寄ってもうて、すまんな」
「いえいえ、いつでも気にせんと、どんどん寄ってくださいよ」
「俺のことは気にせんでええよ。メシ食うたら帰るから」
半分ほどになっていた信介のグラスに冷たい麦茶を注いだところで、若いスタッフによってほくほくと湯気を立てるお櫃が運ばれてきた。
カタン
手早く、そして丁寧に。櫃にしゃもじがもどされる心地よい音に信介は聞き耳を立てた。
良質の昆布だしを加えた塩水で湿らせた、大柄な男の無骨な手に、ふわりと乗せられた白飯。
おにぎり宮では、注文が入るごとに奥の厨房の大きなガス釜で炊かれた飯を必要な分だけ香りの良い木製の櫃にとりわけてきて、目の前で手早く握る。
ほぐした焼き鮭を乗せ、綺麗な三角形に握った後、テンポ良く海苔を巻く。
スタッフによってだし巻き玉子と漬物が盛られた皿に出来立てのおにぎりを並べ、仕上げにちょこんと鮭を乗せて完成。
「はい、焼き鮭の方、お待ちどお」
カウンター越しに差し出されたおにぎりを、今か今かと待ち望んていた客が嬉しそうに受け取った。
そんな様子をカウンターのいちばん隅、自分専用ともいえる特等席で信介は眺めていた。
治はレジ横に並べられた伝票を確認すると、すぐに次の注文に取りかかる。
まずは、焼きおにぎり。
絶妙な力加減で握ったおにぎりを焼き網の上で炙り、オリジナルのタレを何度も重ね付けして、香ばしく仕上げる。
次は塩むすび。
白飯の味をダイレクトに楽しめる塩むすびは、具がない分、崩れる心配がないんで幾分か柔らかく握ると、口の中でほどけるんです、言うとったな。
ツナマヨはあんまり強く握ると中身出てきてしまうんですけど、ゆるすぎるとそれはそれで食うてる途中で崩れてしまうんで、気ぃつけなあかんのです。
いくら。
具のほとんどを飯の中に入れ込むほかの具の時と違って、上にのせる分量の多いいくらは、海苔の巻き方が違う。そして、粒がひとつも落ちないように、慎重に仕上げる。
あの大きな掌からは想像できない、繊細な動き。
長い指がしなやかに踊る。
信介はいつの間にか治の指の動きから目が離せなくなっていた。
目で追いながら、ある感覚が脳裏に甦る。
あの指が、掌が、俺の、身体の上を……。
「北さん?どうしました?顔、真っ赤やないですか」
「!!!!」
「はい、おかかと梅のおにぎりです。大丈夫ですか?どっが具合わるいんとちゃいます?」
「なんでもない。大丈夫、大丈夫や。ありがとう。おにぎり、美味そうやな」
信介のその様子に治はほんの少し口角を上げた。
徐にトレイ片手にホールに出る。
「あと1時間くらいで閉店やから、待っててくださいね」
信介の耳元で囁き、冷酒をなみなみと注いだ江戸切子のぐい呑みを傍に置いた。
あぁ、相変わらずカンの鋭いヤツやな。
信介はさらに顔を赤くして、それを誤魔化すかのように出された酒を素直に舐めた。