【迅嵐】買収に応じます 課題のレポートを書き進めていると「こんばんは」と、背後から声をかけられた。
その声は聞き馴染みのないものだったが、ここが大学の教室などであれば何の疑問も抱かなかっただろう。振り返って、声の主に対して「こんばんは」と返したに違いない。だが、自分がいるのは家族と共に暮らす自宅の自室だった。
十九年間生きてきたが、家族は自分の部屋を訪れたとしても「こんばんは」などと言ったりはしない。まずノックをして、それから「准」あるいは「兄ちゃん」と名前を呼ぶ。そもそも、自分が家族の声を聞き間違えるわけがなかった。来客の可能性も無くはないが、そんな気配はなかったし、どちらにせよノックや声掛けも無しに入室するような不躾な友人、知人は自分にはいない。もちろん、家族だってそんなことはしない。
(つまり――不法侵入者)
ここまでの思考は一瞬で、実際は声をかけられた直後に振り返る。すぐさま身構えて闖入者を視界に捉えると、案の定、記憶にはない人物がそこには立っていた。
「どーも、こんばんは。まず確認したいんだけど、君の名前は『嵐山准』で間違いない?」
悪びれる様子もなく、飄々と話しかけてくる男をギロリと睨みつける。一挙手一投足、見逃すつもりはなかった。
「誰だ」
「うーん、凄い警戒されてんね。大丈夫! 怪しい者じゃないから」
「どこから入った。家族に危害を加えてないだろうな」
「待って待って。取り敢えずおれの質問に答えて。そしたらおれもちゃんと答えるから。それで、君の名前は? 嵐山准で合ってる?」
もし、ここで違うと答えたらこの男はどうするのだろう。大人しく出ていくのだろうか。後になって嘘を吐かれたのだと気づき、逆上して襲いかかってくるのだろうか。暴力に訴えかけるような風貌ではないし、背格好も自分とあまり変わらないように見える。