前「なぜ、そうも私をお厭いになる」
忍術学園の天井からぬっと顔を付き出したタソガレドキ忍軍組頭の雑渡昆奈門が、一年は組の実技担当山田伝蔵にそう言った。
なぜ、と聞かれても明白であろう。逆さまの昆奈門の顔に気圧された伝蔵が一歩後退ってため息をついた。昆奈門が伝蔵に手合わせを願いに来るのはこれが初めてではない。半助が無事戻ってきてから、暇を見つけてはこうやって忍術学園に忍んでくるのである。今まですべて断ってきたが、その理由は学園外の勢力に自分の能力をさらす理由も忍の指南をつけてやる義務もなにもないからである。
「私が、ご子息二人のお命を狙ったからでしょうか」
悲しそうな顔をつくって、昆奈門が尋ねる。昆奈門は、しかし、と言葉を続けて伝蔵の前に音もなく天井から降り立つと、
「未遂に終わっております」
白々しくそう締め括った。
確かに昆奈門は伝蔵の息子というべき存在を消そうとした。1人は天鬼であった時の土井半助で、もう1人は実の息子の山田利吉である。半助は今後の脅威になるという理由で、利吉は半助殺害の邪魔になるという理由で打ち倒されるところであった。未遂に終わったが、タソガレドキの判断によっていつでも昆奈門はそれを実行する存在であると、伝蔵に強く残ったのは事実である。
「厭うてはおりませんが、なぜそう執着なさるかは疑問に思っているところです」
伝蔵は言って、前に立ち塞がる昆奈門の脇をすり抜ける。忍びになった以上、命のやり取りは致し方ないこと。伝蔵もそれをいちいち禍根にする性分ではない。
「一年は組の教室で学んだ一人、言わば私もよい子の一人です。担任の先生にご指導をお願いして不思議なことがありましょうか」
伝蔵の厭うてはいないという言葉に気を良くして、昆奈門が後をついてくる。
ご指導、とはよく言ったものだ。伝蔵はうっすらと頭痛がしたような気がして額に手を添える。伝蔵が半助を捜索する間、は組の授業をタソガレドキの二人にお願いしていた。そこで尊奈門が教師役を、昆奈門が生徒役として授業を運営していったと聞いてはいる。だが、それを盾に手合わせをねだってくるとは思いもしなかった伝蔵である。
「我が学園の卒業生が気配を察知できないほどのお方に、私が何を教えられますかな」
「忍術学園の山田先生として教えられることがなければ、山田伝蔵としてお手合わせいただければ」
どこまでもついてくる昆奈門である。
「雑渡殿、申し訳ないが」
目的の場所までたどり着いた伝蔵が、断りの言葉を口にしようとする。
「今日こそは色好いお返事が頂けるまで帰らぬ覚悟です」
遮るように昆奈門が言った。ため息をついて伝蔵が戸に手をかけて中に入ると、昆奈門も一緒に入ろうとする。
「なんで、一緒に来るんです」
「おかまいなく。うんと言ってくださるまで、お供いたします」
伝蔵が手をかけたのは厠の戸である。また、伝蔵は頭痛を感じて額に手を当てた。言った通りやる男であるのは身に染みてわかっている。伝蔵は、用を足す間に話しかけられるのは御免だった。
「日と場所を決めてください」
うんざりしたように伝蔵が言うと、昆奈門は飛び上がって喜んで明日、夜、裏裏裏山でと言うと去っていった。飛び上がるその動作に音もなく塵一つ立たない様子に感心した。だからこそ、伝蔵が手合わせをする意義を見いだせなかった。
約束してしまったものは仕方ないので、伝蔵は尿意を取り戻すべく厠の戸を閉めたのであった。