紅の噂 タソガレドキ城の奥に向かう廊下の中程で、タソガレドキ城主黄昏甚兵衛は立ち止まると、天井に向かって声をかけた。潜んで付き従っていた雑渡昆奈門は天井板を外し、短い返事と共に顔を出した。
「伝子さん、帰っちゃったんだってね」
「………はい」
伝子とは忍術学園教師山田伝蔵が女性に変装したときに使う名である。数ヶ月前、その名でタソガレドキ城に下女として潜入していたのだが、あろうことか、その伝子を甚兵衛がお気に召してしまった。正体を知る昆奈門が一計を案じ、伝子と二人で恋仲である振りをした。功を奏し、甚兵衛が伝子について興味を示す素振りもなくなったので、昆奈門は胸を撫で下ろした。伝子も、忍術学園の夏休みが終わったのだろう、伝蔵に戻るべくタソガレドキを去っていった。それですべては終わったと考えていたのだが、今になって甚兵衛がその名を出すとは。主の考えを読むべく、傍らに静かに降り立った。
「ややこでもできた?」
「まさか。どうやら、月の物が重いたちのようでして、あまりに具合が悪そうなので、里に返しました」
昆奈門が降り立つのに合わせて、甚兵衛はまた歩き出した。昆奈門は適当に話を合わせる。
「ふうん……体調戻ったら、呼び寄せるんでしょ」
「……そうは約束しておりませぬ」
「だって、すごいって噂だよ。昼も夜もなく部屋に連れ込むとか一回や二回じゃすまないとか。離れておれんだろ」
「照れますな」
昆奈門は噂のおひれのつき具合に頭が痛くなるが、怯まず飄々と答えた。確かに伝子を部屋に連れ込んだが、致したのは一回である。噂になるよう汚れた腰巻きを部屋に残しておいたが、あれは二人分の精でして、とは口が裂けても言えない昆奈門であった。
「……好き者め」
憎々しげだが、どこか面白く思っているような声音で甚兵衛は昆奈門に言い捨てる。言って気が済んだのか、下がってよいと甚兵衛が手をひらひらと振った。
昆奈門は甚兵衛の言いようと機嫌の移り変わりで、怒りを買ったわけではないと察した。お気に入りとお気に入りがくっついてどこかに行ってしまうと不審に思ったか、お気に入りが黙って恋仲の女を作ったのが気に入らないのだろう。昆奈門がさほど伝子に執着しているわけではないと知って安堵したようだ。我が主の可愛らしい悋気に拍子抜けした昆奈門はまた天井に潜んだ。