lovely baby 多分今まで俺には、恋愛というものがよくわかっていなかった。いい歳にもなって。
恋愛したことがなかったわけじゃない。俺なりに真剣に、付き合った相手のことは好きだった。それでも、他の誰かじゃダメなんだと、絶対に手離せないと、こんなに強く求めたことは初めてで。嫉妬に、独占欲に、一緒にいるだけで得られる充足感に俺は正直、戸惑っていた。
そしてこれも、生まれて初めて知った『惚れた弱み』というものなのだろうか。一つ歳下の恋人は俺の部屋のベッドの上で、他の男と楽しそうに電話をしている。
付き合って約半年、お互いキスしか知らない子どもではない。その先を、もう何回もした。花岡は無垢そうな童顔のくせにそれなりに欲があって、どちらかの部屋に一緒にいれば大抵の場合求めてきた。断る理由は部屋中どこを探しても見つからない。そんなわけで今日は俺の部屋に帰ってきた花岡にメシを食わしてやって、お互い風呂と日課のストレッチ。花岡が俺のトレーニング用品に手を出し、こんな重いの無理、なんて顔を顰めたりする。俺は俺で、花岡の体の柔らかさに驚いたり。自分もかなり柔らかい方だと思っていたが、さすがに負ける。
いつもなら花岡はもう寝てる時間らしいが、こういう時は別だ。何度か啄むようなキスをして、舌先がつんと触れ合わせただけで臍の下に熱が集まってきた。二人でベッドに横になり、細い決して弱々しくはない体を後ろから抱き締めた。振り向かせてまたキスをする。ん、ん、と時折甘い声が漏れるのがたまらなく、暖房もつけてないのにどんどん体が熱くなっていった。
「ん……っ、はぁ……、もういいから……」
「俺も……我慢できない」
花岡の肌も薄く汗ばんでいる。首筋に鼻先を擦り付けると、やだ、とくすぐったそうに言われた。ベッドのすぐ横の引き出しに手を伸ばす。まさか、ローションもゴムも切らさないようになるなんて。枕元にそれを置いて、暑くなったので寝巻きのTシャツを脱いで床に落とした。花岡のTシャツも脱がせてしまおうと手を掛けたところで、俺たちは同時に気がついて目を合わせた。
「あ……何か鳴ってる?」
「は? あー……スマホ、だな」
くぐもった振動音はどうやら電話の着信らしい。俺のスマホはテーブルの上に置いてあるから、振動すればもっと喧しく音を立てるはずだ。つまり花岡のものということになる。
「一応確認だけしとくか?」
「うん……ごめん、相手だけ」
ハンガーラックに掛かったグレーのジャケット。そのポケットの中にスマホがあった。そしてそれを寝そべったままの花岡に手渡してやると、瞳がぱっと輝いた。
「三笠くんからだ」
なんだ三笠か、と俺が言ったその時にはもう、寝そべっていた花岡はベッドにお行儀よく腰掛けてスマホを耳に当てていた。即掛け直したらしい。三秒も数えないうちに「三笠くん!」と他の男の名前を呼んでいた。それも、ほぼ毎日会っているはずだが随分嬉しそうに声を弾ませて。
「うん、いま大丈夫」
何が大丈夫なんだ。
「ちょっと確認するね、手帳見てみる」
それはあとでLIMEするとかじゃダメなのか。
「そういえば、今日……」
何故他の話題を出す。俺はとりあえず、床で冷えつつあったTシャツを再び被った。
恋人とも友人とも違う『パートナー』と言う存在の大きさは、有川との日々を経て理解はした。気が合うとか仲良しとかそういう理由では本当の意味のパートナーにはなれない。ダンスは相性抜群でもそれ以外の時はほとんど口を聞かないペアも珍しくはないそうだ。逆に、恋仲になることもある。
しかしこれはもはや恋仲ではないのか、とあの二人を見ていて俺は思うのだ。
「あの衣装? どうだったかな……最近着てないけどすぐ探せると思う」
「じゃあその次の週はどう? 生徒さんたちが帰った後で」
「食べてみたいメニューがあって……」
やれやれ、と冷蔵庫から缶ビールを出した。この二人の仲の良さも理屈ではなさそうだ。ダンスの他にも、お互いを強く結びつけているものがある。負けん気の強さと甘いもの好きなところが実に共通していると、有川は言っていた。それだけではないだろうが、さすがにそこの間に入ろうなんて思ったことはない。何より、二人のダンスが俺は好きだ。
なるべく音を立てないように開けたつもりだったが、気づいた花岡が俺の方を見てはっと表情を変えた。しまった、と顔に書いてある。悪戯してるのを見つかった子犬のようだ。その変化が面白くて、腹なんて立たない。いいよ、と口の動きだけで伝えて一口ビールを飲んだ。ちょっとしたやるせなさを喉の奥に流し込む。するとその後すぐ、電話を切った花岡が飛び付いて来た。
「っと、危ないだろ」
「だって……、ごめんなさい。怒った?」
「怒ってたらこんなのんびりビールなんて飲んでない」
「そう?」
犬の仕草に例えると、ぺたんと萎んでいた耳がぴんと立ち上がるよう。マリンブルーの大きな目にうるうると見つめられては、例え怒っていても何も言えない。いや、これが惚れた弱みというやつだ。
付き合ってから知ったのたが、花岡がダンスを始めたのは故郷の町にある小さな教室で、自分以外は大人や年上の生徒ばかりだったそうだ。ひときわ小柄で、素直で真面目な性格もあって可愛がられたのだと、本人がそう言っていた。自分で言うことではないが、そういった環境で自然と甘え上手になったのではないだろうか。
「……続き、してくれますか?」
「このビール開けたばっかりなんだよ」
「終わったらすぐ飲めばいいでしょう」
終わったら、って。意外としつこいくせに軽々しく言うな。そう言ってやりたいのをまたしても俺は飲み込んだ。
ほんの少し嫉妬はするけど、三笠と楽しそうにしている姿を見るのは好きだ。
独り占めしたいけど、花岡のダンスは世界中に見て欲しい。
ただ一緒に過ごすだけで満たされるのに、もっと、全部知りたい。腕の中に抱いたまま離したくない。
俺たちはダンスの種類も違うし、パートナーにはなれないけれど。一緒にいたらお互いもっと高いところまでいけるんじゃないかと思っている。それはきっと月に届くくらい、高く高く。